「まいて」まして、の音便。「ゆゆし」は忌むべきことで、不吉だ、縁起が悪いの意で、容貌、才能などあまりに秀でた人は神怪妖物に魅入られて、災いを受けるとの俗信がある。/div>
いとをかしげなる女 ひどく美しげな女がすわっていて。/div>
己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで 「おの」は、僧・男子・老人・物の怪などの自称で、若い女には使わない。源氏の頭に浮かんだ六条御息所の姿は、夕顔に溺れることの御息所への後ろめたさが、夢になって源氏を責めるものと理解できる。/ この私が、まことにご立派なお方とお慕い申しているのに、尋ねようともお思いにならず・・・(小学館古典セレクション)/ ほんとにご立派とお見あげ申しておりますわたしを訪ねようともなさらないで。(玉上)/ わたしがあなたをとても素晴らしいとお慕い申し上げているそのわたしには、お訪ねもなさらず(渋谷)/ 私が、御身(源氏)を大層お美しいと見申すのに、それをば源氏は尋ねることをお考えにならずして、こんな格別取柄もない女を・・・(岩波大系)/この夢の中の美人の言葉が、よくわからない。「おのがめでたしと見たてまつる六条の女君をば」と見る説もあるが、それではずいぶんおせっかいなものになってしまう。「男君をおのがめでたしとみたてまつるに」の意と、「を」を接続詞的に考える説もあるが、その時は「をば」とは言わないようだ。で、結局、「君をめでたしと見たてまつるおのれをば、たづねも思ほさで」の意とみることにしたが、なお落ち着かない。夢の中でもののけが言う言葉なのだから、少しは変でもしょうがなかろうか。(玉上)
時めかしたまふ ちやほやする。大切にする。
めざましく 意外な事を見て目を見張る感情。
うたて 程度が甚だしく進んで普通とちがうさま。異様に。ひどく。
太刀を引き抜きて 平安時代には、儀礼用・護身用の太刀をいう。太刀を抜き刀身を現すのは、魔よけのまじない。
思へり 敬語がない。主語は女君。
我かの気色なり 「我か人か」で自他の見分けもできない。意識を失った様子。
いかさまにせむと思へり 「思へり」敬語がない。主語は女君。女は、どうしていいか分からない有様。
弦打 魔よけのため、弓の弦を鳴らすこと。
滝口 滝口の武士。滝口は清涼殿東北の前庭、皇居守護の武士の詰所があった所。本来は滝の落ち口の意で、内裏の御清水の落ち口は切り石で畳まれた貯水井となっている。
名対面 毎夜亥の一刻(午後九時)に宿直・勤番の従臣らが名を名乗り、出勤報告をすること。
宿直奏し 滝口の武士が点呼を受けて名乗ること。官人の名対面の後に行われるので、九時半過ぎになるだろう。
さながら臥して さっきの通り横たわっていて。
うたて 副詞。事態のますます悪化することを嘆く意を表す。
乱り心地の悪しう 気分の悪いこと。病気にかぎって用いる。
わりなく思さるらめ 「わりなくおそろし」の意。
そよ。などかうは 右近の「御前にこそ・・・」を受けて、「そう、そのことよ・・・」と源氏が言う。
若びたる人 (夕顔はたいそう)子どもみたいな人なので。
物にけどられぬる 「物」は、霊的な存在。「鬼」を「モノ」と訓した例が万葉集にある。「けどる」魂を奪う。
近き御几帳を引き寄せて 滝口の男に紙燭を手もとまで届けさせるため、男の目から夕顔の姿を隠そうとする動作。
