私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。Benefac loco illi quo natus es(生まれし 場所に祝福あれ)と聖書も言っている。プラトン学派でも、すべての文化のモットーとして次の言葉をうたっている。「外観を 救え」。すなわち現象を救えという意味である。われわれの周囲にあるものの意味をさぐれということだ。(「読者に・・・」より)
家々の高さが町を見るのを妨げる
われわれは生を受けてわずかのあいだに、もう自分たちの牢獄の境界に触れてしまう。長くてもせいぜい三十年もすれば、 われわれは自分たちの可能性がどこまでゆれ動くか、その限界を知ってしまう。こうしてわれわれは現実的なものを把握する わけだが、それはつまり自分たちの両足をつないでいる鎖の長さを計ったということなのだ。そして次のように言う。 「これが人生なのか。これっぽちのものなのか。いつも同じことを際限なく繰り返す閉じた輪のようなものなのか」と。 ここに、すべての人にとって危険な瞬間がある。(「第一の思索」より)
『ドン・キホーテをめぐる思索』ホセ・オルテガ・イ・ガセット著 佐々木孝訳 未来社 1987年6月
「私は、私と私の環境である」とはオルテガ(1883年〜1955年)の解説をよむと必ず紹介されている有名な言明である。 それがどういう文脈のなかで語られたかを確認するために『ドン・キホーテをめぐる思索』を読んだ。それは特に重要な文脈 ということではなく、ここに引用した通りポツリと置かれた文脈で、これが語られた節の全部である。しかしこれはオルテガの 思想を端的に言い表わしているので、有名になったのだろう。オルテガには豊かな思索と洞察があり、『ドン・キホーテをめぐる思索』 は1914年(31歳)に出版された最初期の本である。すでに独自の哲学者である。次の表現もこれと関連がある。
われわれだれもは、半分はかれがまさにあるところのもので、もう半分はかれの生きている環境なのだ。(『哲学 とは何か?』1930年の市民向け講演より)