内裏に聞こし召さむこともかしこし このことが帝のお耳に入ることも恐れ多い。源氏が髭黒に注意する言葉。玉鬘は典侍として十月に出仕が予定されていたのに、髭黒が通ってくるようになったからである。
おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく思ふ 深い前世の縁を、しみじみと嬉しく思うのだった。
石山の仏をも 石山寺の本尊。如意輪観音。髯黒が玉鬘を手に入れるべく祈願した趣き。
弁の御許をも 玉鬘づきの女房。髯黒の手紙の取次ぎをしいていたが、手引きをしたとおぼしい。
深くものしと疎みにければ /「ものし」(物し)物々しく厭わしい。不愉快である。
え交じらはで籠もりゐにけり 弁のおもとは出仕もできずに、自宅に謹慎しているのだった。
げに、そこら心苦しげなることどもを、とりどりに見しかど、心浅き人のためにぞ、寺の験も現はれける。 本当に、今までたくさんの気の毒な例を、いろいろ見てきましだが、弁のおもとのような無考えな人にとって、お寺の効験もあるものでした。えてして無考えな女房の手引きが成功し、女君が不本意な目にあうものだという意味の草子地。「心浅き人」玉鬘が愛情をもたない人
帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり 帝と言っても、人より軽くみなして、ほんのたまさかのお情けにあずかって、重々しいお扱いをなさらないとしたら。軽率な出仕ということにもなりかねないのだった。」
なまほの好いたる宮仕へに出で立ちて
生半可なちょっと色めいた宮仕えに出て。尚侍は一般論ではあるが、帝寵を受けるのがと卯じの慣習で、後宮出仕と変わらぬ点があるのでこういう。
口惜しう、宿世異なりける人なれど、さ思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならばこそは、思ひ絶えたまはめ 残念だ。わたしとは縁のなかった人だが、髯黒を夫としたことを言う。「さおぼしし本意ももあるを」「おぼしし」の主語は帝。一旦そうと思ったことでもあるから。「かけがけしき筋」男女のこと。男女のことならあきらめもしよう。髯黒との結婚は承知の上で尚侍として勤めよ、と帝はおお仰せられる。
かけかけしき筋ならばこそは 「かけがけし」(多くは男女間にいう)心にかけている。色事めいている。
尚侍の君は 玉鬘は。六条の源氏邸にいる玉鬘の処へ決裁を求めて女官たちが足しげく来るのである。
兵衛督 式部卿の宮の子息。玉鬘の恋人とし出てくる。紫の上の異母兄弟。姉が髯黒の北の方。
心もてあらぬさまはしるきことなれどど 自分から進んで髯黒とこんなことになったのではないことは衆知の事であるが。
いとほしう人びとも思ひ疑ひける筋を 「いとほし」①見ていられないほど気の毒である。いたわしい。②困ったことである。
(源氏も)困ったものだと人々が疑っていた筋を、潔白であったこと明らかにして。
わが心ながら、うちつけにねぢけたることは好まずかし 自分の心中でも、その場限りの間違ったことは好まないのだ。行き当たりばったりのおかしなことはできない性分だ。
今さらに人の心癖もこそ」と思しながら、ものの苦しう思されし時、「さてもや」と、思し寄りたまひしことなれば、なほ思しも絶えず 今さら恋にひかれる自分の性格が出ても困ると思いながらも、気持ちを抑えかねてつらかった時、わが物にしようかと、思ったこともあったので、未だに忘れかねている。
らうたいことの添ひたまへるにつけても 「らうたし」可愛らしい。可愛らしさが加わって。経験により洗練される。上品になる。
おりたちて汲みは見ねども渡り川
人の瀬とはた契らざりしを あなたと立ち入っての親しい仲にはなりませんでしたが、あなたが三途の川渡る時、他の男 に導かれて渡るとはお約束しなかったはずですのに。「(わたり川)は、冥土に渡る三途の川。はじめて逢った男に背負われてこの川を渡るという俗信による。(新潮)/立ち入った関係はなかったが三途の川を渡るとき、あなたを他の人に任せようとは思わなかった。(玉上)
みつせ川渡らぬさきにいかでなほ
涙の澪の泡と消えなむ 三途の川を渡らぬ前に、どうかぜひとも、悲しみの涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです。(新潮)/ 三途の川を渡る前に涙でできた泡となって消えてしまいたい。(玉上)