例ならぬこと 主人が女といる寝所まで従者を呼び入れられるのは異例。
長押にもえ上らず 母屋と廂との境の下の下長押。長押は母屋と廂、または廂と簀子(縁)との境にある長い横木。上の長押(鴨居)と下の長押がある。廂は下長押を境に、母屋より一段下がる。女房たちは廂に寝ている。
所に従ひてこそ 慎むのも「所に従ひて」適宜にすべきだ。
むくつけけれ おそろしいこと。むさくるしいこと。
いふかひなくなりぬる 何を言ってもその甲斐がない。女が死んでしまったこと。
けはひものうとくなりゆく 気配もの疎くなりゆく。夕顔に死人らしい様子が現れ始めた。
むつかし ④気味が悪い。おそろしい。引用。
南殿の鬼 『大鏡』忠平伝に、太政大臣忠平(880-949)が若い頃、夜間、人気のない紫宸殿(南殿ともいう)で、鬼に太刀のこじりを捕えられたので、勅使を妨げると容赦せぬと一喝したところ、鬼は東北の隅へ退散したとある。
この男を召して 滝口の男。/ 預り(管理人)の子。この方が状況にあっている
かかる歩き 供人なしに忍び歩きすること。
むくむくしさ 非常に気味の悪いさま。
気色ある鳥から声に 「気色ある」①趣きある。おもしろい。②異様だ。一癖ある。引用。/ 「から声」しわがれ声。一説に、うつろな声。引用。
また、これもいかならむ 源氏が「この女(右近)もどうなってしまうか」と上の空で掴まえている。
隈々しくおぼえたまふ 「くま」は灯火の届く範囲外。不気味にとりまいている暗闇が、魔性のものの潜む場所であるように感じられるのである。
千夜 「秋の夜を千夜を一夜になせりとも言葉のこりて鶏やなきなむ」(伊勢物語)。秋の長夜の千夜を一夜にしたところで、まだ語り尽くせないうちに、夜明けを告げる鶏が鳴くことでしょう。恋のむつ言である。
かかる筋 対女性関係のこと。
おほけなくあるまじき心 藤壺の宮への思慕をさす。/ 「おおけなし」身の程をわきまえない。「おおけ」は分不相応に大きい意。
童べ 京童部。京都の若者ら。口やかましくうわさ好きなならず者、ごろつき、といった感じで用いられた語
ありありて 事態がさまざまに推移した後、が原意。常套的な連語で副詞。とどのつまりは。
をこがましき ばかげていて、みっともない。
あへなき 力を落とすさま。がっかりだ。惟光に事情を説明しようにも、もはやどうにも仕方がない事態なので、惟光に何も言う気になれない。
息をのべたまひて 緊張がとけて一息つく。
抱き持たまへりける (女の死体を)抱き持たまへりける。
とみ (「頓」の字音から)にわかなこと。急なこと。→とみに[頓に]。
例ならず ①普通とは変わってめずらしい。②身体が普通の状態ではない。病気である。
言ひつるは 言ったのだが、どうして来ないのだ。
ためらひて 「ためらう」[躊躇う]①気持ちを静める。心を落ち着かせる。
さいへど そうは言っても。
年うちねび 「ねびる」老人くさくなる。老成する。
世の中のとあることと 「とあることとかかることと」の意。あれこれのことに。
しほじみぬる ①湖水または潮気にしむ。潮馴る。②(転じて)物事に馴れる。なじむ。よなれる。
もののをりふし 「物」④世間で知られている内容。世間一般の事柄。「おりふし」その時々のこと。
便なかるべし ①折がわるい。都合が悪い。②不都合である。あってはならぬことである。③いたわしい。かわいそうである。
