源氏物語  賢木 注釈

HOME表紙へ 源氏物語 目次 10 賢木
さりとも これまではそうだったとしても、今度こそ御息所が正妻に、の意。
宮のうちにも 野宮で奉仕する人々を指す。
いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて 斎宮幼少のゆえの同伴という理由で、源氏への執着を断とうとする。このとき、斎宮十四歳。史実の規子内親王より十五歳年下。
人は心づきなし 「人」は源氏のこと。源氏はわたしを魅力(冷淡な)のない女とみるだろうが。「心づきなし」気に入らない。心がひかれない。
思ひ果てたまひなむ 「おもいはつ」思いきる。あきらめる。
いでや はっきり定めかねる気持ち。さてどうかな。
埋もれいたきを 「埋もれいたし」控えめすぎる、意。内気すぎる。
そのこととも どの「こと」かわからないが。「こと」は絃楽器の総称。
立ちならさざりつらむ 「たち」は出かけること。そこを通ること。「ならす」はたびたびそうして習慣になること。
ことにひきつくろひたまへる御用意 外見をやつしているのとは逆に、心はこまやかに行き届いている。「こと」[殊に、異に]普通と違って。別して。
小柴垣を大垣にて 小柴で作った低い垣を外回りの垣とする。
板屋 板で屋根を葺いた建物。野宮は帝一代ごとの、ほとんど仮普請。
黒木の鳥居 皮のついたままの丸太の鳥居。
火焼屋ひたきや 衛士が警護のために篝火をたく小屋。
いとものし 「ものし」[物し]物々しく厭わしい。気障りだ。不愉快だ。
今はつきなきほどになりにてはべるを 「つきなし」 (付無し)不似合いである。不相応である。
いぶせうはべる 「いぶせし」気分が晴れず、うっとうしい。
いとかたはらいたう 「かたはらいたし」第三者の自分たち(女房たち)がつらく感じられるような源氏様子。側で見ていて気の毒である。
月ごろのつもりを 「ごろ」は複数。「つもり」は積り、重なり。幾月もご無沙汰している。
つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ もっともらしい弁解もきまりわるいくらい疎遠になっている。
神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ< ここの神垣には人を導く目印の杉もないのに、どうおまちがいになってこの榊を折ったりして訪ねていらっしゃったのでしょうか。(小学館古典セレクション)/ ここの神垣にはおいでを待つ目印の杉もありませんのに、どう思いちがいなさって榊を折られたのでしょう。(玉上)/ この野宮の神垣には、三輪山のように道しるべの杉もないのに、どう間違って、榊を折ったのですぞ。(岩波大系)
少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ 神様にお仕えする少女(おとめ)のいるあたりと思いますので、榊葉の香に心ひかれ、捜し求めて折ってまいったのです。(小学館古典セレクション)/ おとめ子のいらっしゃるあたりだと思って榊の香がなつかしくわざわざ探して折ったのです。(玉上)
御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへり。 御簾だけを引きかぶるようにして、君は下長押に寄りかかってすわっていらっしゃる。(小学館古セレクション)/ 君は御簾だけを引きかむって、敷居によりかかって座っていらっしゃる。(玉上)
さしも見えじと思しつつむめれど (女が)相手に心弱いところを見せまい。
御心おごりに 心が思い上がっていて。
月も入りぬるにや 七日ごろの月の入りは早く、夜半のうちに没する。「火焼屋かすかに光」る夕暮れの頃の訪問から、またたくまに時が経過。
うけばりたるありさま 「うけばる」足らぬところなく、完璧に満たされている様子。
まねびやらむかたなし 「まねぶ」事柄をその通りに語り伝える。/ 伝えようにも言葉が足らぬ。そのまま語り伝えるすべがない。
暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな あなたとの明け方の別れはいつも涙に濡れていましたが、今朝の別れは今まで経験したことがない、涙に曇る秋の空です(新潮) / 暁の別れは、いつも涙の露に濡れていましたが、今朝はまたこれまで経験したこともないくらいに悲しい秋の空です。(小学館古典セレクション)/ 暁の別れはいつも涙に濡れがちなものだが、今朝はまた今まで覚えのないほどに悲しい色をした秋の空ですね。(玉上)
おほかたの秋の別れも悲しきに鳴く音な添へそ野辺の松虫 ただ秋が過ぎてゆくだけでも、人はなにがし悲しいものなのにこの上さらに鳴き声をあげておくれでない、野辺の松虫よ(新潮) / いったい秋の別れと言うだけでも悲しいのに、さらに悲しみをそそるかのように鳴く音を添えてくれるな、野辺の松虫よ。(小学館古典セレクション)/ ふつう秋に別れるというだけでも悲しいのに、その上に鳴く声を聞かせないおくれ、野辺の松虫よ。(玉上)
あいなく 他人事ながら。当事者でもない女房たちも・・・。
男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひ続けたまふべかめれば 「男」は源氏。「よく言ひ続けたまふ」上手に次々と言う。/ 男はそれほどお思いなさらぬ事でも、恋の道にかけては、うまいことをおっしゃる。
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もどきもあはれがりも 非難も同情も。「もどき」非難。
長奉送使 (ちょうぶそうし)斎宮に随行して伊勢に下る勅使。その長官には参議または中納言から任ぜられる。
木綿 (ゆう)。楮(こうぞ)の繊維から紐のように作ったもので、榊につけて神事に用いる。これは神事にちなんだ趣向。
鳴る神だにこそ 「天の原ふみとどろかし鳴る神も思うなかをばさくるものかは(古今・恋四 読み人しらず)による。
