源氏物語  手習 注釈

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横川に、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり 横川は比叡山塔の一つ。根本中堂の北約一里。『河海抄』は恵心僧都源信のことかとする。横川の恵心院に隠棲し、寛仁元年(1017)六月十日寂、七十六歳、寛和元年 (985)四月『往生要集』を著す。寛弘元年(1004)五月権少僧都に任ぜられ、翌年十二月、辞退した。
神などのために 神分じんぶんといって、祈祷の前に『般若心経』を読む。悪鬼邪神を退け、善神の加護を願う趣旨。
大将殿は、宮の御女持ちたまへりしは、亡せたまひて  大君のこと。亡くなったのは四年前のこと。
人に駆り移して 物の怪を憑座よりましに駆り移して。憑座よりましは暗示にかかりやすい若い女性がこれにあてられる。
おのれは、ここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は行ひせし法師の、いささかなる世に恨みをとどめて、漂ひありきしほどに、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、我いかで死なむ、と言ふことを、夜昼のたまひしにたよりを得て、いと暗き夜、独りものしたまひしを取りてしなり。されど、観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今は、まかりなむ 自分は、ここまで参って、このように調伏され申すべき身ではない。生前は、修業に励んだ法師で、わずかにこの世に恨みを残して、中有にさまよっていたときに、よい女が大勢住んでいられた辺りに住み着いて、一人は失わせたが、この人は、自分から世を恨みなさって、自分は何とかして死にたい、ということを、昼夜おっしゃっていたのを手がかりと得て、まことに暗い夜に、一人でいらした時に奪ったのである(渋谷)/ もう一人の方はとり殺したのだが。大君のこと。宇治の八の宮の山荘である。大君に物の怪がとりついていた形跡はない。この巻で、事情をこの物の怪の言うようなことに作りかえたのである(新潮)
かの夕霧の御息所のおはせし山 夕霧の巻で亡くなったので、こう呼んだもの。落ち葉の宮の母、一条の御息所。二人は、小野の山荘に移り住んだ。
身を投げし涙の川の早き瀬をしがらみかけて誰れか止めし 悲しみのあまり身を投げた涙川の早瀬を、柵(しがらみ)をかけて、誰が救ってくれたのでしょう(新潮)/ 涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを堰き止めて誰がわたしを救い上げたのでしょう(渋谷)
我かくて憂き世の中にめぐるとも誰れかは知らむ月の都に わたしがこうして情けないこの世に生き永らえているということも、都で誰が知りましょう(新潮)/ わたしがこのように嫌なこの世に生きているとも誰が知ろうか、あの月が照らしている都の人で(渋谷)
かやうの人につけて、見しわたりに行き通ひ、おのづから、世にありけりと誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと、いみじく恥づかしかるべし この人々がかって自分の知っていたあたりに出入りして(その口から洩れて)「見しわたり」は薫や匂宮のこと。自然に、まだ生きていたのだとどなたにもせよ知られ申したら、身の置き所もない思いがするだろう。
あながちに住み離れ顔なる御ありさまに、おこたりつつなむ ひたすら俗世を避けてお暮しのご様子と拝察いたしますので、ご遠慮申し上げまして。
水飯すいはん 姫飯ひめいい(釜で炊いた飯。甑で蒸した強飯(こわいい)に対しやわらかく炊いた飯)または干飯に水をかけたもの。冬の湯漬に対する。
桧皮色ひはだいろ 黒みがかった蘇芳(すおう)色。出家の人が多く着る。
前近き女郎花を折りて、「何匂ふらむ」 「ここにしも何にほふらむ女郎花人のもの言ひさがにくき世に」(『拾遺集』巻十七雑秋、房の前裁見に女どもまうで来れば 僧正遍昭)/ こんな尼の住まいにといぶかしむ思いを託す。「をみなへし 女にたとえてよむべし」(『能因歌枕』)/ 歌意、あるブログより。「ここにしも」とは、「こんなお寺に」ということ、また「さがにくき」とは、「口やかましい」ということである。 「日頃、女性などが訪れるところでもないのに、どうして香しい匂を漂わせ、艶やかな姿をした女性たち(女郎花)が、こんなにたくさんいられるのだろう。これでは、それでなくても口やかましい世間のこと、妙な噂がたってしまって、私には少々迷惑なのだが」 という心である。もちろん僧正遍昭の軽口である。 
