白峰寺の境内はまだ薄暗かった。寺の前からすぐ遍路道を探して入る。落ち葉が積もった自然の道だ。昨日は夜だったので、 この道が分からなかったのだ。途中から車道にでで、山を下りる遍路道を、何度か間違えながらもやっと見つける。遍路ころがしと いわれている処だ。このように遍路泣かせの難所は、他に22番焼山寺への道があるだけだ。完全な山道でかなり急な下りだった。 上ってくるのは文字通り大変なところと思う。下のほうの平地に、溜池がいくつも見えた。途中元気な若者2人が掛け声をあげながら 上ってくるのにすれ違う。
高照院・郷照寺までは、ずっと11号線に沿って旧国道を歩くことになる。単調な道だ。バイクが前方に停まり、中年の婦人が おりてきて、500円のお接待を受けた。どちらからですかと聞くので、横浜から来ましたと答えると、まあご苦労様です、と言って バイクで去っていった。
道々考える、こちらの人はどうしてお接待するのだろう。私個人にお接待を受ける資格がないのは明らかだ。 ただ、私はいま真似事のようではあるが、白衣を着て四国遍路を歩いている。手順に則って本堂・太子堂にお参りしている訳でもない。 真言は唱えないし、般若心経も上手くあげられない。大師法号だけを唱えている。自分勝手なお願い事もしている。 菩提心は希薄で、信仰心も無いに等しい。空海は偉大な天才と思うが、その思想は難しく私の理解を超えている。 してみると真似事のようでも、現に四国を歩いていることがお接待の対象になっている訳だ。遍路には大師が一緒についている と考えられているのだろうか。その布施が遍路を通して大師に向けられ、そして自分に返ってくると考えられているのだろうか。 いづれにしても北海道育ちには考えられない、心の優しい土地柄だと思う。歴史が育んだ大きな生きた遺産だとも思う。ここの人達は皆、 お大師さんと呼んでいる。その延長で、お寺の名前も呼び捨てにはしない。弥谷寺(いやだにじ)への道を 尋ねたときは、30代の働き盛りの男性が、「いやだにさん」と言っていた。
一方気になっていたので注意してみると、郷照寺の入口の石柱に大きく「厄除根本道場」とあり、太子堂の入口」にも堂々と 「厄除弘法大師」とあった。千年以上も厄除けでやってきたのであろうか。行基が創建し、弘法大師も来たという由緒ある寺だ。今でも これでは、大師の遺徳も形無しだと思う。現代に生きる寺を再生するのは、大変な菩提心と知力が必要だとは思うが。