八洲もる国つ御神も心あらば飽かぬ別れの仲をことわれ 大八州(日本)をお守りくださる国つ神も情けがおありならば、尽きぬ思いで別れる私と御息所二人の仲を考えて見てください(新潮) / 八島を守っておられる国つ神も、もし思いやりがおありであるなら、尽きぬ思いの別れをしなければならぬ。この二人の仲についてどぅかお裁きください。(小学館古典セレクション)/ 大八洲をお守りなさる国つ神も、もし情があるなら心ゆかぬ別れをするわれわれの仲を考えてみてください。(玉上)/ 「ことわる」①判断する。判定する。批評する。 ②説明する。説き明かす。③前もって了解を得る。ことわる。
国つ神空にことわる仲ならばなほざりごとをまづや糾さむ 国つ神がもしも空からお二人の仲をお裁きになるのでしたら、あなた様の実意のないお言葉を、まず先におただしになりましょう。(小学館古典セレクション/ 国つ神がもし空から私たちの仲をお考えなされば、あなたの実のない言葉を何よりも先にお糾しになるでしょう。(玉上)
ただならず 幼女の斎宮としてではなく、恋の対象として意識が騒ぐ。
心にくくよしある御けはひなれば 御息所の美質。
申の時 午後4時から6時まで。
もののみ尽きせず 何もかにも、しみじみと感慨ぶかく・・・。
そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞ悲しき その昔のことを今日は口に出すまいとこらえているけれども、心の中は悲しくてたまらない(新潮) / その昔のことを心にかけまいとこらえているけれど、心の中ではただ無性に悲しくてならない。(小学館古典セレクション)/その昔のことを今日は口に出すまいとこらえているのですが、心のなかでは悲しくてなりません。(玉上)
八省 八省院。太政官八省に属する官人たちが政務をとる役所。その正殿が大極殿。
出車 伊勢下向に従う女房たちの車。簾の下から袖口や裳などを出している車。「私の別れ」御息所の女房たちに通っていた殿上人も多かった。
振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖は濡れじや 私を振り捨てて、今日は出立して行かれましても、鈴鹿川を渡るころ八十瀬の波に袖を濡らされることがありましょうか、-後悔して泣かれないででしょうか(新潮) / この私を捨てて今日お立ちになったとしても、鈴鹿川を渡るころ、その八十瀬の川波にあなたの袖が、お濡れにならないでしょうか。(小学館古典セレクション)/ 今日の私を振り捨てていらっしても、鈴鹿川を渡るとき川瀬波に袖をぬらし、後悔はなさらないでしょうか。(玉上)
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢まで誰れか思ひおこせむ 鈴鹿川の八十瀬の波に濡れるか濡れないかー私が泣いているかどうか、伊勢に行った先まで誰が思いやってくれましょう(新潮) / 鈴鹿川の八十瀬の川波に私の袖が濡れるか濡れないか、いったいどなたがはるばると伊勢まで思いやってくださるのでしょうか。(小学館古典セレクション)/ 鈴鹿川の波に濡れるか濡れないか、誰があの遠い伊勢のことまで思ってくださるでしょう。(玉上)
ことそぎて書きたまへるしも 「ことそぎて」事をはぶく。簡略にする。
よしよししく 「よしよしし」[由由し]由ありげである。わけがありそうである。情趣がありそうである。
行く方を眺めもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ あの方の行く先を切ない思いで眺めていよう、だから、今年の秋は逢坂山のあたりを、霧よ、隠さないでおくれ(新潮) / あの女たちの去り行く方に思いを馳せて眺めていよう、だから今年の秋は、霧よ、逢坂山を隔てないでおくれ。(小学館古典セレクション)/ あの一行の行く先を眺めてもいようよ。だから今年秋は逢坂山の辺りを霧も隠さないでくれ。(玉上)
人やりならず 人のせいにできずに。
心尽くしなること 「こころづくし」[心尽し]①さまざまに物思いすること。また、気をもませられること。②心をこめてすること。
十六にて故宮に参りたまひて 御息所は今三十歳で、十六歳のとき東宮のところへおいでになり、翌年斎宮がお生まれになり、二十歳で東宮に死別なさった。おそらく、亡くなるときも東宮であっただろうから、今上(桐壺院の第一皇子)が東宮になられたのはそれ以後のことであるはずだ。この方の亡くなられた後に、今上すなわち朱雀院が東宮になられたとすると、そのとき大将は四歳、朱雀院は七歳であった。そのとき、御息所は二十歳だというのだから、大将より十六歳年となる。だから御息所が今三十歳であれば、大将は十四歳ということになってしまう。「帚木」の巻では源氏は中将だが、八歳の童児となり、元服以前のこととなる。この矛盾については古来からいろいろ説かれているが、まだ合理的な説明はついていない。・・・昔の読者も、そうした矛盾に気がついて、物語に記されている事柄を整理し、この物語の年表のようなものを作り上げた。それを年立(としだて)という。・・・年立には、大きく分けて二つあって、中世の読者を代表する一条兼良の作ったものと、近世になって本居宣長の作った『源氏物語年紀考』に代表されるものとがあり、前者を旧年立、後者を新年立と呼んでいる。どちらも主人公の年齢を基準にして整理したものであるが、旧年立では、このとき大将は二十二歳、新年立では、k二十三歳である。(玉上)
斎宮は、十四にぞなりたまひける・・・ 斎宮は十四におなりになった。きれいな方であるうえに、錦繍(きんしゅう)に包まれておいでになったから、この世界の女人とも見えないほどお美しかった。斎王(いつきのみこ)の美に御(み)心を打たれながら別れのおん櫛(くし)を髪にさしてお与えになるとき、帝(みかど)は悲しみに堪えがたくおなりになったふうで悄然(しょうぜん)としておしまいになった。(与謝野晶子訳)
斎宮は十四におなりでした。たいそう美しくていらっしゃいますのを、麗しく粧(よそお)ってお上げなされて、物凄いばかりにお見えになりますので、お上の御感動もなみなみでなく、別れの御櫛をさしてお上げになります時に、そぞろにあわれを催し給うて御落涙遊ばすのでした。(谷崎潤一郎訳)