みづはぐみて 「みずはぐむ」甚だしく年をとる。引用。
かごかに「かごか」ひっそりとしたさま。静かにこもったさま。かごやか。
ささやか (夕顔の死体の様子)小さくこまかいさま。こじんまりした。
疎ましげもなく (死体なれど)気味悪さもなく。
上蓆 帳台の内の畳の上に敷く上敷き。唐綾の表に錦のヘリをつけ、裏をして中に綿を入れてある。昨夜、源氏と夕顔が共寝したものであろう。
したたかにしもえせねば 死者に対して手荒にきつく処理するにしのびない。そっとくるんである。
なり果てむさま 最後の姿。葬送の場に立ち会って、夕顔の死を見極めないではいられない。
くくり引き上げ 奴袴(指貫・さしぬき)は通常足首のところを紐で括るが、それを膝の下あたりまで上げて括った。かいがいしいいでたち。
我かのさま 「我か人か」で自他の区別がつかない。意識を失った様子。
いみじき ①(忌避したいものの程度が甚だしい意)大変つらい、悲しい、おそろしい、情けない。
かつは、いとあやしく、おぼえぬ送りなれど・・・ 惟光は一方から考えると全く不思議で、思いもよらない葬送であるが、源氏の様子がひどく悲嘆なのを見ると、気の毒でたまらないから、我が身の外聞も忘れて、右近の車と共に、自分も夕顔の死体を送って行く故に。
人びと 二条院の女房たち。
いたづらになりぬる 「いたづらになる」は、だめになってしまう、の意で、死ぬこと。
そそのかしきこゆ お勧め申し上げる。「そそのかす」その気になるように誘いすすめる。
立ちながら ちょっとの間。「立ちながら」は「立ったまま」の本義から転じて、「一寸の間」の慣用句となる。/ 源氏は穢 れているので、憚って御簾越しのまま話し、直接には面談しない。
大殿 左大臣邸。/ 「君だち」葵の上の父左大臣殿の子息たち。
忌むこと受け 「いむこと」[斎事・忌事・戒事]仏の戒。戒を受ける。受戒。
いと無礼にて 簾越しに会うことの失礼を詫びる。
かしこく 熱心に。
御遊び 管弦の遊び。
行き触れ 行きずれに穢れにあうこと。隠れ遊びのせいでしょうとからかう。
たいだいし 怠々し、か。不心得である。もってのほかだ。
蔵人弁 後に頭中将の弟と分かる。蔵人で太政官の中弁(正五位上)または少弁(正五位下)を兼ねる。
大殿 左大臣邸。すなわち正妻葵の上。
今はと見果てつや 「いまはと」もはやこれまでと。「いまわ(今わ・今際)」死に際。最後。臨終。
谷に落ち入りぬ 飛び込む。身投げする意。「世の中の憂きたびごとに身をなげば深き谷こそ浅くなりぬめ」(古今・雑躰 読み人知らず)
こしらへおき 「こしらふ」は、なだめる。すかす。
思ほしものせさせたまふ 「思ほしものす」で一語。あれこれと考え込む、の敬語。
さるべきにこそ、よろづのことはべらめ 前世の因が今世のこの果になったのでしょう。/ 万事そうなるべき前世からの定め事であろう。/ 「さるべし」そういう因縁である。
おり立ちて 自分で直接行う。
さかし そうだ。そのとおりだ。「かし」は助詞。
浮かびたる心のすさび 浮ついた気持ち。/ 浮気心の気まぐれ遊びのために、人ひとり死なしてしまった恨みを、きっと負うに違いないことが大層つらいのだ。
かごと ぐち。恨み。
少将の命婦 惟光の姉妹らしい。「命婦」は、令制では五位以上の女官(内命婦)、または五位以上の官人の妻(外命婦)をいう。
かかりたまへる 「かかる」は、生死がかかっている、の意。ただ一つの頼りとしてすがりつく思いだ。
