イエスの年代記を調べていて、年代の取り方によってはイエスの宣教が2年弱であったことを知り、 あらためてその短い生涯とそれにもかかわらず後世に残したはかり知れない影響力の大きさに驚くのである。 イエスがエルサレムに行くのは、いわゆる共観福音書では最後の時であり、そこで十字架刑に処せられる。 しかしヨハネ伝ではイエスは何回もエルサレムに行っている。過越し祭で2回、あとは仮庵祭、ハヌカ祭、 ユダヤ人の祭り(祭名不明)など計5回エルサレムに行ったことになっている。過越し祭は、数え方によっては3回行っている。 イエスは巡回し説教し、世に出現した理由とその福音をユダヤの民に伝える時間が必要であったろうし、 一方「わたしの時が来ていない」という表現で、自分がエルサレムへ行く時を慎重に見さだめ、機が熟するのをはかっていた。 はたしてイエスは2年弱の短い間に何度もエルサレムに行ったのであろうか。過越し祭のエルサレムへ行くのは、 最後の時だけだったのではないだろうか。この点をイエスの当時の状況をふまえて考えてみることにした。
天の国は近づいた イエスが世に出現し、宣教を開始したのはおよそ30歳であった、とルカ伝に書かれている。 その時のイエスの第一声は、イエスが世に出る原因であり、基調として最後まで貫いていると思う。 このことは、共観福音書のなかでマタイ伝とマルコ伝にのっているが、ルカ伝には書かれていない。 またヨハネ伝にも一切その記述がない。
12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 ・・・17そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 (『マタイ伝』 4:12,17)
14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 (『マルコ伝 』1:14-15)
17 From that time Jesus began to proclaim, ‘Repent, for the kingdom of heaven has come near*. (Mathew4:17New Revised Standard Version) ’- *footnote ' or at hand '
「天の国(神の国)は近づいた」と聞けば、何も難しいことを言っているわけではない。 誰が聞いてもそれが何十年も何百年も先のことではないとわかるだろう。 まして二千年たってもまだ来ないのでは、どんな解釈も詭弁でしかないだろう。 英訳も並べてみたが、NRSVは現在完了形で訳している。これは近いどころではない、もう来ているのである。 このように切迫した時間感覚のなかでイエスの出現を理解しなければ、イエスが実感しそのなかで呼吸していた 天の国の緊迫性は伝わってこなのではないかと思う。今は緊急の時だ、天の国が来ている、もうそこに迫っている、 そういう状況のなかでイエスは宣教を開始した。 以下はそういう状況のなかにいるイエスがより詳しく述べた言葉であると思う。
20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ伝17:20-21)
このイエスの言葉には色々な解釈があるようだがイエスの感覚では、自分が今ここにいることが神の国が来ていることのしるしだと言っているようだ。「神の国はあなたがたの間にあるのだ」の意味は、人の子がここにいる、あなたがたの間にいるではないか、 これが神の国が来ているなによりのしるしだ、と言っているように思われます。くりかえすが、 イエスは自分の出自あるいは属性について語っているのである。∗注1 イエスはこの恐るべき現実の到来をユダヤの民に伝え、理解させ、信じさせるのにいろいろ苦労している。時間もかかる。 病気なおしは、そのためのイエスの方便としてやったのである。
ヘロデがあなたを殺そうとしています さてイエスは、洗礼者ヨハネが捕えられてから宣教を始めている。∗注2このタイミングは重要である。 父ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスはその当時ガリラヤとペレアを統治しており、彼が洗礼者ヨハネを捕えて処刑したのである。 その理由は福音書では別の物語に仕立てているが、実際はヨセフスが以下に書いているような事情だったのだろうと思う。
ヘロデはヨハネの民衆に対する大きな影響が 騒乱をひき起こしはしないかと恐れた。 彼らはヨハネが勧めることなら何でもしようという気持ちになっていたからである。 そこでヘロデは実際に騒乱が起こって窮地に陥り、そのとき後悔するよりも、 彼によってひき起こされるかも知れない反乱に先手をうって、 彼を殺すほうが上策であると考えた。 そこでヘロデの疑念のためにヨハネは前述した砦のマカイルス に送られ、そこで処刑された。 (ヨセフス「ユダヤ古代誌」XXVⅢ)