斎宮は十四におなりでした。生まれつきお可愛らしいのを、この上なく華やかに着飾っていらっしゃいますので不吉なほどお美しく拝されます。帝は並々でなく御心を動かされて、儀式の別れの御櫛を挿しておあげになる時は、たまらなく胸にせまり、涙をお落としになるのでした。(瀬戸内寂聴訳)
 斎宮は、十四歳におなりであった。とてもかわいらしくいらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝は、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時に、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばされた。(渋谷栄一訳)
別れの櫛 御櫛の儀のこと。帝が斎宮の額に黄楊(つげ)の小櫛を挿して「京の方におもむきたまうな」と言う。斎宮が京に向かうことは御代がわりのときだから、それを禁ずる言葉。
残る人なく仕うまつりてののしるさま、行幸に劣るけぢめなし (廷臣たちが)残る人なくお供申し上げてざわついている様子は、先日の行幸に劣るところはない。今のところ。帝すなわち右大臣方と、東宮、源氏方は勢力拮抗している。/「ののしる」は大声で騒ぐこと。の註がある本があるが、誤解をまねく。ここでは「ざわついている」と訳しているのはわかりやすい。廷臣の数が多いのでざわついている、表現である。
飽かぬほどにて 言うことを言い尽くしたという気がまだせぬ程度のころに。まだ言いたい気がしている時に。
いとものはかなき御ほどなれば 東宮はこのとき5歳。
急にさがなく 「急に」性急な。「さがなく」性格がよくなく。意地悪で。
世の中とぢむる 一年の終わりの意に、桐壺院の時世の終わりの意を込めた表現。
蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ下葉散りゆく年の暮かな 木蔭が広いので、頼みにしていた松は枯れてしまったのであろうか、下葉も散ってゆく年の暮れであることだ(新潮) / 木蔭が広いので頼りにしていたこの松も枯れてしまったのだろうか、今年の暮れは下葉も散ってゆくなあ。(玉上)/ 木陰が広いので、お頼りにしていた松が枯れてしまったのだろうか、その下葉が散ってゆく、院がお亡くなりあそばして、ゆかりの人々の散り散りになってゆく年の瀬であるよ。(小学館古典セレクション)
さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし影を見ぬぞ悲しき 氷の張りつめた池の、鏡のような面はさやかに澄んでいるのに、長年お見かけした池水に映る影ー院のお姿を拝することができないのが悲しい(新潮) / 冴えきっているこの池の面は鏡のように澄んでいる、だのに、いつも見ていた人の姿の見えぬのが悲しい事です。(玉上)/ 一面に凍っている池の面が鏡のようにさやかに澄んでいるのに、お見なれ申した院の面影を拝見することのできないのが悲しい。(小学館古典セレクション)
年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人影のあせもゆくかな  年が暮れて、岩井の水も固く凍りつき、今まで見馴れていた人影も消えてゆくことでございます(新潮)/ 年も暮れて岩井の水もすっかり氷に閉ざされて、これまで見えていた人の姿もきえてゆきますこと。(玉上)/ 年が暮れて岩井の水も凍りついてしまって、今まで見なれていた人影も、しだいにまばらになってゆきますこと。(小学館古典セレクション)/ 「あせ」(「浅す」の連用形)で「人かげ」が減るの意。
除目 官吏の任命式。ここは春に行われる県召(あがたぬし)、地方官(国司)の任命。
年ごろ 桐壺帝が退位して院であった時期。退位後も政治的実権を失わず、源氏も庇護されていた。
御匣殿 朧月夜のこと。
尚侍 (ないしのかみ)尚侍司の長官(定員2名)で、もとは従五位相当の女官であったが、この時代には女御・更衣に準ずる地位となって帝寵を受けるものもあった。尚侍司は天皇に常侍して奏請や伝宜などをつかさどる役所。
やむごとなくもてなし 高貴な方らしくふるまう、意。///
いちはやくて 威力のあるさまの「いち」と、鋭い意の「はやし」 が合成された語。恐ろしくきびしい意。/ 性格がせっかちて激しく勝気なところがあって。
すさまじき心地 「すさまじ」①おもしろくない。興ざめだ。しらけている。 ②寒々としている。殺風景だ。情趣がない。③冷たい。寒い。 ④ものすごい。激しい。ひどい。/ ここでは①の意味だろう。
引きよきて 「ひきよく」[引き避く]避ける。
思しつめたることども 「思い詰む」思い詰める。深く悩む。/ 「おぼしつむ」は「思ひ詰む」の敬語、思いの切迫する意。「思ひつ(詰)む」は、思いを抑えて切迫した 気持ちになる。文末を推量形で結ぶ/ 「根のもったことども」は名訳。
kikoetuketamaisi">聞こえつけたまひし 「きこえつく」は「いひつく」(頼む、託す)の受手尊敬。/ 「言ひ付く」言い寄る。言い寄って親しい間柄になる。①頼む。託す。②告げ口する。 ③言いなれる。
そばそばしう よそよそしい。
いたつききこえたまふ 「いたづく」骨を折る、苦労する。転じて大切にする。
嫡腹 正妻の子。正妻の子を限りなく幸せにと北の方は願っているが、思うようにいかない。
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あはれに思したれど 源氏を心にかけて大切(あはれ)にお思いだけれど。源氏を兄と慕っているけれど。
