40 御法
薪こる讃嘆の声も 法華八講で、五巻を講ずる日に参集の僧俗が、「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(『拾遺集』巻二十哀傷、大僧正行基)を唱えて行道すること。
三の宮 匂宮をお使いに。紫の上の許で育てられている。
惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなむことの悲しさ惜しくもない 惜しくもないわが身ですが、これを最後として、命の尽きますことが悲しいです(新潮) 惜しくないこの身と存じながらも これを最後として薪の尽きることを思うと悲しいです(玉上)
絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを もうこれで、私がこの世で催す法会は最後と存じますが、この法会の結縁によって生々世々結ばれたあなたとのご縁が頼もしく思われます(新潮) これがわたしのこの世で催す最後の御法とは思いますものの、それでもこの日によって結ばれた生々世々にかけてのあなたとの宴は頼もしく思います(玉上)
結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなき御法なりとも 結構な法会で結ばれましたわたしたちのご縁は、後の世まで絶えることはございますまい、たいていの者には、残り少ない命とて、多くは催せない御法でありましょうとも。(新潮) 世間普通の御法でございましても、そこで結ばれたご縁は深いものでございますものを、まして今日のこの盛大な御法で結ばれましたわたしたちの中は、後の世まで絶えることはございますまい(玉上)
あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる
①あたらし〔可惜し〕(アタラはアタル(当たる)と同根か。アタは相当する意。対象の立派さ、すばらしさを認め、その立派さに相当する状態にあればよいのにと思う気持ちを表す。平安時代以後「新(あらた)し)」と混同した)1.このままにしておくのは惜しい。惜しむべきである。もったいない。(古事記上)「田の畔(あ)離ち、溝を埋むるは、地(ところ)をー・しとこそ」2.(そのままにしておくのは惜しいほど)立派だ。すばらしい。(玉鬘)「着こめ給へる髪の透影、いとー・しくめでたく見ゆる」
②あたらし・い(新しい)(今までなかった、または今までと異なった状態をいう)1.初めてである。枕草子「-・しう参りたる人々」2.できたり起こったりして間がない。使い古されていない。枕草子「削り氷(ひ)にあまづら入れて、-・しきかなまりに入れたる。3.生き生きしている。新鮮である。④今までにないものや状態である。⑤改めたあとの状態である。/ あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる→もったいなく悲しいご様子と、註釈にある(新潮日本古典集成)。これは、②の意味で、(紫上が)今までにない悲しい様子、という意味ではないのか。病状の様子が今までなかった様子と言っているのではないか。管理人。
名対面 行啓供奉の公卿などが、入御ののち名を名乗ること。
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露 起きていると見えましてもはかない命、ややもすれば吹く風に乱れる萩の上露と同じでございます(新潮) こうして起きていると見えますのもしばらくの間のこと、すぐに吹く風で乱れる萩の上露の、わが身でございます(玉上)
ややもせば消えをあらそふ露の世に
後れ先だつほど経ずもがな どうかすると先を争って消えてゆく露、その露にも等しいはかない人の世に、せめて遅れ先立つ間を置かずに、一緒に消えたいものです(新潮) どうするかと先を争って消えてゆく露、その露にも等しいはかない命なら、せめて遅れ先立つ間を置かず、一緒に消えたいものです(玉上)
秋風にしばしとまらぬ露の世を
誰れか草葉のうへとのみ見む< 秋風とともに暫しもとまらず散ってしまう露の命を誰が草葉の上のことだけと思いましょう、人の世も同じこと(玉上) 秋風にしばらくの間もとまらず散ってしまう露の命を、誰が草葉の上のことだけと思いましょう(新潮)
御もののけなどの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。さらば、とてもかくても、御本意のことは、よろしきことにはべなり。一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなり果てさせたまひて、後の御髪ばかりをやつさせたまひても、異なるかの世の御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ 物の怪などが、これも人の心を悩まそうとして、よくこんなことになるようですから、あるいはそんなことでいらっしゃるのかもしれません。それなら、いずれにせよ、念願のご出家のことは、結構なことと存じます。たとえ一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効験は必ずあると聞いております。しかし、こときれておしまいになりましてから、後で、髪をおろしても、後の世の安楽の功徳にならないでしょうから、目前の悲しみばかり増すようで、いかがなものでしょうか。/ (夕霧は)「物の怪などが、これも、人のお心を乱そうとして、このようにばかりなるもののようですから、(もしかすると)そのようなことでいらっしゃるのでしょうか。
それならば、いずれにせよ、出家したいという願いのことはよいことだと聞いております。
一日一夜でも出家したことによる効果は、無駄ではないときいていますが、本当に亡くなられてしまわれて後で御髪だけを剃髪なされても、現世と異なる来世への明るい道しるべにもおなりにならないでしょうに、目の前の悲しみばかりが増すようで、いかがなものでございましょうか。」(website
四季の美から)
とかくうち紛らはすこと、ありしうつつの御もてなしよりも、いふかひなきさまにて、何心なくて臥したまへる御ありさまの< 何かと、気を配って取りつくろわれることのあった生前のご様子よりも、もう全く正体もない有様で、無心に横たわっているいらっしゃるお姿が、
いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明けぐれの夢 昔、ほのかにお姿を拝した秋の夕べが恋しいにつけ、ご臨終の、明けぐれの光にお顔を拝した夢のようなできごとよ(新潮)/昔、お姿をかいま見た秋の夕べがたまらなく恋しいのに、あのご臨終のとき、薄暗がりの中で拝見した夢のようなお姿(玉上)
いにしへの秋さへ今の心地して
濡れにし袖に露ぞおきそふ 遠い昔の秋の悲しみも、あらためて思い出されまして、(紫の上の死の)悲しみの上にまた涙を落しています(新潮)/ 昔の秋のことさえ今日この頃の気がし、(紫の上の死の)悲しみに添えてまた、袖に涙を重ねております(玉上)
露けさは昔今ともおもほえずおほか
玉上た秋の夜こそつらけれ 悲しみの涙は昔の時も今も、どちらがどちらということはない。大体秋の季節がたまらないのです(玉上)/ 悲しみは昔も今も変わりがあるようには思えません、大体、秋の夜がたまらない思いがするのです。
冷泉院の后の宮 秋好む中宮。
枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の秋に心をとどめざりけむ 枯れはてた野辺の風情をお嫌いになって、亡きお方は、秋に心を寄せなかったのであろうか(新潮)/ この枯れはてた野辺を嫌って、故人は秋を嫌いになったのでしょうか(玉上)
今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふ折多かるを、はかなくて、積もりにけるも、夢の心地のみす (悲しみのあまり)もう今日が最後かと、源氏ご自身の死の覚悟のされる時が多いのだが、いつのまにか月日がたってしまったのも、まるで夢のように思われる。
公開日2020年8月10日