「少子化対策」はやめよう:日本の人口の推移
90年の1.57ショック以降、少子化は社会問題とされ、公的保育サービスの充実(待機児童ゼロ作戦)、仕事と子育ての両立支援(
男女共同参画)、ワークライフバランス、結婚・就労支援など、さまざまな少子化対策が打ち出されてきた。しかし出生率が大きく
回復する兆しはない。
「効果がないのは規模や質が不十分だからだ」と言う人がいるかもしれない。だが、そうした論法はもうやめにしたほうがよい。
対策を名乗るからには、予算の投入額に対し、どの程度の効果が見込めるかが予測され、検証されるべきだ。
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一人の女性が一生に産む子どもの数を示す合計特殊出生率について、国立社会保障・人口問題研究所は05年の1.26から、最も
希望的に見積もると55年には1.55にまで回復する可能性があるとする。だが、それでも出生数は05年の106.5万人から、55年には
67.3万人に減る。女性の数が少なくなるからだ。つまり、出生率が劇的に回復しても、生まれる子どもの数は4割も減ってしまう
のだ。
となると、少子化がもたらす最大の弊害とされる現役労働人口の縮小は今後も続く。年金財政の悪化も避けられまい。少子化
対策は人口の減少を食い止めることはできず、有効性には疑問符がつくことになる。
この程度のことは、おそらく多くの人が気づいている。しかし実際には、ここ数年の少子化対策は、男女共同参画やワークライフ
バランスの名のもとに、特定のライフスタイル、とりわけ男と女がともに仕事と子育てを両立する「両立ライフ」の支援に偏って
きた。
現在の子育て支援が共働き優遇であることは知られているし、ワークライフバランスも、さしあたり官公庁や大企業で働く男女
にしか御利益はない。児童手当を増額すれば、子どもをもたない人からもつ人へ財の再配分を強化することになる。少子化対策の
名のもと、資源配分の点からは必ずしも公平とはいえず、効果も不明確な政策がなされ続けてきたのだ。
ならば、いっそ少子化対策という言葉を使うのをやめ、人口減少を前提にしたうえで、どのような理念に基づいて制度を構築
すべきかを考えてはどうか。親のライフスタイルとは無関係に、すべての子どもを平等に支援する子育て支援、世代間の公平に配慮した
年金制度、人口減少を前提とした地域づくりなどである。
特に子育て支援は、第3子以降に児童手当を増額するといったさもしい発想は捨て、支援される子どもの生存権という観点から
のみ正当化し、拡充すべきであろう。定額の「子ども手当て」を拠出する民主党の案は、この考え方に近い。
ある試算では、月に4万円支給すれば18歳までの養育費の約9割をカバーできる(学費や小遣いなどは除く)。11.2兆円が必要
だが、世代間公平の観点から極論すれば、大盤振る舞いの年金制度を享受してきた高齢世代の年金給付を4分の1ほど削れば賄える。
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そもそも少子化や人口減少「問題」の本質は、たかだか国内における世代間や世代内での財とサービスの再配分の問題にすぎない。
いたずらに悲観することなく、人口減少、高齢化、経済活動の縮小を前提として、いかなる社会が自由で公平かを構想し続けていけば、
それでよいのだ。
たしかにそれは、人口増加や経済成長を与件とした20世紀型の日本の仕組みとの決別を意味する。痛みも伴うだろう。しかし、
西欧へのフォローアップを目標とし、達成してきた近代日本が、人口減少社会を生きるという課題に、世界で最初に取り組む栄誉を
与えられたとみることもできる。
子どもが増えず、経済が高度に成長しなくても、選択の自由と公平な負担を両立させながら、やっていける仕組みを考えること。
それは、縮 小均衡を目指す「滅びの美学」を確立することにほかならない。少子化対策という言葉はもういらない。
『朝日新聞2008年5月10日朝刊』「異見新言」欄 赤川学(東京大学准教授 - 社会学)氏投稿
日本の人口の推移
縄文時代 |
約10万人〜約26万人 |
弥生時代 |
約60万人 |
奈良時代 |
約450万人 |
平安時代(900年) |
約550万人 |
慶長時代(1600年 |
約1,220万人 |
江戸時代 |
約3,100万人〜3,300万人 |
明治5年(1872) |
3,480万人 |
昭和11年(1936年) |
6,925万人 戦前は7,000万人ということです。 |
昭和42年(1967年) |
1億人を越える |
平成15年(2003年) |
1億2,760万人 過去最高 |
2046年 推計 |
1億人を割る |
2055年 推計 |
約8,993万人(中位推計) |
※江戸時代までの推計は、歴史人口学の研究者の鬼頭宏氏の研究による。貴重な推計である。
人口が元へ戻っていくのも、日本人の運命でしょうか。(管理人)