心からかたがた袖を濡らすかな明くと教ふる声につけても 自分から求めた恋ゆえに、あれこれにつけ袖を濡らすことです。夜が明けると教えてくれる声を聴くにつけても(新潮) / 自分から求めてあれやこ0れやと涙に袖が濡れることです。夜が明けるのを教える声を聞くにつけても、あなたがこの私を飽きるというふうに聞こえて。(小学館古典セレクション)/ 『あく』と教えるあの声、夜は明け、あなたはあきていられると教えるあの声を聞くにつけても、自分から選んだ道ながらあれこれと泣かれてなりません。(玉上)/ 自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ、夜が明けると教えてくれる声につけましても(渋谷)/ 人のせいでなくわたしの心のせいで、それやこれやと何かにつけて、私は袖を濡らしますよ、夜が明けると教える声を聞くにつけても。別れが口惜しくつらくて。(岩波大系)「明く」に「飽く」をかけている。
嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく 嘆きながら一生をこんなふうにして過ごせというのだろうか、胸の思いの晴れる時とてなくて(新潮) / 嘆きを繰り返しながら、わが世をこうして過ごせというのだろうか。夜は明けても、胸の思いのあけるときがなくて。(小学館古典セレクション)/ 身の上を嘆きながら一生こうして過ごせとおっしゃるのですか。夜は明けますがこの胸のあく時とてありませんのに。(玉上)/ 嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか胸の思いの晴れる間もないのに。(渋谷)
もどききこゆる 「もどき」非難。咎め。
わが心の引くかたにては 個人的な気持ちとしては。自分の心が引く方面、勝手な気持ちとしては。
いたうやつれて 「やつる」人目につかぬように粗末な衣服をまとうこと。
もて離れつれなき人 藤壺のこと。
うひうひしく 初めてのように。
この憎き御心のやまぬに 桐壺を思慕する源氏の恋心。
ともすれば御胸をつぶしたまひつつ (藤壺が)びっくりする、肝をつぶす。
いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを 桐壺院が二人の密通に全く、気づかなかったこと。
まねぶべきやうなく 筆にも口にも表しようがなく。
宮は、いとこよなくもて離れきこえたまひて 宮はあくまでも冷静をお失いならなかった。(与謝野晶子)/ 宮はいよいよそっけなくおあしらいなされて。(谷崎潤一郎)/ 宮はまったく思い離れた態度をお崩しにならないで。(円地文子) / 中宮はいよいよこの上もなく冷たくおあしらいになり。(瀬戸内寂聴)/ 藤壺のほうでも、そこは心得てぴしゃりと冷ややかに応待をする。(林望)/ 宮はとても強くすげない態度をおとり申しなさって。(玉上)/ 宮は、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって。(渋谷)<(渋谷)/ 「聞こえる、聞こゆ」は、「言う」の謙譲語として使われるが、それ以外に「他の動詞について、その動詞の動作の対象を敬う謙譲語。・・・申しあげる。? // 宮はこの上なくよそよそしい態度を通して。(管理人)ここの「きこえたまいて」は「言う」の謙譲語ではないだろう。他の動詞の連用形に付いて、その動作をなす主体が対者より身分の低いことを表す謙譲語。ある動作をすることか?その謙譲語?「申す」「申し上げる」は、「言う」ではなく、「する」の謙譲語?前に動詞があれば、その動詞の動作を「する」意味の謙譲語か?
まがへば 「まがう」[紛う]入り乱れる。まざって区別がつかなくなる。
かたはら目 傍らから見たお姿。横顔。
おぼえたまへるかな 「おぼえる」③似る。
ねびまさりたまひにけるかな 「ねびまさる」年齢よりも大人びてみえる。年齢とともに美しくなる。年をとって一層立派になる。
見だに向きたまへかし せめて振り向いて下さい。
ここら世をもてしづめたまふ御心 「世」源氏の藤壺への恋心。「ここら」長年。長年抑えていた恋する心を。
心づきなし 気に入らない。心がひかれない。
逢ふことのかたきを今日に限らずは今幾世をか嘆きつつ経む お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないでないのでしたら、-いつまでもこんなふうにお逢いしにくいのでしたら、私はこの先、生まれ変わる世々を幾世嘆きながら過ごすでしょう(新潮) / あなたにお逢いすることの難しさが、今日に限らず後々いつまでも続くのでしたら、私はこれから幾かえりの世を生まれ変わって、この嘆きを繰り返しながら過ごすことになるのでしょう。(小学館古典セレクション)/ お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならばいく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか。(渋谷)/ 「御ほだしにもこそ」源氏が藤壺ゆえに現世執着の罪に悩むことは、相手の藤壺にとっても罪障となり往生の妨げになろうとする。「ほだし」あしかせ。自由を拘束するもの。
長き世の恨みを人に残してもかつは心をあだと知らなむ 未来永劫の恨みを残すと言われましても、一方、そんなお心はすぐに変わるものだとご承知ください(新潮) / 長く幾世にもわたるお恨みをこの私の上にお残しになるとしましても、一つには、ご自身のお心にまことがないからなのだと知っていただきたいのです。(小学館古典セレクション)/ 未来永劫の怨みをわたしに残したと言ってもそのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい。(渋谷)
いづこを面にてかは どこを顔にして。どの顔さげて。何の面もあって。
いとほしと思し知るばかり 相手(藤壺)からの憐憫を待つばかり。
院の思しのたまはせしさまの、なのめならざりしを思し出づるにも 権勢家の後見がない春宮の支えとして藤壺を中宮に立てた桐壺院の処置を、深い配慮であったと回想する。藤壺が古参の大后を越えて中宮になったのを、大后は今も恨み続けている。
なのめならざりしを 「なのめなり」一通りの。普通の。
戚夫人 (せきふじん)。漢の高祖は呂后(りょこう)を顧みず妾の戚夫人を熱愛し、その子趙王如意を皇太子にとさえ思った。高祖崩御後、呂后の子で心の柔和な孝恵が即位し、母呂后は孝恵のとめるのも聞かず戚夫人と趙王を虐殺して積年の恨みを晴らした。