人のもの言ひを、さすがに思しとがむるこそ 人の口の端をさすがに気になさるところは奥ゆかしい。歌の「人のもの言ひ」によって言う。中将の遠慮深い態度をほめる。/
あだし野の風になびくな女郎花我しめ結はむ道遠くとも 浮気な風に靡くなよ、女郎花わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども(渋谷)/ ほかの浮気な男の言いなりにならないでください。、私がわがものにしましょう、京からの道のりは遠くとも。(新潮)/ 浮気の風になびかないでおくれ。女郎花よ。わたしは自分のものにするつもりなのだ。ここまで遠い道ではあっても(玉上)/ 玉上註:この歌は、初めて女のところにやる歌としては、少し無遠慮というか、高飛車なところがある。親しい尼君の家にいる相手だというので、またどうせこんな寂しい山里にいる女だというので、中将は軽く考えているらしい。普通なら、女への最初の歌の中に「われしめゆはむ」というような言い方はしない。
移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花憂き世を背く草の庵に 引取りましてから、どうしたらよろしいものやら思いあぐねております、ここは(若い女にはふさわしくない)憂き世を背いた尼の住居ですので(新潮)/ ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です嫌な世の中を逃れたこの草庵で(渋谷)
待乳まつちの山 (浮舟は)誰かほかに思う人がいるのか、と思われます。「誰をかもまつちの山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」(『小町集』。『新古今集』巻四秋上、小野小町。歌意:誰を待つのか、待乳山の女郎花は。きっと秋にはと約束した人があるのでしょう『新日本古典文学大系11』
世に心地よげなる人の上は、かく屈じしたる人の心からにや、ふさはしからずなむ いかにも屈託なげに暮らしているといった人は。暗に今の妻、藤中納言の娘のことを言うのであろう。
心地よげならぬ御願ひは、聞こえ交はしたまはむに、つきなからぬさまになむ見えはべれど、例の人にてはあらじと、いとうたたあるまで世を恨みたまふめれば もの思わし気な女を妻になさりたいというお望みにつきましては、二人がいろいろお話し合いになるのに、不似合いではない人のように見えますけれども、女は出家したいと望んでいるほど、ひどく世を憂しと思っているので、
松虫の声を訪ねて来つれどもまた萩原の露に惑ひぬ 尼君がわたしをお待ちと思ってやって来ましたが、またつれないお方のために涙にくれます(新潮)/ 私を待つ松虫の声をさがしてここまで来たものの、また萩原の中で露に濡れて途方にくれてしまいました(玉上)//
秋の野の露分け来たる狩衣葎茂れる宿にかこつな 露の多い秋の野を分けて来たため濡れた狩衣なのにこの荒れはてた宿のせいにしないでください(玉上)/秋の野の露を踏み分けておいでになってその露に濡れた狩衣ですのに、葎の茂ったこのさびしい家のせいだとおっしゃってくださいますな(新潮)/ 秋の野原の露を分けて来たため濡れた狩衣は葎の茂ったわが宿のせいになさいますな(渋谷)
かく、はかなきついでにも、うち語らひきこえたまはむに、心より外に、よにうしろめたくは見えたまはぬものを。世の常なる筋には思しかけずとも、情けなからぬほどに、御いらへばかりは聞こえたまへかし こんなちょっとした折にも、親しくお相手なさっても、お気持ちに背いて、油断のならぬお振舞いをなさる方ではいらっしゃいませんのに、世間並みの色恋めいたこととはお考えにならずとも、ぶしつけにはならないていどに、お返事くらいはもうしあげなさいませ。
見えぬ山路にもえ思ひなすまじうなむ ここを「世の憂き目見えぬ山路」(世の中のつらいことのない山中)と思うわけにもまいりませぬ。「世の憂き目見えぬ山路に入らむには思ふ人こそほだしなれ」(『古今集』巻十八雑下、物部吉名)歌意:世間のつらさにあわないですむ山中に入いろうと思うにつけては、何をおいても愛する人がさし障りとなって、出家を妨げている。名歌名句鑑賞
深き夜の月をあはれと見ぬ人や山の端近き宿に泊らぬ この夜更けの月を風情ある者と見ない人が、(その月が入る)山の端に近いこの家にお泊りにならぬのでしょうか(新潮)/ 夜更けの月をしみじみと御覧にならない方が山の端に近いこの宿にお泊まりになりませんか(渋谷)
山の端に入るまで月を眺め見む閨の板間もしるしありやと では、山の端に沈むまで月を眺めておりましょう。その甲斐あって、お逢いすることもできましょうかと(新潮)「板間」は板葺屋根の板と板の隙間。/ 山の端に隠れるまで月を眺ましょうその効あってお目にかかれようかと(渋谷)
