教室へ入ってきたモリーは、腰をおろしたきりひとこともしゃべらない。学生たちを見やり、こちらもモリーを見る。二、三人の忍び笑い。モリーは肩をすくめるだけ。やがて深い静寂が垂れこめ、ほんの小さい音まで耳に入るようになる。教室の隅のラジエターがかすかにうなっている。太っちょの学生の鼻息。
何人かざわめきし始める。いつになったらしゃべるんだろう?もじもじし、時計に目をやる。何も気にすまいと窓から外を見る者。これが十五分も続いただろうか。ようやくモリーのささやきが沈黙を破った。
「今、何が起こっているのだろう?」
そしてゆっくりとディスカッションが始まる。モリーがこの間ずっと期待してたとおり、テーマは人間関係に及ぼす沈黙の効果。われわれはなぜ沈黙を気まずく思うのか?騒々しさにどんな安らぎが見いだせるのか?
ぼくは沈黙が苦にならない。友だちといっしょにわいわいやっていても、他人の前で、特にクラスメートの前で、自分の気持ちをしゃべるのは苦手だ。授業で求められれば、何時間でも黙って座っていられる。
外へ出るとき、モリーに呼びとめられる。「今日はあまりしゃべらなかったね」
そうですか。つけ加えることがなかっただけです。
「つけ加えることはたくさんあったと思うよ。実はね、ミッチ。私の知っている人で、若いとき自分の胸のうちに物事をしまっておくのが、今の君みたいに好きだった人のことを思い出したよ」
誰ですか。それ。
「私、さ」
大学を出てから16年、スポーツライターとして多忙な生活を送っていたミッチは、恩師モリーがALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され余命いくばくもないのを偶然テレビで知る。毎週火曜日に恩師を訪ねようになったミッチに、モリーは死の淵から人生の意味について語る。なぜか一番気に入ったのが引用したここの箇所。(管理人)