おほかたの御とぶらひは ///
思し屈しにける 気が滅入る。落ち込む。「屈し」気がふさぐ。滅入る。
宮は 春宮。このとき六歳。
うちまもりたまひて 「まもる」は凝視する。
夜居の僧 加持祈祷のために終夜詰めている僧。
故母御息所 亡き母桐壷の更衣。
念仏衆生摂取不捨 (ねんぶつしゅじょうせっしゅふしゃ)「観無量寿経」の一節。阿弥陀如来は念仏する衆生を自分のもとに摂取して捨てることがない。
陸奥紙 雑用向きの用紙。好色がましさを避けた。
浅茅生の露のやどりに君をおきて四方の嵐ぞ静心なき 浅茅に置く霜のようにはかないこの世にこの世にあなたを置いたままにして、四方から吹きつける激しい風の音を聞くにつけ、あなたの身の上が案じられて、気が気でありません(新潮)/ 茅生の露のようにはかない住みかにあなた一人残しておいて、わたしはここで四方の嵐を聞くにつけ、あなたが吹き払われはすまいかと案じられて心落ち着かないのです。(小学館古典セレクション)/ 浅茅生に置く露のような頼りないところにあなたを残してきて、四方の嵐が吹くたびに心配でなりません。(玉上)/ 浅茅生。ちがやが生えている場所、荒れている。/
風吹けばまづぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに 枯れて色の変わっている浅茅の露にかかっている蜘蛛の糸は、風が吹くと真っ先に乱れます。お心の移りやすいあなたを頼みとする私は、落ち着いてはいられません。(小学館古典セレクション) / 色の変わった浅茅の露に張った蜘蛛の糸のようにはかない身の上の私は風が吹くと真っ先に心を痛めます。(玉上)/ 風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから。(渋谷)/ 「ささがに」は蜘蛛の枕詞。転じて蜘蛛やその糸。
吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり 雲林院も斎院も同じ紫野にある。この年の春、斎院の卜定された朝顔の姫は、宮中にいるべき。紫野に移るのは卜定後二年目である。/「聞こえたまひけり」便りを出す。/ 斎宮は、桐壷院の皇女(女三の宮)。母は弘徽殿の大后。
あくがれにけるを 「あくがる」は魂が肉体から出てさまようこと。
かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿欅かな 口に出すのは、恐れ多いのですが、あの時の秋のことが思い出される木綿襷です(新潮) / 言葉にだして申すのも恐れ多いのですが、あの昔の秋の思い起こされる木綿襷(ゆうだすき)でございます。(小学館古典セレクション)/ 口に出すのも恐れ多いのですが、あの昔の秋の出来事が頭に浮かんでくる木綿襷です。(玉上)/ 「かけまく」[懸けまく・掛けまく]心にかけること。言葉にだして言うこと。
そのかみやいかがはありし木綿欅心にかけてしのぶらむゆゑ その昔、あなたと私との間にはどういうことがあったと仰せられるのでしょうか。お心にかけてその昔をおしのびになるというその仔細は。(小学館古典セレクション)/ 
こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり 繊細ではないが巧者。「草」は草仮名。「ろうろうじ」[労労じ]巧みである。馴れている。行き届いている。こまやかである。
ねびまさりたまへらむかし 「ねびまさる」年齢よりも大人びてみえる。年齢とともに美しくなる。
ただならず、恐ろしや 恋心が動く。神に仕える斎院が相手なので、「恐ろしや」と評す。
やうのもの 同様、同類のもの。御息所もその娘の斎宮もこの斎 院も、すべて神域にあった女たち。同じ秋にそうした彼女たちに心を動かすという奇妙な類似をいう。
わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて 無理を通せば、きっと思い通りになった時期は、のんびり過ごして。
えしももて離れきこえたまふまじかめり あまりそっけなくはできない。疎遠な態度はとれない。
六十巻といふ書 天台の根本義を説いた教典。『妙法法華経玄義』『妙法法華経文句』『摩訶止観』『法華玄義釈籤』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』の全六十巻からなるので、天台六十巻と呼ばれる。
いみじき光行なひ出だしたてまつれり 「光」は源氏。勤行の力で源氏を迎え得た、の意。/ 日頃の自分たちの勤行のかいあって祈りによって光明をもたらしたの意。「光」は、光栄に思う存在、美しい人、大将をさす。
仏の御面目あり 仏にとって面目である。名誉である。
人一人の御こと思しやるがほだしなれば 紫の上、一説には藤壺。/ 人一人のことを思いやるのが障害となって。「ほだし」足かせ手かせ。
しはふるひども 「しはふるひ」皺古(皺のよった老人)、柴振(柴を拾い集める身分のいやしい人)など諸説あり未詳。
世の中いかがあらむと思へるけしき 「世の中」男女の仲。夫婦の仲。源氏と自分との仲。
山づと 「つと」は、土地の産物、みやげ。
宮の間の事 中宮と春宮の間のことと解しておく。(玉上)
錦暗う思ひたまふればなむ 「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり」(古今、秋下、貫之)による。
いささかなるものありけり 小さく折り結ばれた手紙。
ただおほかたにて ただ普通の贈り物として。一通りの挨拶として。
すくよかなる 生真面目で愛想がない。他人行儀な。
けしき御覧ずる折もあれど 朧月夜の何気ない仕草にも、源氏を忘れていない気持ちが表れる、意。
文の道 学問。漢学。兄朱雀帝の質問に答えられる源氏の学識は並々ではない。
好き好きしき歌語り 色恋沙汰の歌に関連する話。誰と誰がどういうときに贈答した歌だというような話。歌にまつわる恋愛話。好色めいた歌の話。以下、帝が斎宮に、源氏がその母御息所に心動いた経験が披露されるが、神を恐れぬ不謹慎な秘事を互いに打ち明けあうところに、二人の親密さが見られる。