まめやかには、思し知ることもあらむかし まじめな話、あなたにも思い当たることがあるでしょう。
世になき痴れ痴れしさも おはなしにならぬ、わたしの間抜けさ加減も、。機会がありながら手出しをしなったこと。
内裏にのたまはすることなむいとほしきを 帝が残念がっているのも、お気の毒なのに。
なほ、あからさまに参らせたてまつらむ。おのがものと領じ果てては、さやうの御交じらひもかたげなめる世なめり やはり、ほんのちょっと出仕なさるように取り計らいましょう。(髯黒が)自分のものと家に閉じ込めては、尚侍として出仕なさることもむつかしい御身でしょう。「あからさま」一時的に。ちょっと。
思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど、二条の大臣は、心ゆきたまふなれば、心やすくなむ 最初わたしがあなたについて考えていた心積りは、外れたことになりましたが。
しか今めかしき人を渡して、
もてかしづかむ片隅に、人悪ろくて添ひものしたまはむも、人聞きやさしかるべし もうこうなっては、そのような若い女(玉鬘)を迎えて、ちやほやする邸の片隅に、(北の方が)体裁悪く一緒にいられるのも、外聞の悪いことだろう。「やさし」肩身が狭い。恥ずかしい。
住まひなどの 以下髭黒の邸うちのさま。北の方の病気のため、家庭も荒廃している趣。
昨日今日の、いと浅はかなる人の御仲らひだに、よろしき際になれば、皆思ひのどむる方ありてこそ見果つなれ 昨日今日の浅い夫婦の仲でも、ある程度の身分の人となると、皆互いに我慢しあって添い遂げるものです。「のどむ」ゆるめる。控え目にする。のどかにする。
見たてまつり果てむとこそは、ここら思ひしづめつつ過ぐし来るに 最後まで見捨てずに添い遂げようと、日頃我慢してき過ごしてきたのに。
えさしもあり果つまじき御心おきてに、思し疎むな とてもそうはいかないような、お考えで(添い遂げることなく、二人が別れなければならないようなる)、わたしをお嫌いになることは、やめてください。
ひとわたり見果てたまはぬほど、さもありぬべきことなれど、まかせてこそ、今しばし御覧じ果てめ 一通り事が落着するまで、見届けないうちは、お恨みになるのももっともですが、静観してもうしばらくの間結果を見届けてください。
いとねたげに心やまし /いかにも自分勝手で面白くない。北の方の思いを書いたもの。「ねたげ」こちらがしゃくに思うような相手の様子。
憂き身のゆかり軽々しきやうなる 情けないわが身父宮に傷がつくと思われます。
耳馴れにてはべれば、今はじめていかにもものを思ひはべらず あなたの悪口はもう聞きなれておりますから、私は今さらなんとも思いません。
宮の御ことを、軽くはいかが聞こゆる。恐ろしう、人聞きかたはになのたまひなしそ」とこしらへて、 父宮のことを、何でないがしろに申しあげましょう。滅相もない。人聞きの悪いことをなさるな。
人の御つらさは、ともかくも知りきこえず あなたのひどい仕打ちは、どうこう申し上げません、玉鬘のことは直接関係のないことだ。あなたのお仕打ちは、どうこうと申しません。
大殿の北の方と聞こゆるも、異人にやはものしたまふ 大殿(源氏)の北の方と申し上げる方(紫の上)もわたしにとっては他人でいらっしゃるでしょうか。北の方にとって紫の上は、腹違いの妹に当たる。
末の世に、かく人の親だちもてないたまふつらさをなむ、思ほしのたまふなれど、ここにはともかくも思はずや わたしの晩年に及んで、小んなふうに玉鬘の親のような顔をなさるのはひどい、私は別になんとも思いません。
憎げにふすべ恨みなどしたまはば、なかなかことつけて 憎らしげに嫉妬して恨みなさるのなら、かってそれを口実にして、「ふすべ」ふすべる。いぶす。くすぶる。煙をたたせる。
われも迎ひ火つくりてあるべきを こちらも対抗戦場腹を立てることも出来たの「迎え火」
野火を防ぐためこちらからつける火。
今は限り、とどむとも」と思ひめぐらしたまへるけし もうおしまいだ。止めても無駄だろう。
「
いかで過ぐしつる年月ぞ」と、「名残なう移ろふ心のいと軽きぞや」とは思ふ思ふ 「どうして今までの年月、疎遠に過ごしてきたのか、すっかり玉鬘に夢中になった自分の気持ちが、いかにも移り気なものか、と思うものの。