ばら 人について、多数であることを現す。
さらに事なくしなせ 言うまでもなく、漏れぬようこの上はすこしでも手ぬかりなく(支障なく)処置してしまえと、その時の。/ 内密にの意ととる説もある。
いぶせかるべき 「いぶせし」は「心が沈み込んで陰気になる」意。
たいだいしきこと 「たいだいし」厄介である。不都合である。
やつれ やつれ【×窶れ】③人目につかないように、みすぼらしい姿になること。また、そのための服装。デジタル大辞泉、引用。/ 最近の忍び歩きの粗末なお姿のために準備された、狩衣の御装束。「やつれ→やつる」は、「身なりが粗末になること・様子を粗末に見っともなくすること」などの意。(小学館古典セレクション)
かきくらし かきくらす[掻き暗す]心を暗くする。悲しみにくれる。「かき」[掻き]動詞に冠し語勢を強める。
危かりし物懲り 十六日夜廃院でこりごりするような怪異にあったこと。
/河原 賀茂川の河原。
鳥辺野 京の東南郊外、当時の火葬場。現在の清水寺南方から泉涌寺北峰方に及ぶらしい。
ものむつかしき [物難し]何となく厭わしい。気がむさくさする。
板屋 板葺の家。檜皮葺や瓦葺きでない粗末な造り。
法師ばら 死人の通夜などに、臨時に招かれて報酬を得る「念仏法師」なるものがあった。
声たてぬ念仏 無言念仏。葬送以前には、念仏の声をひそめて行うのが通例。死者が念仏を聞くと、蘇生できる者もその声をおそれて蘇生できなくなるといわれる。
初夜 夜を三区分して、初夜・中夜・後夜とし、初夜(午後八時頃)に行う勤行。
火取り背けて 灯を夕顔の遺体からそむけてある。
とあるもかかるも 長生きするのもあるいは早死にするのも、結局は。どちらにしても。
こしらへて ことばをもって相手をこちらの思うようにする。導く。説得する。言いくるめる。
返りみ [顧み]後ろをふりかえって見ること。
生きとまる 生きてこの世にとどまる。生きながらえる。引用。
道の空 「道の空」で一語。道中。途上。
はふれぬ 野垂れ死にする。
我がはかばかしくは わたしがしっかりしていたら。「はかばかし」③しっかりしていて頼みにできる。たのもしい。
さのたまふとも 昨夜源氏が「いま一たびかの亡骸を見ざらむがいといぶせかるべきを、馬にてものせん」と言ったこと。
むげに まったく。ひたすら。容赦なく。
隙なくののしる 不断の祈祷である。
ゆゆしき御ありさまなれば 不吉な連想(早死にしないかと)があるほどに美しい。
心地も騒ぎ惑へど 源氏の忍び歩きの手引きをして以来のことに責任を感じて。
のどめて 気持ちを落ち着かせる。
たづきなし (右近が)よるべない。たよりとするものがない。引用。/ 急に一人が大勢の中に入って、教えたりかばったりしてくれる人もない。
かたはに見苦しからぬ 「かたわならず見苦しならぬ」
たち添ひぬべき よりそう。つきそう。あとを追うようにつづく。/ 夕顔の後について死んでいく。
いみじく惜し おしい[惜しい・愛しい]④よすぎる。もったいない。/ 「はなはだもったいないことだ」と右近は思う。
足を空にて うろたえる様を誇張したもの。足も地につかない。
大殿 左大臣。
雨の脚 漢語「雨脚」の和訳。物事の頻繁なことにたとえる。
ことなる名残のこらず 変わった(悪い)跡(余病)もなく、快方に向かうと見られなさる。/ ことなる[異なる]?