今の皇子 (いまのみこ)今上(朱雀帝)の養子。
何ごとにも、はかばかしからぬみづからの面起こしになむ はかばかしくない自分にとって、東宮は名誉を回復してくれる存在。「面起こしになむ」面目をほどこす。
今の皇子 (いまのみこ)今上(朱雀帝)の養子。
大宮の御兄の藤大納言 弘徽殿の大后のご兄弟の藤大納言。
白虹はっこう日を貫けり。太子ぢたり ・『史記』戦国時代の人刑可(けいか)が、燕の太子丹のために、秦の始皇帝を刺そうとして、その誠意が天に通じ、白色の虹が太陽の面を貫く現象が現れたが、丹はやはり事の成らざるを恐れたことをいう。「白虹」は、武器または兵士を意味し、「日」は君主を示すといわれる。刑可は結局失敗したので、ここでは、東宮を擁する源氏方が、朱雀院二」逆心を抱いても成功しないぞ、と皮肉ったもの。刑可、刑は草冠がつく、可は車遍がつく。
いと片なりに きわめて不十分だ。まだまだ未熟だ。
九重に霧や隔つる雲の上の月をはるかに思ひやるかな 宮中には幾重にも霧がかかっていて、私を隔てているのでしょうか、宮中に参っていながら、雲の上の月(帝)を、ここからはるかにお偲びしているのです(新潮) / 幾重にも霧が立ちこめて私を隔てているのでしょうか。雲の上の見えない月をはるかに想像しておりますー 宮中には悪意のある人々がいて妨げるせいでしょうか。私は帝にお目にかかることができません。(小学館古典セレクション)/ 幾重にも霧が立ちこめているのか、姿の見えぬ雲の上の月を、はるかにここからお思い申しているのです。(玉上)/ 八重にも九重にも取り囲んで雲が間を隔てているためか、雲の上(内裏)の月影を見るを得ずして、私は遠方から想像しています。昔の如く内裏の月を眺めたいが、それを色々と妨げるもの(弘徽殿大后など)があるので、私は内裏での月は見られない。ただ想像しているのみである。時世が変わり、今は内裏に来ることすら容易でない心である。朱雀帝に会いたいなどの意はない。(岩波大系)
ほどなければ 源氏から藤壺までの距離が近いので。
月影は見し世の秋に変はらぬを隔つる霧のつらくもあるかな 仰せのように月の光は昔ながら照らしていますのに、それを隔てる霧がつろうございます。よそよそしくなさるあなたが恨めしく存じます(新潮) / 月の光はこれまでの秋と変わりませんのに、それを隔てる霧の心が恨めしく思われます。(小学館古典セレクション)/ 月の姿は、今までの秋と変わりませんのに、邪魔して見せてくれない霧が、心ないのです。(玉上)
飽かず思ひきこえたまひて 春宮と共にいることは、飽きず、何時までも一緒にいたく思い申すので。
御心の鬼 人知れず思うところがあるため、事実のはっきりしないことにも、疑いを抱いたり、ひそかに恥じ恐れたりすること。疑心暗鬼。良心の呵責。
木枯の吹くにつけつつ待ちし間におぼつかなさのころも経にけり 木枯らしの風が吹くたびに、お便りがあるかとお待ちしている間に、待ち遠しく思う時も過ぎてしまいました。もうたまらずこちらからお便りいたします(新潮) / 木枯らしの吹くにつけてもお便りが運ばれてくるかと待っておりました間に、もどかしい思いのままに日々が過ぎてしまました。(小学館古典セレクション)/ 木枯らしが吹くたびにお便りを運んでくるかと待っているうちに待ち遠しさにも耐えきれなくなりました。(玉上)
あひ見ずてしのぶるころの涙をもなべての空の時雨とや見る あなたに逢えないで、恋に忍んで泣いている頃の涙、それが初時雨になって降ったのに、ただこの季節の時雨とお思いですか(新潮) / お目にかかれずに恋しさをこらえている今日この頃の私の涙ですのに、それをただ一通りの時雨とだけごらんになるのでしょうか。(小学館古典セレクション)/ お会いせずに我慢している私の涙ですのに、それをありふれた時雨だとお思いですか。(玉上)
もの忘れしはべらむ 「もの忘る」物思いしない。
情けなからず 相手に恥をかかせない思いやりのある態度。情けがない事はない?
院の御はてのこと 服喪の終わり。ここは桐壺院の一周忌。
御八講 法華八講会。『法華経』全八巻を八座に分けて講説する法会。一日に朝座夕座の二度、四日間連続で完了する。
御国忌 帝の命日。この日は朝政をやめて仏事を行う。ここは桐壺院の忌日。
別れにし今日は来れども見し人に行き逢ふほどをいつと頼まむ 故院にお別れした日は、今日まためぐってきましたが、亡き院にお目にかかれる世は、いつのことと頼みにすればよいのでしょう(新潮) / 院にお別れした今日という日がめぐってきましたが、その亡き院に再びお目にかかれるのを、いつのことと頼りにすればよいのでしょうか。(小学館古典レクション)/ 院にお別れした日がめぐってきましたが、なき人にまたお会いできる時をいつとあてにしましょうか。(玉上)
ながらふるほどは憂けれど行きめぐり今日はその世に逢ふ心地して 故院亡き後、この世に生き永らえているのはつらく厭わしいのですが、めぐりきた一周忌の今日は、まるで亡き院のご在世に会った思いがいたします(新潮) / 生きながらえているうちはつろうございますが、御命日にめぐり合って、今日は再び院ご在世の御代に出会ったような心地がします。(小学館古典セレクション)/ 生き長らえてきた月日はつろうございましたが再び今日は昔のあの時に返った気がしています。(玉上)
行ひたまふ 仏事を勤める。追善供養を行う。
あてに気高きは 「あて」[貴]身分のたかいこと。貴くみやびやかなこと。上品なこと。
御経 御八講の際に用意される『法華経』は、八軸の巻子本で、紺の地紙に金泥などで書写された豪華なもの。
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玉の軸、羅の表紙、帙簀の飾り 「玉の軸」宝玉で飾られた巻子の軸。「羅の表紙」羅は薄く織った絹の布で、紗(しゃ)や絽(ろ)の類。これを経典の表紙とした。「帙簀の飾り」帙簀(ちす)は、経典などを包む帙(ちつ)。竹をすだれ状に編み、面を綿や綾で覆って緒を付けたもの。
世のつつましさをえしも憚りたまはで 「世のつつましさ」は右大臣方の権勢にたいする遠慮。
