『
ところで、その経中のクライマックスを一つ二つ申しあげてみると、たまたま釈尊が、その弟子たちとともに、そのヴェーサーリーの付近にとどまっていた頃、彼ヴィマラキールティは病んで病床にありました。誰か見舞いに行ってくるがよいというので、釈尊は、サーリプッタ(舎利弗)をはじめとして、名だたる弟子たちをつぎつぎに御指名なされましたが、みんな尻込みして行こうとしないのでありました。「わたしは、どうも彼が苦手でございまして」というのが、彼らの辞退の理由でありました。たとえば、サーリプッタさえもそうでありました。
経のことばのいうところによると、かってサーリプッタがとある林中にしりぞいて樹下に
「煩悩を断ぜずして
とやられて、ぐうの音もでなかったという。宴座とは大安楽座である。人は、煩悩のただなかにあってそれが実現できるのでなくては、まだ本物ではないというのであります。そこに在家仏教の思想的根拠があるのであります。
かくて釈尊の御指名はマンジュシュリー(文殊師利)のうえに落ちました。そこで、彼は、かの長者の邸にいたり、病床の彼を見舞って、どうして病まれたのかと、その所因をかづねました。その時かのヴィマラキールティの答えた一句は、千古に輝く名言でありました。いわく、
「一切の衆生病むをもって、その故にわれ病む。もし一切の衆生の病滅すれば、わが病滅す」
人は一人では生きられない。、よくそのことを知るものにとっては、ひとり行ないすまして、それで仏教者のの能事