おぼつかながらせたまふ御心 帝が全体の主格。「おぼつかない」③(状況がはっきりしなくて)気がかりだ。不安だ。⑤もっと詳しく知りたい。待ち遠しい。逢いたい。「せる」[迫る]せきたてる。促す。/ (帝の) 御心配あそばされていらっしゃるお気持ちが
わりなくて どうにもならなくて、捨ててもおけず。
おこたり おこたる[怠る・惰る]②病勢がゆるむ。病気がなおる。
なかなか ③逆の状況や意味をもたらすこと。かえって。
いみじくなまめかしくて 病人や病後の人に美を認めることは、当時一般的であった。『枕草子』にもその例が多い。
ながめがちに 外をぼんやり見つめて、物思い勝ちで声をあげてばかり。
ねをのみ泣きたまふ 「音をのみ泣く」は常套的表現。この時代、男も声を上げて泣くことは、公家の日記にもしばしばみられる。
さばかりに思ふを知らで、隔てたまひしかば (源氏が)さばかりに思ふを知らで、(源氏に)隔てたまひしかば。/ 「知らで」とんちゃくせず、かまわぬ、の意。(玉の小櫛)
さばかりにこそはと聞こえたまひながら 「さばかりにこそは」身分が高くて明かせない事情があるのでは。 / 「さ」は源氏をさす。「こそは(あらめ)」。「聞こえ」源氏に対して直接言うのではなく、話題にのぼらせる場合でも「聞こゆ」という。源氏への敬語。。
なほざりにこそ紛らはしたまふらめ 「なおざり」いいかげんにする。かりそめ。おろそか。(源氏が)なほざりにこそ(御名を)紛らはしたまうらめ。
あいなかりける 「あいなし」⑤何のかいもない。むだである。
心比べ 互いに意地を張りあうこと。引用。
所狭う 「ところせし」[所狭し]①場所が狭い。いっぱいになっている。②身動きができない。気づまりである。
取りなしうるさき 「取り成す」(言いふらす。取り沙汰する。
あながちに見たてまつりし 「あながちに」]①強引であるさま。身勝手であるさま。②しいて。/ 強引に(無理に)お会いして。
かかるべき契りこそはものしたまひけめと思ふも こうなるべき前世からの約束事。
あはれになむ 如何にも、しみじみとなつかしく感ずる。又、反対に、つらくも思わ(感じら)れます
うち返し (副詞的に用いて)反対に。
七日七日に仏描かせても 死者の供養のために、七日ごとに十三仏を絵に描き、あるいは木像を造ること、といわれるが、平安中期にここまで整った行事があったかどうか、明らかではない。十三仏は、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿閦・大日・虚空蔵。このうち薬師までを七七日までにあて、以後の仏を順に、百日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌にあてる。
三位中将 位が三位で、官は近衛中将である者。中将は通常従四位下相当の官である。
ものづつみ [物慎み]遠慮すること。引っ込み思案。引用。
あとはかなく あとかたがない。なにものこさない。
かこと 恨みごと。不平。ぐち。
とざまかうざま いずれにしても。
いとしも人に あまり人には親しく馴れない方がよいと、どうも悔しゅうございます。「思ふとていとしも人に
むつれけむしかならひてぞ見ねば恋しき」(拾遺抄・恋下)あの人を思っているからといって、なぜこんなにもむつまじい仲になってしまったのだろうか。それが習わしなって、逢わないでいると恋しい、の意。
ものはかなげにものしたまひし人の御心を、頼もしき人にて 何だか、頼りにもならない有様でいらっしゃった夕顔の御心を、頼りにする人として、今まで長い間、御馴染み申し続けていたのでございます。
はかなびたるこそは・・・ この段落は難しいので、参考として尊敬するお二人の全訳を掲載した。/ 頼りなさそうなのが、愛らしいものだ。利口で、人の言うことを聞かないのは、決して好ましいものではない。わたし自身が、はきはきせず、きつくない生まれつきゆえ、女はただやさしくて、うっかりすると男にだまされそうでいて、それでいて慎ましく、夫の心には従うというふうなのが、可愛いもので、自分の思うとおりに矯め直して暮らしたら、仲よくゆけるだろうと思う。(玉上琢弥訳)/ 頼りなげな人こそ、女はかわいらしいのだ。利口で我の強い人は、とても好きになれないものだ。自分自身がてきぱきとしっかりしていない性情だから、女はただ素直で、うっかりすると男に欺かれてしまいそうなのが、そのくせ引っ込み思案で、男の心にはついていくのが、愛しくて、自分の思いのままに育てて一緒に暮らしたら、慕わしく思われることだろう。(渋谷栄一訳)
心づきなきわざ 「こころづきなし」[心付き無し]気に入らない。心がひかれない。
はかばかしくすくよかならぬ心ならひに 物事にはきはきとせず、気の強くない心のくせ(生まれつき)である故に。/ 「はかばかしい」しっかりして、頼みにできる。「すくよか」心や体のしっかりしているさま。すこやか。源氏の性格はこれらの否定・反対である。
とりはづして ①(うっかりして)取り落とす。取りそこなう。②間違える。失敗する。(学研全訳古語)/ うっかりすると。これが諸訳の定番になっているが、どうしてか?
