筝の琴 箏の琴にについては、
こちらのサイトに詳しい紹介があります。「箏」と「琴」は異なる楽器なのです、と言っております。現在われわれが知る「こと」は、元来、筝のことといわれていたもので、柱(じ)があって、右手に爪をつけて演奏するもの、琴は、キンのこと、と呼ばれ、爪や柱は用いず、徽(き)と呼ばれ目印があって、これを左手で押さえ右手で弦をはじいて音を出すのだそうです。また、「こと琴」は楽器の総称として使われました。
君にとてあまたの春を摘みしかば常を忘れぬ初蕨なり 亡き宮様にはと長年、春には献上いたしておりましたので、いつも通りの初蕨をさしあげました(新潮)/ わが君にと思って毎年毎年の春に摘みましたので今年も例年ど
おりの初蕨です(渋谷)
この春は誰れにか見せむ亡き人のかたみに摘める峰の早蕨 今年の春は(姉君も亡くなり)誰にお見せしましょう、亡き父宮の形見としてお摘みくださった峰の早蕨を(新潮)/ 今年の春は誰にお見せしましょうか亡きお方の形見として摘んだ峰の早蕨を(渋谷)
折る人の心にかよふ花なれや色には出でず下に匂へる 手折るあなたのお心に似た花なのでしょうか、おもてにはあらわさず、ひそかに(中の君を)お思いなのでしょう(新潮)/ 折る人の心に通っている花なのだろうか表には現さないで内に匂いを含んでいる(渋谷)
見る人にかこと寄せける花の枝を心してこそ折るべかりけれ ただ見て楽しんでいる私に言いがかりをお付けになる。そんな厄介な花の枝なのでしたら、折るのも気をつけなくてはなりません(新潮)/ 見る人に言いがかりをつけられる花の枝は注意して折るべきでした(渋谷)//
はかなしや霞の衣裁ちしまに花のひもとく折も来にけり 月日がたつのは早いものです、姉君の喪服を着られたかと思うと、もう春の花々の咲く、美しいお召しものにお着替えになる徐服のときがやって来ました(新潮)/ 早いものですね、霞の衣を作ったばかりなのにもう花が綻ぶ季節となりました(渋谷)
「春や昔の」 「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(『古今集』巻十五恋五、在原業平。『伊勢物語』月も春も同じではないのか、昔と変わってしまったのか、わが身だけは元のままなのに。/私だけは以前の私であるのに、この月はあの時の月ではない、この春はあの時の春ではない、あの人は以前のあの人ではない。
見る人もあらしにまよふ山里に昔おぼゆる花の香ぞする (私が京に移ってしまえば)もう見る人もいないでしょうに、嵐に吹き乱されるこの山荘に、亡き人が偲ばれる梅の花の香がします(新潮)/ 花を見る人もいなくなってしまいましょうに、嵐に吹き乱れる山里に昔を思い出させる花の香が匂って来ます(渋谷)
袖ふれし梅は変はらぬ匂ひにて根ごめ移ろふ宿やことなる かって賞玩した梅は昔に変わらぬ匂いうを放っていますが、あなたがすっかりお移りになってしまうお家は、もう(ここならぬ)別の所なのでしょうか(新潮)/ 昔賞美された梅は今も変わらぬ匂いですが根ごと移ってしまう邸は他人の所なのでしょうか(渋谷)
容貌も変へてけるを 髪を短く、尼姿になってしまったのを。
さきに立つ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならまし 老いの身には何よりも涙が先立つことですが、その涙の川に身を投げましたら、姫君に死に後れることもありませんでしたのに(新潮)/ 先に立つ涙の川に身を投げたら死に後れしなかったでしょうに(渋谷)
身を投げむ涙の川に沈みても恋しき瀬々に忘れしもせじ わたしも、あなたが身を投げるという涙の川の深みに沈んだところで、いつも恋しく思われて亡き人を忘れることはないでしょう(新潮)/ 身を投げるという涙の川に沈んでも恋しい折々を忘れることはできまい(渋谷)
人はみないそぎたつめる袖の浦に一人藻塩を垂るる海人かな ほかの人は皆、お引越しの晴れ着の支度に余念がないようですが、その中でただひとり悲しみの涙に暮れている尼の私でございます(新潮)/ 人びとは皆準備に忙しく繕い物をしているようですが一人藻塩を垂れて涙に暮れている尼の私です(渋谷)
塩垂るる海人の衣に異なれや浮きたる波に濡るるわが袖 涙にくれる尼のあなたの衣と違うところがありましょうか、寄るべもないこれからの暮らしを思って涙に濡れるわたしの袖なのです(新潮)
/ 藻塩を垂れて涙に暮れるあなたと同じです浮いた波に涙を流しているわたしは(渋谷)
大輔の君 中君の側近の女房。/div>
ありふればうれしき瀬にも逢ひけるを身を宇治川に投げてましかば 長らえていればこそ、こんなうれしい時節にもめぐりあえましたのに、世をはかなんでこの宇治川に身を投げていましたら・・・(新潮)/ 生きていたので嬉しい事に出合いました身を厭いて宇治川に投げてしまいましたら(渋谷)
過ぎにしが恋しきことも忘れねど今日はたまづもゆく心かな 亡くなった姫君を恋しく思う気持ちも忘れはしませけれども、今日のお引っ越しは何をさしおいてもうれしく存じられます(新潮)/ 亡くなった方を恋しく思う気持ちは忘れませんが今日は何をさしおいてもまず嬉しく存じられます)(渋谷)
眺むれば山より出でて行く月も世に住みわびて山にこそ入れ わが身のこれからを思うと山から出て空を渡る月も、結局、この世に住むに堪えかねて再び山に沈んでゆくのでした(新潮)/ 考えると山から出て昇って行く月もこの世が住みにくくて山に帰って行くのだろう(渋谷)
様変はりて それに引き替え、あろうことか、今、宇治の山里を離れ去ろうとしている自分は。
しなてるや鳰の湖に漕ぐ舟のまほならねどもあひ見しものを ほんとうに契りを結んだわけではないけれども、一夜の共寝はした人だのに。上の句は「まほ」にかかる序詞(新潮)/ しなてる琵琶湖の舟の真帆ではないけれども、まともにではなかったけれども会った事もあったのに(玉上)「鳰の海(におのうみ)」琵琶湖のこと。
さもやなしてまし いっそ婿にしてしまおうか。
例の、いかにぞやおぼゆる心の添ひたるぞ、あやしきや 例のよって、どうかと思われる(不埒な)気持ちがぬぐい切れないのは、おかしなことだ。薫の気持に密着した書き方の草子地(新潮)/ 例によって、ただではいられない気持ちがしてくるのは、困ったこと(玉上)
げに、おはせましかば、おぼつかなからず行き返り ほんとに、姉君がご生存で薫と結婚しておいでだったら。いつも心おきなく行き来して。中君の思い。
公開日2020年11月23日