容貌いときよらにものしたまふめれど 原文「容貌いとけうらにものしたまふめれど」を訂正する。原文は、渋谷氏の「源氏物語の世界」も柴田氏の「源氏物語の世界」校訂本文差分も同じ。「けうら」を「きよら」に訂正。
忘られぬ昔のことも笛竹のつらきふしにも音ぞ泣かれける 忘れることのできない亡き妻のことにつけ、また姫君のつれないお仕打ちにも、声をあげて泣かれることでした(新潮)/ 昨夜は、あれこれと心が乱れましたので、急いで帰りました。   忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ声を立てて泣いてしまいました(渋谷)/ 忘れられない昔の人のことにつけ、つれないあの方のしうちにつけ、声をあげて泣いてしまいました(玉上)
笛の音に昔のことも偲ばれて帰りしほども袖ぞ濡れにし あなたの笛の音に亡き娘のことも恋しく思い出されて、お帰りのときにも涙に袖の濡れたことでございました(新潮)/ あなたの笛の音に昔のことも思い出されてきて、お帰りのあとも涙で袖がぬれました(玉上)/ 笛の音に昔のことも偲ばれましてお帰りになった後も袖が濡れました(渋谷)
人の心はあながちなるものなりけり 男の心というものはむやみといちずなものなのだ。
はかなくて世に古川の憂き瀬には尋ねも行かじ二本の杉 こうして頼りなくこの世に生きている私にとって初瀬には情けない思いでしかなく、(初瀬の)古川にほとりに立っている二本松の杉を再び尋ねて行く気にはなれません(新潮)/ はかないままでこの世に生き残りつらい思いをしているようではあの古川の二本の杉をたずねてゆきたくない(玉上)/ はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身はあの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある(渋谷)
古川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る あなたに昔どんな事情があったのか存じませんが、私はただあなたを亡くなった娘のように思っています(新潮)/ 古い川の杉の根もとのことー昔のあなたの生い立ちーは知らないけれど、なくなった人の代わりと思っています(玉上)/ あなたの昔の人のことは存じませんがわたしはあなたを亡くなった娘と思っております(渋谷)
心には秋の夕べを分かねども眺むる袖に露ぞ乱るる 私には秋の夕べのもの悲しさも格別分かっているわけではないけれど、もの思いに沈む袖に涙の露が乱れ落ちることでです(新潮)/ 私の心には秋の夕べのあわれもよく分からないのだが、物思いにふけっている私の袖に露が乱れ落ちてくる(玉上)/ わたしには秋の情趣も分からないが物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる(渋谷)
山里の秋の夜深きあはれをももの思ふ人は思ひこそ知れ 山里の秋の情趣も、もの思う人であるなら、よくお分かりのはずです(新潮)/ 山里の秋の夜更けのしんみりした心も、もの思いする人なら理解するものです(玉上)/ 山里の秋の夜更けの情趣を物思いなさる方はご存知でしょう(渋谷)
憂きものと思ひも知らで過ぐす身をもの思ふ人と人は知りけり 情けない身の上だということも分からず暮らしている私ですのに、そんな私を、もの思う人だと、人は思うのでした(新潮)/ 人の世をつらいものと考えもせずに暮らしているこの私を、物思う人だと他人のあなたには分かるんですね(玉上)/ 情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを物思う人だと他人が分かるのですね(渋谷)/
たまさかに尋ね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえし姉妹の御あたりをも、思はずにて絶え過ぎ  たまたまお近づきになって、うれしい頼もしいと思った中君とも、縁が切れたままになり。
さる方に思ひ定めたまひし人につけて  自分をしかるべく処遇しようと思い決めていらっしゃったお方(薫)のお陰で。
あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば  何もかもめちゃめちゃにしてしまったわが身の上をつくづく思うと。
宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞ、いとけしからぬ。ただ、この人の御ゆかりにさすらへぬるぞ 匂宮をすこしでもいとおしくお思いした料簡がいかにも不届きだった。この方とのご縁ゆえにみじめな境遇に落ちたのだ。
一品いっぽんの宮 今上の女一の宮。明石の中宮腹。匂宮の姉宮。
