今月の言葉抄  2006年5月

戦争への反省

「戦争への反省」は二千年以上も前からいわれていた

中国は日本に対して、執拗に「戦争への反省」を求めている。なぜ、中国人がこれほどまでに、この点にこだわるのか。それは中国人の精神性の根幹そのものに「戦争への反省」があるからだ。中国人の精神の中核は儒教といってもいいが、その儒教は、もともと「戦争への反省」から始まったものである。
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混乱の春秋・戦国時代は五百五十年間も続き、だれもがもうこれ以上は戦争の悲惨さを味わいたくなかった。国家の統一と平和を強く求めたのは、春秋・戦国時代への反省なのである。諸子百家たちの根本にあるのは、いづれも「戦争への深い反省」だった。
以来、中国では「武力行使というのは非常に野蛮なことであって、覇道による国土の拡張は避けなければならない」という考え方が根強く浸透するようになった。これが孟子の説いた「王道」「仁政」という政治手法である。武力行使に対して徹底的に抵抗し、反対する思想だ。また老子(前五世紀頃)は「勝っても美しくない」と述べて暴力・暴道という手法を否定した。こうして春秋・戦国時代に、武力の否定という枠組みがすでにできあがっていた。
「戦争への反省」は、戦後になって日本に突如いいだしたものではなく、二千年以上もさかのぼる聖人君子たちがその起源なのである。
では、武力の代わりに何を国の根幹にするのか。それが「徳」である。孟子は、孔子たちの考え方を受け継いで、国の安定・平和・安全保障のために、人徳が必要だと主張した。国を治め、民心を治めていくための最高の道具であり、理念であり、方法論が「徳」であった。
とはいえ、「徳」というのは非常に抽象的な概念であって難しい。徳を何で測るのかということについて、中国人たちの間ではいまなおさまざまな議論があるが、「仁・義・礼・智・信」を持つことが「徳」の条件とされることが一般的である。

中国人にとって最大の侮辱は「あなたは徳が欠けている」

「徳」に高い価値観を置く中国人にとって、「あなたは徳が欠けている」といわれることが最大の人格否定となる。日本では人格を判断するときに、「やさしい」とか「人に親切」とか「いい人」というような観点が用いられているようだが、中国では「徳があるかないか」が大きな判断基準となる。「仁・義・礼・智・信」を備えることが中国人にとっての最高の理想なのだ。徳には、国への孝である愛国心も含まれる。
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徳に対する二千年以上も前の教えが、現在にいたるまで中国国民の心に浸透しているのは、そのほとんどが格言になっているからだ。昔、大半の人は文字が読めなかったけれども、口承で言い伝えられてきたから、みな徳の大切さを知っている。たとえば、「士は己を知るものに死す」などがある。生きる知恵として、精神に刻み込んできたのである。
(「第3章 文化の力を重んじる中国人」から)
『中国人の愛国心』(PHP新書 2005年10月)王 敏 (Wang Min) 著
更新2006年5月11日