今月の言葉抄 2006年6月

言葉はどのようにして習得されるのか

通訳なし ガチンコ勝負

大相撲夏場所で初優勝したモンゴル人力士、大関白鵬(21)。場所前の奉納相撲で記者に囲まれていた。

「左足首の調子がいまいちでねぇ、まだ十分、動けない」「大関になった実感?わかないねえ」。日本語がぽんぽん飛び出す。

野球と違い通訳はなし。それが角界の不文律だ。

来日5年半。日常生活で言葉に不自由はないという。語学学校も辞書も不要だった。「メールも日本語ですよ。簡単な漢字しか使えませんが」

朝青龍、琴欧州、把瑠都・・・、外国人力士はみな日本語がうまい。どうやって習得しているのか。

最初に覚えた日本語が「ぼちぼちでんな」という旭天鵬(31)が、自分の習得法を振り返る。

―入門時は大部屋暮らし。24時間、眠る時も日本人力士と一緒。モンゴル人同士のモンゴル語の会話は禁止。見つかって罰金を取られたこともある。とにかく生きてゆくのに必要なあいさつは耳から覚えた。言葉のニュアンスはテレビドラマ「ひとつ屋根の下」でつかみ、漢字はカラオケの歌詞を道路標識のようなものとして覚えた―。

苦労したのは敬語。「先輩に『がんばれよ』って励まされて、『おまえも、がんばれよ』って言ってしかられました」

力士の日本語習得を研究する早稲田大の宮崎里司教授(第二言語習得論)は、この日本語漬けの環境がいいのだという。番付が上がれば記者や後援会と接する機会も増え、さらに日本語がうまくなる。「文法を体系的に教える日本語の指導理論からまったく外れているんですけどねえ」

絵本読んで英語ペラペラ

人間はどうやって言葉が話せるようになるのか。実はその仕組みはよくわかっていない言語学界のの最大のなぞだ。

有力な仮説は「普遍文法」という考え方だ。

「子どもが自然に言葉を話し始めるのは、脳の中に言葉を獲得する仕組み、普遍文法が生まれながら備わっているからだ」と、言語学者のノーム・チョムスキー米マサチューセッツ工科大学教授が提唱した。

言葉が話せるようになるには、この普遍文法を基礎に脳の中で一種の組み換えが起きるからだという。脳が急速に発達する幼いうちに組み換えが済む。いったん組み換えが済むとほかの言語に対応しにくくなる。

組み換え後、どの程度、外国語に対応できるのかについては諸説あって、結論は出ていない。

日本語に組み替えが済んだ大人の脳で、語順や音がまったく違う外国語をペラペラしゃべれるようになるのだろうか。

電気通信大の酒井邦秀助教授(英語教育論)は、大人になっても対応できると考えている。大学生でも子どもが母語を学ぶやり方で指導する。最近人気の勉強法で、「力士式」に近い。

教室では学生が英米の幼児向け絵本を読んでいた。犬を追い払う少年の絵が描かれ、ひとこと「Go away(あっち行け)」

辞書は引かせない。日本語に置き換えずに、英語のまま理解させる。次第に難易度を上げ、一万語あたりからペーパーバックの小説が読めるようになる。早い人なら一年半ほどという。

聴く、話す力は童話の朗読や映画で養う。意味が分からなくても俳優のせりふをおうむ返しに繰り返させる。最初はムニャムニャしかいえないが、次第にきれいな発音になるという。

酒井助教授は「辞書を引く従来のやり方よりも、自然な英語を短期間で習得できる」と力説する。

しかし、こうしたやり方には、大人になると対応は難しいとの立場から根強い批判がある。現実的ではないというのだ。

静岡大の白畑知彦教授(第二言語習得論)は「大人には子どもにない一般常識があるのだから、文法を学び辞書を引く方が効率的だ」という。

脳の組み換えが済んだ大人の脳が外国語を学ぶと、脳でどのようなことが起こっているのか。

東京大の酒井邦嘉(言語脳科学)は、脳の特定部分の血液量を画像化できる装置を使って、初めて英語を学んだ中学生14人と大学生15人に動詞の過去形の変換について聞き、血流変化をみた。

その結果、中学生は文法処理をつかさどる部分の血流量が増えたが、大学生は正しく答えているのに変化は少なかった。

「大学生は英語に対応できるように脳で再度組み替えが起き、脳の働きが節約されたからではないか」と酒井助教授。

とにかく、大人でも外国語を習得できないわけでもないらしい。希望を捨てずにこつこつと、がんばってみよう・・・。

読む力 成人も向上

読めても話せない、聞き取れない―日本人英語の特徴だ。学習が読解に偏っているからだといわれているが、それだけでもなさそうだ。

東京大の酒井助教授の研究では、文法、文章理解、単語、アクセントなどを脳の別々の部分で処理していることがわかった。

音を認識する部分はかなり早い段階で発達する。一度、組み換えが起きると、この部分は変わりにくい。「l」と「r」の発音が苦手なのも、外国語のかなりの達人でもなかなかアクセントのくせが直らないのも、このせいかもしれない。

一方、文字を認識するのは顔や色を区別する部分に近い。いつまでも脳に柔軟性があるので、読む力は大人になってからでもかなり向上する可能性があるという。

(「be on Sunday」から)
『朝日新聞2006年5月28日(日曜日)朝刊』 
更新2006年6月16日