いみじかりし人の御ありさまなれば、「うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨もことわりに思ふに なるほど、あのような重態の有様だったこの人のことだから、俗の姿のままでは、この世でお暮しになるのもよくはあるまい、と阿闍梨ももっともに思う。宇治の院でのことを思い出し、僧都と同じように悪霊の祟りを恐れる。
流転三界中るてんさんがいちゅう 前の礼拝に続いて。師僧がまず唱え、出家者に唱えさせる偈。「流転三界中るてんさんがいちゅう恩愛不能断おんあいふのうだん、 棄恩入無為きおんにゅうむい真実報恩者しんじつほうおんしゃ」。三界(衆生の輪廻する欲界、色界、無色界)に流転して、恩愛は断つことはできないが、恩を捨てて無為に入るのが、真実の報恩である。の意。逸経『清信士度入人経』の偈。
世に経べきものとは、思ひかけずなりぬるこそは これでもうこの世で普通に過ごさなくてはならないといったことは考えなくてもすむことになったのは。
なきものに身をも人をも思ひつつ捨ててし世をぞさらに捨てつる この世にないものと我が身をも人をも思って、捨ててしまったこの世を、また改めて捨ててしまったことだ(新潮)/ なき物とわが身をも人をも思い詰めて捨てて来たあの生活を、さらに再びこうして捨てたのだ(玉上)/ 死のうとわが身をも人をも思いながら捨てた世をさらにまた捨てたのだ(渋谷)
限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな もうお終いだと思い決めてしまった世の中を、重ね重ね(駄目押しをするように)捨てて尼になったことだ(新潮)/これが最後だという気になっていた世の中を二度も繰り返して捨てたのだ(玉上)/ 最期と思い決めた世の中を繰り返し背くことになったわ(渋谷)
岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に乗り遅れじと急がるるかな この世の迷いを離れて遠く悟りをお 目指しであろうあなたに、私も遅れまいと心せかされることです(新潮)/ この世の岸から彼岸へと遠く漕ぎ離れていっているらしい尼の舟に、私も乗り遅れまいと気がせきます(玉上)/ 岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟にわたしも乗り後れまいと急がれる気がします(渋谷)
心こそ憂き世の岸を離るれど行方も知らぬ海人の浮木を 心だけはこの憂き世の岸を離れておりますけれども、この先どうなるかも分からない頼りない身の上です(新潮)/ 心ばかりはつらいこの世の岸を離れましたが、先がどうなるかも分からない、このあまの小舟ですのに(玉上)/ 心は厭わしい世の中を離れたがその行く方もわからず漂っている海人の浮木です(渋谷)
この人にぞのたまはすれど 宰相の君。薫との仲を知っているので言う。
いづ方にも隠すべきことを、定めてさならむとも知らずながら、恥づかしげなる人に、うち出でのたまはせむもつつましく思して どちらにしても(浮舟も薫も)世間に秘密にしておきたいであろうことを、(はづかしげなる人に)(= 「こちらが気おくれするほど立派な人に」=薫に)こちらから口出しして仰るのも憚られる思いがして。以下中宮の心中。
木枯らしの吹きにし山の麓には立ち隠すべき蔭だにぞなき 木枯らしが吹き過ぎてしまった山の麓には、身を隠せる木陰もございません。浮舟も出家しましたので、あなたをお泊めするすべもございません(新潮)/ 木枯らしが吹きすさんだこの山の麓にはもう姿を隠す木の蔭もありません。-あの方も出家してしまい泊まっていただく所もございません(玉上)/ 木枯らしが吹いた山の麓ではもう姿を隠す場所さえありません(渋谷)
待つ人もあらじと思ふ山里の梢を見つつなほぞ過ぎ憂き 私を待ってくださる人もあるまいと思うこの山里の木々の梢を見ながらも、それでもこのまま通り過ぎる気にはなりません(新潮)/ 待っていてくれる人もあるまいと思うこの家の付近の梢を見ながらも、やはり素通りしにくいのです(玉上)/ 待っている人もいないと思う山里の梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです(渋谷)
忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ 世間に知られぬように、やはり自分の物にしてしまおう(新潮)/ 人目を忍んでいる様子なので、やはり自分の物にしてしまおう(渋谷)/ 人目につかないふうにして、やはり自分の物にしてしまおう(玉上/
さ聞こえそめはべるなれば、さらに変はりはべらじ そのような(色恋抜きの)お付き合いをするようになりましたならば、必ずや変わることなくしてさし上げるつもりです。
