ソクラテスの神託事件
この神託事件のことは、よく知られていることであるから、あらためて記すまでもないが、本論全体にとってはやはり欠かすことはできないと思われるので、その内容をごくかいつまんで紹介しておくことにする。この事件については、クセノポンは、プラトンとは異なった報告を伝えているのだが、プラトンによれば、それは次のようなものであったとされている。すなわち、ソクラテスの仲間で彼の熱心な信奉者であったカレイポンが、あるとき、デルポイの神殿に詣でて、「ソクラテスより賢い人はいるか」と伺ったのに対して、神は巫女を通して、「誰もいない」という託宣を下した。さて、カレオポンからこの報告を受けたソクラテスは、自分は「大にも小にも知恵のあるものではない」と自覚していただけに、この神託に驚くとともに、「神は何をいおうとしているのか」と怪しみ、その神託を一つの「謎」としながら、最初は、神に反駁するつもりで、その謎解きに取りかかることになる。そしてそのために彼は、世間で知者だと評判されている人びとをつぎつぎに訪ねて、彼らと問答してみたのであるが、結局は、「善美なるもの」や「最も重要な事柄」については、「本当は知らないのに、知っていると思っている」世の知者たちよりも、「事実知らないのだから、そのとおりにまた知らないと思っている」自分の方が、「知らないことを知っているとは思わない」という、その「僅かな点で」、もしかしたら賢いのかもしれないという結論にソクラテスは達する。そしてその上で彼は、「神だけが本当の知者なのかもしれない。そして人間の知恵というようなものは、神の知恵に比べるなら、ほとんど無に近いものである」が、もしも人間のなかでいちばん賢い者がいるとすれば、それは自己の無知を自覚している者のことであるということを、神はソクラテスを一つの例としながら示そうとしているのだと、そんな風に神託の意味を解釈して、その謎解きを完了している。
そしてそれ以後、このいわゆる「無知の知(自覚)」の立場に立ったソクラテスは、無知を自覚するがゆえに、それだけにまた知を愛し求めるという哲学活動をすることになるが、このような哲学活動を彼は、「神からの命令」として受けとめ、また「神への手助け」「神への奉仕」と解釈して、私事を顧みないで没頭してきた次第を語る。しかしそのことが、結局は人びとの憎しみを買い、誹謗や中傷を招くことになったのだとソクラテスは言って、「古くから告訴人たち」に対する弁明を終えている。
(「3 プラトンの理解 2神託事件」から)
『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波書店 2004年)加来 彰俊(かく あきとし)著