こうしてイエスはエルサレムに来てから毎日神殿に行って、民衆に教えを説いていた。神殿の境内では 集まってくる民衆に対して、誰でも説教することが出来たのである。過越祭の前であったので、エルサレムは様々な地方から来た ユダヤ人であふれかえっていた。神殿では祭司たちや律法学者たちが、入れ替わり立ち代りやって来て、 何とかイエスから言質をとって逮捕の口実を作ろうとしていた。そこでイエスの受け答えも自ずから慎重になっている。
イエスの周りにはいつも群集が集まってきた。神殿の境内から商売人たちを追放した事件は、一気に市内を駆け巡り、エルサレムに 来るまでイエスを知らなかった異邦のユダヤ人たちにも広まっていたと思われます。この事件で、すでに危険人物であったイエスは、 決定的に神殿の祭司たちを敵にまわしたことになっただろう。大祭司の意図はすでに決まっていた。「一人の人間が民の代わりに死に、 国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」 ✽1 とする極めて政治的な判断である。イエスのまわりに集まる民衆が、 イエスを預言者、ヨハネの再来、またはメシアと信じることによって暴徒と化し、ローマに対する謀反に発展することを、 あるいはローマからそのようにとられることを恐れたのである。そこで祭司長たちは、イエスを告発する証拠を得るために、 何とかイエスから言質を取ろうとしていた。当時のローマの統治下では、ユダヤ人には死刑にする権限がないので、 反逆罪をでっちあげてローマ総督に訴え、死刑判決をしてもらう算段であった。
1113さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、 ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。14彼らは来て、イエスに言った。 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。 人々を分け隔てせず、 真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、 適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」15イエスは、 彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て 見せなさい」16彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」 と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、17イエスは言われた。 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(『マルコ伝』(11:13-11:17)
税を納めるのは律法にかなっているかどうかを問われて、イエスはデナリオン銀貨を持ってきなさいと言っている。 どの通貨でもよかったわけではない。当時様々な通貨が流通していたが、総督が発行する地方通貨や昔から流通していた小銭の 銅貨には、人物像が刻まれていなかった。神殿税を納めるのに使われたシケル銀貨(一枚は二人分に相当)には、 皮肉なことにヘラクレスの像が刻まれていたという。 そのような当時の様々な通貨のなかで、イエスは自分の意図に合うように、皇帝の像が刻まれた銀貨、 デナリオン銀貨を指定したのである。
イエスの答えは、言質の取りようがない見事なものだった。地上の論理と天上の論理を明確に分けて解答している。 聖職者にとって、神から離れた生活をしているとき、「神のものは神に返しなさい」という言葉はどきりと胸に 刺さるのである。ところで、われわれが神から預かっているものは、何だったであろうか。イエスは答える、 あなたのすべてだ、命も身体も。
エルサレムへ来て三日目のことである。
公開日2009年10月20日
更新2010年1月2日