洗礼者ヨハネはこのように極めて政治的な理由で逮捕・処刑されたのである。 ヨハネが活躍したヨルダン川の岸部はペレアと呼ばれ、ヘロデ・アンティパスの領地であった。 もちろんイエスの活動の拠点であったガリラヤも彼の領地であった。洗礼者ヨハネのように多くの民衆に強い影響を及ぼす預言者は、世の統治者にとって常に監視していなければならない危険な存在であったろう。 イエスはヨハネと同じことが自分の身に起こり得ることをよく承知していたと思われます。
31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。 「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。(ルカ伝13:31 )
1イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、 ユダヤを巡ろうとは思われなかった。(ヨハネ伝7:1)
18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神をご自分の父と呼んで、ご自分を神と等しい者とされたからである。(ヨハネ伝7:18)
25さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。・・・人々はイエスを捕えようとしたが、手をかける者はいなかった。・・・祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕えるために下役たちを遣わした。(ヨハネ伝7:25-32)
53この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。 54それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、 荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。(ヨハネ伝11:53-54)
イエスは巡回説教中、時々ガリラヤから抜け出し、異邦人の地に行っている。フェニキアのティルスやシドン、 デカポリスのガダラ、フィリポの領地であるフィリポ・カイサリア等である。 もともとイエスはユダヤ人に福音を伝えるのを当然のこととしており、異邦人に伝道するつもりはなかったから、 これら異邦人の地には本来行く必要はなかったのである。おそらくガリラヤで身に危険が及ぶことを察知して、 身を隠すように異邦人の地に行って危険を避けていたと思われます。イエス側の事情として、ガリラヤで捕えられることはどうしても避けなければならない。 「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、 ありえないからだ」(『ルカ伝』13:33)と思い定めているイエスは、エルサレムに行く時は、時が満ちた時でなければならなかった。その時はイエスひとりの胸の内に秘められている。ただ残された時間は限られている。 民衆に対する宣教も広く深く伝えなければならない。そして過越し祭は年に一度しか来ないのである。
領主ヘロデが命をねらっているほかに、イエスは当時のユダヤ支配層である祭司たちや律法学者やファリサイ人に対し、 痛烈な批判を浴びせている。その批判は徹底的である。 「偽善者、蝮の子、預言者を殺した者の子」などと呼ばわり、挙句の果ては「あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(マタイ23:27)と罵倒している。口を極めて罵っている。 それで批判された体制の祭司たちはイエスを始末しようと決め、その機会をねらっていたのである。 イエスの行く先々に人を出して、イエスの言動の非を見つけて、捕える口実をさがしていたのである。
まとめ 「天の国は近づいた」という驚くべき現実が到来している、イエスはそれを世に宣言し、伝えなければならなかった。イエスの弟子たち対して、ユダヤの民衆に対して、そしてエルサレムの祭司たちや律法学者やファリサイ人対して、そしてパレスティナの社会全体に伝えなければならなかった。この驚くべき現実の到来を、伝え信じさせるのは容易ではなく、 時間もかかると思ったことでしょう。その使命を遂行することが危険人物と見なされ、イエスは政治的にも宗教的にも世俗的にもユダヤ社会で命をねらわれる存在になったのである。いつの頃からか支配層の拠点であるエルサレムへ行くということは、死を意味した。 そのような事情があり、そう頻繁にエルサレムへは行かなかったのではないかと思われる。 それではヨハネ伝はどうしてイエスが何度もエルサレムへ行ったように書いたのだろうか。 ヨハネ伝はいわゆる共観福音書と違って、初めからイエスは神であり永遠の命であり、歴史的時間に超然としたところがある。 「わたしはこの世に属していない」(ヨハネ8:23)のである。しかしイエスの言説は、神殿の広場でまた祭司たちが君臨しているエルサレムにおいて、いっそう際立ったであろう。イエス自身も実際エルサレムでは、気持ちが高揚したであろうと思われます。 これが何度もエルサレムに行って活動したイエスの場面を書いた理由であろうし、 ヨハネ流のこの世に現れたイエスの描写であったと思われます。
公開日2015年5月4日