今月の言葉抄 2006年11月

大乗仏教の起源

維摩詰所説経ゆいまきつしょせつきょう』とは、後代の仏教者たちの間にあって、在家仏教の主張のよりどころとして、広く知られておりますが、その主人公なるヴィマラキールティなる人物は、その経の語るところによれば、ヴァッジー(跋耆)国の都ヴェーサーリー(毘舎離)に住む長者でありまして、在家仏教者として仏教のふかい理解を身につけた人物ということであります。

ところで、その経中のクライマックスを一つ二つ申しあげてみると、たまたま釈尊が、その弟子たちとともに、そのヴェーサーリーの付近にとどまっていた頃、彼ヴィマラキールティは病んで病床にありました。誰か見舞いに行ってくるがよいというので、釈尊は、サーリプッタ(舎利弗)をはじめとして、名だたる弟子たちをつぎつぎに御指名なされましたが、みんな尻込みして行こうとしないのでありました。「わたしは、どうも彼が苦手でございまして」というのが、彼らの辞退の理由でありました。たとえば、サーリプッタさえもそうでありました。

経のことばのいうところによると、かってサーリプッタがとある林中にしりぞいて樹下に宴座えんざしておると、そこにヴィマラキールティがやってきて、「何をしておる」という。「宴座をたのしんでいるのだ」と答えると、彼は、そんなのは、まだ本物ではないという。そこを経のことばのままにいえば、
 「煩悩を断ぜずして涅槃ねはんに入る。これを宴座となす」
とやられて、ぐうの音もでなかったという。宴座とは大安楽座である。人は、煩悩のただなかにあってそれが実現できるのでなくては、まだ本物ではないというのであります。そこに在家仏教の思想的根拠があるのであります。

かくて釈尊の御指名はマンジュシュリー(文殊師利)のうえに落ちました。そこで、彼は、かの長者の邸にいたり、病床の彼を見舞って、どうして病まれたのかと、その所因をかづねました。その時かのヴィマラキールティの答えた一句は、千古に輝く名言でありました。いわく、

 「一切の衆生病むをもって、その故にわれ病む。もし一切の衆生の病滅すれば、わが病滅す」

人は一人では生きられない。、よくそのことを知るものにとっては、ひとり行ないすまして、それで仏教者のの能事おわれりとすることはできません。衆生が病めば、わたしも病む。衆生安楽なれば、わたしもまた楽しい。その心情こそは、大乗仏教のよって成る根本でありましょう。

(ヴィマラキールティ(維摩詰)の原型)から
『仏陀のことば』(角川書店 昭和63年)増谷文雄著
 
更新2006年11月18日