花机のおほひ 「机」仏前に据えて経文や仏具をのせる机。脚に花形などが彫られている。
黒方 (くろぼう)室内用の薫香の名。沈香・丁字香・甲香・麝香・白檀香などを練り合わせた。高貴な薫香。冬の季の香。
いともの深き 「ものふかい」趣の深い。
月のすむ雲居をかけて慕ふともこの世の闇になほや惑はむ 今宵の月のように、心澄むご出家の境地をお慕いしようとしても、私はやはりこの世の煩悩に迷うことでしょう(新潮) / 月の澄む空を心にかけて、お跡をお慕い申して出家するといたしましても、私はこの世の闇-子ゆえの心の闇に、やはり迷うことでしょう。(小学館古典セレクション)/ 月の澄む高い空を心にかけて、お跡を慕おうと思いましても、やはりまだ、この世に(御子のためにわたくしは)迷うことでしょう。(玉上)
いぶせし 心が鬱としてなれない。
おほふかたの憂きにつけては厭へどもいつかこの世を背き果つべき 一体に世の中がはかなく思われて出家はしましたが、いつこの世の執着から抜けきることができるでしょうか(新潮) / この世のおおよそのつらさゆえに、出家はいたしましたけれども、いつになったらこの世を捨てきって、子ゆえの心の迷いから脱(ぬ)けきることができるでしょうか。(小学館古典セレクション)「この」「子の」をかけている。/ 生きてゆくのが辛くなって世を捨てはしましたが、いつになれば本当にこの世を捨てることができるでしょうか。(玉上)/ 世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩はいつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか。(渋谷)
心しらひなるべし 「こころしらい」心配り。心づかい。
御目もあはず 「目が合う」②眠る。
思し明かすこと あれこれ思って夜を明かす。
さうざうしや 「そうぞうし」(あるべきものやなすべきものがなくて)物足りない。ものさみしい。
内宴、踏歌 (内宴)宮中正月行事。帝が公卿等の文人を集めて、詩歌を作らせる。/ (踏歌)美声の男女に、年始の祝い歌をうたわせ舞わせた。
もののみあはれにて 何とはなしにあわれを感じる。
白馬ばかりぞ 白馬節会(あおうまのせつえ)の馬。正月七日の宮中行事で、一年の邪気を除く目的から、左右馬寮より引き出した白馬二十一頭を、まず帝んみご覧にいれた上で、東宮・中宮などを引き回す。古くは青馬(黒色)であったのをこの時代に白馬に変えた。「白」と書きながら「あお」の」呼称だけが残った。
向かひの大殿に 右大臣邸。二条の宮。二条の大路をはさんで三条の宮に対している。
青鈍 縹色(はなだいろ)に青みがかった色。凶事仏事用。/ 青みがかった薄黒い色。鈍色は薄黒系統の色で、喪服や尼僧の衣服に用いられる。
薄鈍 薄いねずみ色。
梔子の袖口 (くちなしのそでぐち)くちなしの果実で染めた濃い黄色に赤みがかった色。この三色は出家の身ゆえの染色。/ 「くちなし」くちなしで染めた黄色。これも尼の着る色。
むべも心ある 「音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり」(後撰・雑一 素性) による。作者素性が出家の后を見舞い、池の中島の松を削って書き付けた歌で、陸奥の歌枕「松が浦島」を用いながら、「海人」に「尼」をかけた。美景のなかにいる海人のように、「なまめかしう、奥ゆかし」い住まいから推しても、なるほど心にくいばかりの尼がお住まいだ、の意として引く。
ながめかる海人のすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島 思いに沈まれる入道の宮のお住居と存じますと、もう何よりも先に涙にくれるのです(新潮) / ここがあの松が浦島で、物思いに沈んでおられる尼宮のお住まいかと拝見いたしますと、何よりも先に涙がひとりでにこぼれてきます。(小学館古典セレクション)/ これが物思いに明け暮れていらっしゃる方のお住まいかと思うと、何よりも先に涙がこぼれてなりません。(玉上)/ 海人が住む松が浦島という、物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと何より先に涙に暮れてしまいます。(渋谷)/ 「ながめる」物思いしなが見ている。
ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る波のめづらしきかな 昔の名残もなく衰えてしまったわたしの処へお立ち寄りくださる方があるとは、めずらしいことでございます(新潮)/ 昔の俤さえないこの松が浦島のような所に立ち寄る波も珍しいのに、立ち寄ってくださるとは珍しいですね(渋谷)
ねびまさりたまふかな 「ねびまさる」年齢より大人びてみえる。年をとって一層立派になる。
さる一つものにて (時流に乗った人に共通の)世間知らずの人。不明な言葉。
司召 春秋二回定期的に行われる役人の任官式。ここは春のもので地方官を任ずる。正月十一日から十三日にかけて行う。
御封 「封建」は封戸の略。皇族以下諸臣に、官位勲功に応じて賜る民戸。中宮の場合は千五百戸といわれる。その民戸に課す地租の半分、庸・調の全部が所得となる。
致仕の表たてまつりたまふ (ちじ)。辞表を出す。
返さひ申したまひて 「かへさう」辞退する。
四の君 三位中将の正妻。右大臣の四女で弘徽殿大后の妹。
めざましうもてなされたれば 頭の中将の正妻に対する態度。「めざましう」心外な。癪に障る。右大臣が心外なほどそっけないと思う態度をとる。
たらひたまひけむ 「たらふ」[足らふ]満足である。足りている。備わっている。
負けわざ 勝負に負けた方が、後に勝者方を供応すること。
けしきばかり咲きて 1「けしきばかり」かたちばかり。いささか。
なほさるべきにて やはり前世のご果報で。やはり前世からの定めで。「さるべき」そういう因縁である。
四の君腹の二郎 正妻四の君の産んだ三位中将の次男。右大臣の孫。
かどかどしう 「かどかどし」[才才し]才気がある。かしこい。