人のややみあふるほどもなう 人驚いて払いのけるひまもなく。
心違ひとはいひながら、なほめづらしう、見知らぬ人の御ありさまなりや 乱心のなせるわざとはいいながら、何ともひどい、今までにない北の方の所業であることとよ。,
心さへ空に乱れし雪もよに
ひとり冴えつる片敷の袖< 心まであれこれ迷って乱れた雪の降る中、独り寝の冷たい片敷きの袖でした(新潮)
ひとりゐて焦がるる胸の苦しきに
思ひあまれる炎とぞ見し 北の方がひとり邸に取り残されて思い焦がれる胸の苦しさの炎とお見うけします。(新潮)
憂きことを思ひ騒げばさまざまにくゆる煙ぞいとど立ちそふ 昨夜のことに、心が騒ぐと、北の方と連れ添ったことが、いろいろと後悔される。【新潮)
いとことのほかなることどもの、もし聞こえあらば、中間になりぬべき身なめり まったくとんでもないあの夜の騒ぎが漏れたら、私は(玉鬘にも嫌われて)どっちつかずの身になってしまう。「中間」どっちつかずの立場。
心憂ければ、久しう籠もりゐたまへり 北の方のことを思えば気が滅入るので、ずっと玉鬘のところに居続けた。
しかかけ離れて、もて出でたまふらむに そのようにはっきりよそよそしい態度を示しているので あれば・・・,
心強くものしたまふ、いと面なう人笑へなることなり 無理にこの邸にとどまっているのは、不面目にも物笑いになります。
おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか従ひくづほれたまはむう。
わたしが生きている限り、そう一途に、どうして相手の言いなりになっていられることがあろ
世の中をあさましう 「世の中」男女の仲。
年ごろならひたまはぬ旅住みに、狭くはしたなくては、いかでかあまたはさぶらはむ 今までなさったこともない余所のお暮らしに、手狭で気の置けることでは、どうして大勢はお仕えできましょう。父邸の住いを「旅住い」といった。
今はとて宿かれぬとも馴れ来つる
真木の柱はわれを忘るな もうこれっきりとこの家を去ってしまっても、日頃寄り添ってきた真木の柱はわたしを忘れないでくれ。(新潮)
馴れきとは思ひ出づとも何により
立ちとまるべき真木の柱ぞ 馴れ親しんだ真木の柱は思い出してくれるにしても、今さら何でわたし達がこの邸にとどまることがありましょうか。(新潮)
ともかくも岩間の水の結ぼほれ
かけとむべくも思ほえぬ世を なんとも申しようもなく、悲しみ」に心も閉ざされてわたしもいつまでこの邸にいられますことやら。(新潮)「かけとむ」(かけとfどめる)/ どんなことになるやらなんとも言われませんが、岩間の水は乱れて影を映さずわたしの心は乱れて、いつまでここにいられようとも思われません(玉上)
浅けれど石間の水は澄み果てて
宿もる君やかけ離るべき 殿と浅いご縁のあなたはここに残って、北の方は立ち去ることがあってよいものでしょうか。(新潮)/ 石の間にたまった水は浅いけれど、その水は最後まで澄んでいて、縁の浅いあなたが住んでいて、邸を守るはずの奥様が出ていらっしゃることがあろうか。(玉上)
人一人を紫の上のこと。
すずろなる継子かしづきをして<女御をも、ことに触れ、はしたなくもてなしたまひしかど 女御は式部卿の女、王女御」のこと。立后に誰が立つかということになって、秋好む中宮と弘徽殿、王女御が争ったが、秋好に決定した。
すずろなる継子かしづきをして 見当違いな継娘の世話に身を入れて。玉鬘のこと。
。
おのれ古したまへるいとほしみに 自分が手を付けてもうあきたのがかわいそうなので。/自分が慰みものにした罪滅ぼしに、
実法なる人のゆるぎどころあるまじきをとて、取り寄せもてかしづきたまふは 浮気などしそうにない律義者を、呼び寄せて婿にする。
いたづら人 役を離れた人。用のない人。廃人。
何か。ただ時に移る心の、今はじめて変はりたまふにもあらず。年ごろ思ひうかれたまふさま、聞きわたりても久しくなりぬるを、いづくをまた思ひ直るべき折とか待たむ なんの、(お会いになることはない)ただ時世におもねる気持ちなのだから、今になってはじめて心変わりしたのではない。ずっと以前から玉鬘にうつつをぬかして久しいのだから。宮は、源氏におもねって玉鬘の婿になったと思っている。
いとどひがひがしきさまにのみこそ見え果てたまはめい/ (髯黒に北の方が)いっそうひどい姿を見せて終るだけのことでしょう。