ものづつみし 遠慮すること。引っ込み思案。
見む人 夫婦として暮らす相手。
我が心のままにとり直して見むに 夫が自分の思い(好み)通りに、その女の悪い点を直して見るとすれば。「とり直す」なおす。改める。
見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつましきかな 恋しい人を葬った煙があの雲になったのだと思ってながめると、夕方の空も親しいものに思われる(新潮)/ 契った人の火葬の煙をあの雲かと思って見るとこの夕方の空も親しく思われるよ(渋谷) / 連れ添ったあの人を葬った煙があの雲かと思って眺めていると、この夕べの空もなつかしくてならない。(小学館古典セレクション)/ あの人のなきがらを燃やした煙があの雲と思って眺めると、この夕空も親しみを覚える事だ。(玉上)
憂しと思し果てにけるを、いとほしと思ふ (空蝉が思うに、源氏の君は自分を)憂しと思し果てにけるを、(それが空蝉は)いとほしと思ふ/ 自分を嫌な女だとお見限りになられたのを、つらいと思っていた折柄。(渋谷訳)
け近くとは思ひよらず 暗に、男女の交わりに入ることをいう。「け近く(逢わん)」
言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ 「言ふかひなし」[言う甲斐無し]言っても効果がない。②役に立たない。意訳→つれない。木石のような。「見えたてまつりてやみなむ」思われてしまわないように。
問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる (言葉に出してはとても)お尋ねできませぬのを、なぜとお問い下さることもなく月日がたちますのを、どんなに思い悩んでおりますことやら(新潮)/ お見舞いできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたがわたしもどんなにか思い悩んでいます(渋谷) /お見舞いできませぬのを、なぜかとお尋ねくださることもないままに日がたちますにつけて、どれほど私は思い乱れておりますことやら。(小学館古典セレクション)
空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ 空蝉のこの世はいやなものだと思い知ったのにまたもお言葉に望みをかけて生きていこうとすることです(新潮)/ あなたとのはかない仲は嫌なものと知ってしまいましたが
またもあなたの言の葉に期待を掛けて生きていこうと思います(渋谷) /空蝉のようにはかないあなたとの仲はつらいものととっくにわかっていたのに、お便りをいただくと、またその言葉にすがって生きていたい気になります。(小学館古典セレクション)
いとほしうもをかしうも思ひけり お気の毒にも、くすぐったくも思うのだった。(玉上)/ おいたわしくも、また心そそられる思いであった。(小学館古典セレクション)/ 気の毒にもおもしろくも思うのであった。(渋谷)/ 「いとおしい」①見ていられないほどかわいそうである。気の毒である。②困ったことである。われながらみっともない。③かわいい。可憐である。いとしい。「おかしい」①こっけいである。②変だ。変わっている。①心ひかれる。②おもしろい。興味がある。
『益田』はまことになむ 「ねぬなはの苦しかるらむ人よりも我ぞ益田の生けるかひなき」(拾遺・恋四 読み人知らず)「ねぬなは」はじゅんさいの異名。根が長いので「繰る」(苦し)の枕言葉。益田池は大和国橿原市にある。
ゆかしければ ゆかしい[床しい]何となく知りたい、見たい、聞きたい。②何となくなつかしい。何となくしたわしい。
蔵人少将 蔵人で近衛少将を兼ねる人。この人物はここでしか登場しない。
あやしや。いかに思ふらむ (源氏が少将の気持ちを想像している)変な話だなあ。軒端の萩と自分との関係を知ったならば、蔵人少将は。/ おかしなことよ。どういう気持ちでいるいるのだろう。/ 変な話だ。どう思っているのかしら。
死に返り 死ぬほど苦しい。
ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし 一夜の逢瀬にしろ、契りを結んでおかなかったら、ほんの少しばかりの恨み言も、何にかこつけて言えましょう(新潮)/ほんのちょっとであるにせよ、あなたとああして軒端の荻を結ぶ契りをかわさなかったら、このいささかの恨み言でも、何にかこつけて訴えることができるでしょう。(小学館古典セレクション)/ わずかながらも軒端の荻を結ばなかったらわずかばかりの恨み言も言えたものではない。(玉上)/ 一夜の逢瀬なりとも軒端の荻を結ぶ契りをしなかったらわずかばかりの恨み言も何を理由に言えましょうか。(渋谷)/ はっきりしない程度にでも、御身と契りを結ばないならば、御身が男を通わすと知っても、何を理由に恨みを言おうか。いいがかり(かごと)はないのである(然し、関係があったからこそ恨みを言う)。「結ぶ」と「かけまし」は、露の縁語。「萩」も「露」縁語に用いた。(岩波古典大系))
いとほしく 「いとおしい」①見ていられなきほどかわいそうである。気の毒である。いたわしい。②困ったことである。われながらみっともない。③可愛い。可憐である。
高やかなる荻 丈の高い萩を用いるのは、相手が背の高いゆえのからかい。
あいなかりける 困ったもの。つける薬もない。(玉上)/ 「あいなし」①あるべき筋から外れている。けしからぬことである。
心憂しと思へど (夫ある身でお手紙とは)困ったものだと思うが、(こうして思い出してくださったのもうれしく)。
口ときばかりをかことにて取らす 「くちとし」[口疾し]受け答えがはやい。「かこと」[託言]言い訳。「取らす」小君に渡す。
ほのめかす風につけても下荻の半ばは霜にむすぼほれつつ あのことをほのめかされるお便りにつけても、荻の下葉が霜にあたってしおれているように、(賎しい身にはまれのお尋ねがうれしいながら)なかばは思い萎れているのでございます(新潮)/ ほのめかされるお手紙を見るにつけても霜にあたった下荻のような身分の賤しいわたしは、嬉しいながらも半ばは思い萎れています(渋谷)
さればみて 「さればむ」[戯ればむ]しゃれたさまをする。気取ったふうをする。引用
うちとけで向ひゐたる人は 取りつくろって対座していた人は。「うちとけで」うちとけてとも解される。空蝉である。
何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりしよ 今思い出している人(軒端の萩)は、別に何という心がまえもありそうでなく、ざわざわとはしゃいで、得意であったよ。/ 何の嗜みもありそうもなく、はしゃいで得意になっていた。/ 「そうどき」騒動の音を四段動詞化したもの。
宿世の高さ 宿縁の高さ(えらさ)よ。果報者よ。/ 果報の高いこと。なんとすぐれた果報のお方よ。/ 宿縁 前世からの因縁。
忍びて調ぜさせたまへりける 故人の装束や調度などを布施として寺に寄進するならわしがある。夕顔には何もないので、源氏がひそかに新調する。
泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき 「ふたりして結びし紐をひとりして我は解きみじただに逢うまでは」(万葉2919)。古代に、男女が互いに貞操を守るしるしとして、下袴の紐を結び交わし、他人には解かせないことを誓い合う風習が古代にはあった。「とけて」に、「紐を解いて」と、「男女が打ち解けあって」の意を、「見る」に「逢う」の意をかける。/ 涙にくれて今日は私が一人で結ぶ袴の下紐を、いつの世にかまた相い逢って、共に解き、うちとけて相見ることができよう(新潮)/ 涙ながらに今日は私が一人で結ぶ袴の下紐を、いつの世に再びあの人とともに解き、打ち解けて逢うことができるだろうか。(小学館古典セレクション)/ 泣きの涙で今日私が結ぶこの紐をいつの世にかまた相逢って解き、打ち解けて相逢おうか。(玉上)
念誦 心に仏を念じ、口に仏名や経文などを誦すること。
このほどまでは漂ふなるを 四十九日までの中陰の間、死んだ人の魂はまだ来世の生が定まらず、中有(ちゅうう)にさまよっているといわれる。「なる」は伝聞。行く処は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)