それもがと今朝開けたる初花に劣らぬ君が匂ひをぞ見る それを見たいと願っていた、今朝咲いたばかりの初花にも劣らぬ君のお美しさと存じます(新潮) / 人びとからそれが見たいと待ち受けられながら、、今朝初めて咲いた花、それに劣らぬあなたの美しさと思われます。(小学館古典セレクション)/ 今の文句のように(高砂)今朝咲いたばかりの百合の初花にも劣らないあなたのお美しさを拝見できましとは。(玉上)/ 「それもがと」それが欲しい。/
時ならで今朝咲く花は夏の雨にしをれにけらし匂ふほどなく 時節に合わず今朝咲く花は、夏の雨に萎れてしまったらしい、美しく咲き匂う間もなく(新潮) / 時季にあわずに今朝咲く花は、咲きにおうときもなく夏の雨でしおれてしまったらしい。(小学館古典セレクション)/ 時季でもないのに今朝咲いた花はこの夏の雨でしおれてしまいました。咲きにおうひまもありません。(玉上)
うちさうどきて、らうがはしく聞こし召しなすを、咎め出でつつ、しひきこえたまふ 「ろうどく」騒ぎ立てる。ざわつく。陽気にふるまう。「ろうがわし」乱雑である。騒然としている。乱暴な振る舞い(飲み方)。// 陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に盃をお進めになる。(渋谷)/ はしゃいで、わざとひどい飲み方をなさるので、中将はとがめながらも、無理強いなさる。(玉上)/ と冗談をおっしゃって、笑ってばかりおいでになりますのを、中将がお咎めになって無理にお飲ませ申されます。(谷崎)/ と陽気にたわむれて、わざと酔いの上での冗談とおとりになるので、頭の中将はそれをお咎めになって、無理にもお酒をおすすめになられるのでした。(瀬戸内)/ 源氏がはしゃいで、三位中将の言葉を乱暴に(出鱈目に)取りなしてお聞きなさるのを、咎めだてしながら。(岩波大系)/ とそれでも陽気に振舞われて、わざとひどく酔い乱れたように装われるのを、中将は見咎めて無理に盃をおすすめになるのだった。(円地)// と、君は陽気になって、酔狂な、と雑(ま)ぜっ返すので、中将はそれを咎めて、酒を勧めるのだった。 (管理人訳)
おこたりたまひぬれば (悩みが)おこたりたまひぬれば。「おこたる」②病勢がゆるむ。病気がなおる。
聞こえ交はしたまひて 源氏としめし合わせて。
わりなきさまにて 無理をかさねて。無理な状態で。
啓せず 「啓す」は絶対敬語。東宮、后に申し上げること。
いとわりなく ひどく困って。
いとうたてありつる 「うたて」ますます甚だしく。ひどい。異様に。
舌疾にあはつけきを (したど)早口のこと。「あわつけし」浮ついている。軽薄である。
薄二藍 青みがかった紫色で多く夏に用いられる。この帯が直衣用で、男ものであることが分かる。/ 薄い青と赤の中間色。くすんで青みがかった紫色。
いとわびしう思されて すっかり困って。//「わびしい・わびし」?//「わびし」という、古語があります。良く、教科書に載っているので、知っている人もいると思います。古語としての意味は、「困惑する。困る。思いにふける。」というものです。この、古い日本語が実は、漢詩からきていることを知っている人は少ないでしょう。「わびし」これを、漢字で書くと「我非し」となり、書き下して読むと、「我に非らず」となるんです。なんだか、日本語が考えられて作られているって感じがします。困惑したり、思いにふけるので、「こんなの、いつもの私じゃない!」ってことなんでしょうか。なんだか、かわいらしい言葉だと思いました。現代語にも、やはり、似ている言葉があります。それが、「わびしい」ですね。意味を知って、びっくり、「侘びしい→寂しい。ものさみしい。」なんです。意味は違うけれど、イメージとか、言葉のカテゴリが同じような気がしました。?///
のどめたる 「のどむ」[和む]気持ちを落ち着かせる。ゆるめる。控えめにする。鷹揚(おうよう)である。「のどめたるところ」よく思案するところ。控えておくところ。
思しもまはさずなりて 思慮分別を失った状態。
なよびて 「なよぶ」衣服などがしなやかである。なよなよしている。柔和である。風流めく。
直面ひたおもてには、いかでか現はしたまはむ 面と向かってはどうしてあばきたてられようか。
あさましう、めざましう心やましけれど あきれて驚いて、腹が立つけれども。
われかの心地 我か人か。心が乱れて、自分であるか他人であるかわからないさまにいう。
いとほしう ①見ていられないほどかわいそうである。気の毒である。②困ったことである。われながらみっともない。③可愛い。いとおしい。
もどき 非難。
心宥されでありそめにけることなれど こちらの承諾を得ないで、の意と解したが、「心ゆるされて」と読んで、油断して、の意と解する説もある。
さても見む 葵の上の死後、右大臣が源氏と朧月夜との結婚を許そうとした。葵の巻。頁検索「なほこの大将にのみ心つけたまへるを」
めざましげに いかにも気に食わぬ様子。右大臣にそのようにとられる源氏の態度。
さるべきにこそはとて それも宿縁と思って。
なほ、その憚りありて 入内前に男に通じた負い目。
うけばりたる女御 「うけばる」は、ここは歴とした(女御)、の意。「など」とあり、中宮になる可能性も言っているか?
斎院をもなほ聞こえ犯しつつ 朝顔の斎院。「を」とあるのは「犯し」に続ける意識が強いため。神に仕える斎院が清浄に保たねばならないのに、それへ恋を仕掛けるとは今上の帝への冒涜である。「犯し」の語感に注意。(小学館古典セレクション)// 「聞こえ犯す」は言い寄るの受手尊敬。つつはそれを幾度もすること。(玉上)
いとどしき 「いとどし」いよいよ甚だしい。右大臣よりももっと激しい。もっと激しい。
ものしき 「ものし」[物し]」不愉快だ。目障りだ。
思ひ落としきこえて 「思い貶す」劣ったものに思う。見下げる。
このかみぼう 兄の東宮。「坊」は皇太子の地位。役所の名、「東宮坊」からきた。
さる方にても 宮仕えの方面。
すくすくしう ずけずけと。
構へ出でむに 企てるには、準備をするには。

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公開日2018年2月12日