若々しき心地もしはべるかな。思ほし捨つまじき人びともはべればと、のどかに思ひはべりける心のおこたりを まったく年甲斐もなかった。若い夫婦の悋気沙汰のような気がする。思い捨てにはなれない子どももいることだし、のんびり構えておりました。
公人を頼みたる人はなくやはある 公職を持つ人を妻にしている人もない訳ではない。
男踏歌 正月十五日におこなわれる行事。
御方々、いづれとなく挑み交はしたまひて、内裏わたり、心にくくをかしきころほひなり 「御方々」令泉帝の後宮の方々。どなたもどなたも競い合われて宮中は奥ゆかしきくはなやかなご時勢である。それぞれの後宮が風雅を競うのである。
中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、左の大殿の女御などさぶらひたまふ。さては、中納言、宰相の御女二人ばかりぞさぶらひたまひける。 「中宮」は秋好中宮(源氏の養女)、「弘徽殿女御」は内大臣(頭の中将)の姫君、「この宮の女御」は、式部卿の娘、「左の大殿の女御」系図不詳の左大臣の娘。このように錚々たる重鎮の娘たちが冷泉院の女御に入っていることを言っている。さらに、中納言の姫君と参議の姫君が更衣でいるのである。
春宮の女御 春宮の御母女御。朱雀院の
女御で承香殿の女御と申した方、髯黒の妹。東宮とともに、梨壺におられる。
あまりすがすがしうや (
今夜は)あまりに急なことでございましょう。
司の御曹司 /「宿直所」のこと。「司」は右近衛門。
深山木に羽うち交はしゐる鳥の
またなくねたき春にもあるかな< 髯黒と仲良くしておられるあなたがこの上なく口惜しく思われる新春であることよ(新潮)/ 奥山の木に羽を打ち交わしてとまっている鳥のように仲が良いので、またとなく妬ましい春ですこと。l(玉上)
などてかく灰あひがたき紫を心に深く思ひそめけむ
どうしこうも逢いがたい三位の人を、心に深く思うようになったのだろう。「紫」は、三位の服色。l「灰合い」は、紫に染めるとき媒染財として椿の灰を用いるところから、言う。(新潮)/
どうしてこんなに一緒になりにくい安あたを、深く思い染めてしまったのだろう。この歌によって、玉鬘が三位に叙せられたことが、分かる。(玉上)
いかならむ色とも知らぬ紫を心してこそ人は染めけれ
どのようなお積りとも存じませんでした三位の紫の色は、深い思し召しからのことでございましたのですね(新潮)/どのようなお気持ちからとも存じませんでしたこの紫の色は、深いお情けから下さったものなのですね(渋谷)
似げなきことも出で来ぬべき身なりけり 似つかわしくないことが、起こりそうな形勢だと情けなくて。/玉鬘自身も、このままでは不相応なことも出来(しゅつらい・事件が起こること)しかねないも身の上だったと、情けなく思われるので、
/
はじめよりさる御心なからむにてだにも はじめから、お召しなる気持ちがなかったとしても。
御覧じ過ぐすまじきを、まいていとねたう、飽かず思さる お見過ごしになれそうもないのに,なおさらとても口惜しく残念におぼさる。/ほうっておおきになれないだろうに、それどころか残念でたまらない思いがなさるけれども。
されど、ひたぶるに浅き方に、思ひ疎まれじとて、いみじう心深きさまにのたまひ契りて、なつけたまふも、かたじけなう。 しかし、ほんの一時の出来心だと玉鬘に嫌われることのないよう、大そう心深げに将来を約束して親しませようとするにつけても、(玉鬘は)恐れ多くて。
われは、われ、と思ふものを」と思す。 髯黒の妻になった私は、もう昔の私ではない、身の上は決まっているのだと思っているのに、の意。
九重に霞隔てば梅の花
ただ香ばかりも匂ひ来じとや 夫の髯黒に邪魔されたら、あなたは、もうこの程度のほんのちょっとの参内も叶わないのでしょうか(新潮)/ 幾重にも霞が隔てたならば、梅の花の香は宮中まで匂って来ないのだろうか(渋谷)
野をなつかしみ、明かいつべき夜を、惜しむべかめる人も、身をつみて心苦しうなむ。いかでか聞こゆべき いとしいあなたの側で一夜を過ごしたいが、「春の野に菫摘みにと来しわれぞ野を懐かしみ一夜寝にける」(『古今集』六帖六、『万葉集』巻八、赤人)
香ばかりは風にもつてよ花の枝に立ち並ぶべき匂ひなくとも<