人に知らるべきさまにて、世に経たまはば 人と付き合うような普通の有様でお暮しならば(新潮)/ 人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら(渋谷)/ 人に知られるようなふうにしてお暮しになるのなら、(玉上)
おほかたの世を背きける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ / (私を嫌ってではなく)ただなべてのこの俗世に背いて出家されたあなたですけれども、しかし、その嫌うということにつけて、何か私が嫌われたようでわが身が恨めしく思われます(新潮)/ 一般の世間を厭って出家されたあなたですが、私を避けることにかこつけなさって、この身がつらいです(玉上)/ 一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですがわたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます(渋谷)
かきくらす野山の雪を眺めても降りにしことぞ今日も悲しき 空を暗くして降る野山の雪を悲しく眺めても、ずっと昔のことが今日も悲しく思い出される(新潮)/ 降りしきる野山の雪を見つめていても過ぎ去ったあの当時の出来事が今日も悲しく思い出される(玉上)/ 降りしきる野山の雪を眺めていても昔のことが今日も悲しく思い出される(渋谷)
山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひ先の頼まるるかな 山里の雪を分けて生い出た若菜を摘んでお祝いして、やはりあなたの行く末に望みが持たれることです(新潮)/ 山里の雪の中の若菜を摘んでこうして珍しがり、出家姿とはいえ、やはりあなたの将来を楽しみに思います(玉上)/ 山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝ってはやはりあなたの将来が期待されます(渋谷)
雪深き野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年も摘むべき 雪深い野辺の若菜も、今からはあなた様のご長寿を祈って摘むことにいたしましょう。あなた様のために私も生き永らえましょう、の意も兼ねる(新潮)/ 雪の深い野辺の若葉も、今後は、あなたのためにといつまでも摘みましょう(玉上)/ 雪の深い野辺の若菜も今日からはあなた様のために長寿を祈って摘みましょう(渋谷)
袖触れし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぼの 袖を触れた人(匂宮)の姿は見えないけれども、花の香はその人の袖の香かと思われるほど匂ってくる春の曙です(新潮)/ 袖を触れた人の姿は見えないけれど、花の香があの人かと思うほど匂ってくる、この春の夜明けだこと(玉上)/袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香があの人の香と同じように匂って来る、春の夜明けよ(渋谷)
見し人は影も止まらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあへず 親しんだ人は姿もとどめない水の上に、落ちそう悲しみの涙は、いよいよ堰きとめることも叶わない(新潮)/ あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面にいっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ(渋谷)
女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ 女なら誰しも、ただもうすばらしいお方とお思い申し上げるに違いありません。
一の所 最高の権力者。摂関家。ここでは夕霧をさす。
我もまた初めよりありしさまのこと聞こえそめざりしかば、聞きて後も、なほをこがましき心地して、人にすべて漏らさぬを、なかなか他には聞こゆることもあらむかし 自分としても、はじめからの浮舟失踪のいきさつについて、中宮に申し上げないでしまったことなので。匂宮が絡むからである。こうして小宰相から浮舟の話を聞いた上でもなお自分が笑い者になるような気がして、誰にも一切話していないのだが、かえってはたではいろいろ噂も立っているに違いない。
『さなのたまひそ』など聞こえおきたまひければや (匂宮は)そんなお積りで、(中宮に)「それとはおっしゃいますな」(薫には隠しておいてほしい)などと申し上げておかれたので。/ 『そのようなことをおっしゃるな』などと、申し上げおきなさったせいであろうか(渋谷)
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公開日2021年5月3日