けはひをさばかりにやと、ささめきしかば 男(源氏)の持っていた雰囲気からして、男は源氏の君だったであろうと。
家主人 この夕顔の宿の主人は、夕顔の、西の京にいる乳母の長女であったのだ。(帚木)に「揚名介の妻」の由が見える。右近は湯顔の早く亡くなった別の乳母の娘であった。
なほ同じごと好き歩きければ 以前と同様に、この宿の女に通っている。夕顔の一件は関知しないことをよそおってである。
いとど夢の心地して 何が何やらわからず、すっかり夢のような気がして。
若君 撫子のこと。姫君でも若君という。
ゆゆしくなむ 自分もそんな結果(死ぬこと)になるのかなどと思うと、どうも気味悪く恐ろしい。
添ひたりし女 枕元にいた女。
たむけ 餞別。元来は旅の途中、道祖神(さえのかみ)に奉る物の意。
内々にも 家の中。うちわ。ここは、伊予介へとは別に、空蝉にも人知れず。
幣 、神に奉る幣帛(へいはく)。布・紙などを用いた。旅の途中の要所(峠や難所など)、道祖神に捧げた。
逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな また逢うまでの形見に過ぎないと思っていましたのに、この小袿の袖も私の涙ですっかり朽ちるまでになってしまいました(新潮)/ 再び逢う時までの形見の品ぐらいに思って持っていましたがすっかり涙で朽ちるまでになってしまいました(渋谷)
/また逢う日までの形見までと見ているうち、何時か落ちる涙にすっかり袖が朽ちはててしまった。(玉上)
蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり 蝉の羽根のような薄い夏衣も裁ち更えて、衣替えをすませた今、あの時の薄衣をお返しくださるのを見ますと、(お心も変わったのかと蝉のように)声を上げて泣いてしまいます(新潮)/ 蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は返してもらっても自然と泣かれるばかりです(渋谷) / 衣替えも終わった今、お返し下さった夏衣を見ると、もう声をあげて泣いてしまいます。(玉上)/ 蝉の羽のような夏衣を脱ぎ替えて、秋の衣替えをすませた今にな って、お返しくださったのを拝見しますにつけても、声をたてて泣かずにはいられません。(小学館古典セレクション)/ 蝉の羽。薄い夏衣にたとえる。「鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽のうすき衣はたちぞ着てける」(拾遺・夏・大中臣能宣)「たち」に「立ち」と「裁ち」をかける。
過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな 死んでしまった女も今日旅立ってゆく女もそれぞれ道は違うがどこへ行ってしまったことやら、この秋もどこへ去って行ったやら(新潮)/ 亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道にどこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ(渋谷) /死んだ女、去りゆく女。共に行方知らずに行ってしまう。今日が最後の、秋と同じだ。
いとほしくて ①見ていられないほどかわいそうである。気の毒である。いわたしい。
みな漏らしとどめたるを 「漏らしとどめるい」言わずにおいた。
かたほならず 「かたほ」[偏・片秀]不完全。不十分。
とりなす 誤認する。誤解する。
なむ 下に「かく記しはべりぬ」などの意味を含む。
もの言ひさがなき つつしみなく人の事を言う。悪口を言いちらす。
さりどころなく 避けどころ。逃げ場所。/ 作者として、口が悪い(慎みがない)罪(非難)は、免れないと存じます。(岩波大系)/ 無遠慮すぎたお喋りの非難は、免れ難いことで。(玉上)/ ・・・あんまりおしゃべりが過ぎるというお咎めは、のがれようもないことで・・・。(小学館古典セレクション)