ほのかなお便りだけでも風に運ばせてください、他の後宮の方々の美しさに肩を並ぶべくもないわたしですが(新潮)/ 香ばかりは風にでもことずけてください。うつくしい方々と肩を並ぶべくもないわたくしすが(玉上立ち並ぶべき匂ひなくとも<
大将の、をかしやかに、わららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯れごともつつましう、あいなく思されて 髯黒は風流で愛嬌があるといったところが少しもない人なのだが、そんな人と一種に暮らしている玉鬘に、ちょっとした色めいた手紙を書くのも気が引ける、、不似合いなことと思われて、我慢していられるが。
かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人をいかに偲ぶや しとしと降ってのどかなこの春雨に、あなたは昔なじみのこの私をどのように思ってくださいますか。の「ふるさと人」玉鬘のもとにいた六条の院の私〈新潮)/ 春雨が降り続いて所在無いころ、お見捨てになった私をどう思っていらっしゃいますか。(玉上)
眺めする軒の雫に袖ぬれてうたかた人を偲ばざらめや 長雨の降る軒の雫にー悲しみの涙にー袖を濡らしつつ、どうしてあなたのことを恋しく思い出さないことがありましょうか(新潮)/ 物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らしてどうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか(渋谷)
玉水のこぼるるやうに思さるるを、 源氏は涙もあふれんばかり思いだされるが。「雨やまぬ軒の玉水数知らず恋しきことのまさるころかな『後撰集』巻九恋一東盛。
赤裳垂れ引き去にし姿を 「立ちて思ひ居てもぞ思う紅の赤裳垂れ引き去にし姿くを」『古今六帖』五、裳。原歌『万葉集』巻十一。
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色に衣を 「梔子(くちなし)の色に衣を染めしよりいわで心にものをこそ思へ」『古今六帖』五。
思はずに井手の中道隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花< の思いかけず二人の仲はさかれているけれども、口には出さないで恋い慕っている山吹の花の身(玉上)/心外なことにあの女との仲は隔てられてしまったが、心のなかで恋しく思っていることだ。(新潮)「井出の中道」山吹の名所。
かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ 「かりの子」鴨の卵。柑子や橘のように取り繕って。着色したり細工したのだろう。
同じ巣にかへりしかひの見えぬかな
いかなる人か手ににぎるらむ 同じ巣で孵った甲斐もなく、お姿が見えません。いったいどんな人が手を握っているのでしょう。(新潮)/ せっかく私のところでかえった雛が見当たりません。どんな人が、持っているのでしょう。(玉上)
御返り、ここにはえ聞こえじ (玉鬘)「ご返事は私にはとても申し上げられません」
巣隠れて数にもあらぬかりの子を
いづ方にかは取り隠すべき 私の邸に隠れ住んで、
お子の数にも入らぬしがない 女(ひと)をどちらに取り返してようものでしょうか。(お返し申すわけには参りません)
わざとかしづきたまふ君達にも 内大臣が特別にしていられるお子たち(弘徽殿女御の女御など)にも、玉鬘は美しさの点で引けをとらない。
さすがなる御けしきうちまぜつつ それでも時々諦めきれないような様子を見せながら。頭の中将。柏木。玉鬘の求婚者のひとりであった。
宮仕ひに、かひありてものしたまはましものを そのかいあって、帝の御子をお産みだったらよかったのに。
宰相中将 夕霧のこと。「この世に目馴れぬまめ人」も同じ。
沖つ舟よるべ波路に漂はば
棹さし寄らむ泊り教へよ 「沖つ舟」夕霧のこと。あなたと雲居の雁の仲がまだはっきりはっきり決まっていないのでしたら、私が代わりにお近づき申しましょう。(新潮)/
棚なし小舟漕ぎ返り
「堀江こぐ棚なし小舟こぎ返り同じ人にや恋わたりなむ」(『古今集』巻十四恋四、読み人知らず
よるべなみ風の騒がす舟人も寄るべもないので風のもてあそぶ舟人のような私も、思っていない人に心変わりはしません。
公開日2019年//月//日