宿で岡崎市から来た遍路さんと一緒になり、色々と参考になる話を聞く。お札を交換したが、緑の札で5回目だと言う。 年末年始の休暇を利用し、工場休業と同時に出発して初日で一番から十番まで歩いている。一日40〜50キロ歩くのは全然気にならない、 頭は悪いが身体だけがとりえなどといって笑っていた。元日は宿がとれず野宿だという。 下着から衣類・雨具その他装備にいたるまで、今は山用品店で撥水性があって軽いいいものが出ているそうだ。 元々山をやっていたが、今は四国一辺倒だと言う。飾り気のない率直な人だった。
のんびり最後の道のりを歩く。天気もよく、四国の風景を楽しみながら歩いた。
懐かしい八十八番を打って、今回の遍路に終止符を打つ。特に感慨らしきものもなし。 白衣に初めて一番札所の朱印を押してもらったが、その下に八十八番の朱印を押してもらう。あと一つは高野山に残した。 もう一度遍路に来るときがあるだろうか。
12時30分発のバスで長尾駅まで行き、琴電に乗る。電車の中で、西陣の図案職を長いことやっていると言う年配者に 色々遍路の話を聞かれる。まだ仕事が大変で手が離せないような様子だったが、自分も何時か回りたいという。 実行に移すか移さないかは別にして、このように思っている日本人は結構多いようだ。
打ち終えて 憂き世に帰る 遍路かな
遍路とは何だろう。若い人も、年配の人も、男も、女も、老若男女年齢に関係なく今も遍路に出かける。 そのような人達に、四国路は安心して歩ける環境にある。惜しむらくは昔の遍路道が、時代の流れで隅に追いやられて、 車主体の国道を歩く距離が長くなっていることだ。人が自分の足で歩くこと、または歩ける場所が希少価値になっている。 歩かなければ分からないことも確かにある。歩いて初めて突き当たる疑問もある。歩くことが考える契機になることもある。 この旅で、歩くことが考えることの始まりであり、生きることの始まりであるようにしたかった。
遍路は楽しい。