二条院
① 桐壷更衣の里邸であった。 光源氏の里邸であるが,源氏が伝領する。源氏が元服し,葵の上
と結婚した後,改装される。源氏は、紫の上をここに住まわせる。紫の上はそれにより、「二条の院の君」「二条の
院の姫君」「二条の院」よ呼ばれる。
六条院ができてからは、二条院の東の対に、末摘花、空蝉を住まわしている。
源氏から紫の上に伝領され、最終的に匂宮に紫の上から伝領された、という。
紫の上は、病気になって最後は六条院から、二条院へ移り、ここで亡くなる。後、匂宮はここを住まいとして、中君を住まわせる。明石中宮は幼少時、明石の君から紫の上へ引き取られ、紫の上に育てられた。二条院は実家である。匂宮は明石中宮の子だが、紫の上に育てられたので、匂宮はここで育ったことになる。実家である。明石中宮、匂宮とも二条院で紫の上にそだれられ、二条院が実家である。
元の木立,山のたたずまひ,面白き所なりけるを,広くしなして,めでたく造りののしる(桐壷巻)
明けゆくままに見渡せば,御殿の造りざま,しつらひざま,さらにもいはず,庭のすなごも玉を重ねたらむやうに見えて輝く心地するに(若紫巻)
六条院
光源氏の本邸.源氏本人の呼称ともなる邸。四町からなる広大な邸。西南部分に六条御息所の邸宅跡を含む。四町は各々四季を象徴し、敷地は町ごとに壁で仕切られているが、互いに廊で繋がり往来が可能である。
(少女)
春の町(東南)—源氏と紫の上明石の姫君が住む。
明石の姫君が入内し、女三宮が降嫁した後は、女三宮が寝殿の西側に住み、明石女御が里下がりの際に寝殿の東側を住まいとした。庭園は春の草木が無数に植えられ、高い築山と広大な池を有する。池は隣の秋の町へと続いており、女房たちが舟で往来することもあった(「胡蝶」)。源氏と紫の上の没後、女三宮は三条宮に移ったが、孫の女一宮が東の対に住み、同じく二宮も寝殿を休み所とした(匂宮)。
夏の町(東北)—花散里と夕霧が住む。
花散里は夕霧の世話をした。のちに玉鬘が西の対に住む。夏向けに泉があり山里風に木々を配し、南側に池、東側に馬場殿と馬屋が設けられている。馬場では端午の節句の競べ馬などが行われた。(蛍)源氏没後は花散里が二条東院に移ったため、夕霧と結婚した落葉の宮が移り住んで養女六の君を迎え、六の君と匂宮の婚儀もここで挙げられた。(宿木)
秋の町(南西)—秋好中宮の里邸、
元あった御息所邸の庭園の築山などをそのまま生かしており、紅葉や秋草が本物の秋の野以上に見事である。春と秋には中宮主催の季の御読経が催された(「胡蝶」)ほか、明石の姫君の裳着もここで行われた(「梅枝」)。
冬の町(西北)—明石の御方が住む、
寝殿がなく対の屋2つが並ぶやや質素な作り。敷地の北側は倉が並び、松林と菊の垣根を配する。明石の女御(姫君)の最初の懐妊に際して、女御は方違えで春の町からここに移り皇子(のちの今上帝東宮)を出産、また実の祖母尼君と再会した(「若菜・上」)
三条邸
大宮は桐壷帝の同腹の妹で、三条邸に住み、「三条の大宮」と呼ばれた。左大臣の北の方として、葵の上と頭中将を産み育てた。葵の上と結婚した源氏は、当初、二条院から、三条邸に通ったことになる。頭中将は右大臣の四女と結婚したので、二条宅に居住していた。
娘・葵の上の死後、忘れ形見である夕霧を手元で育て、後に内大臣(元の頭中将)の脇腹の娘である雲居の雁も自邸に引き取り、二人を寵愛した。「よろづのものの上手」(様々な楽器に長けている)で、夕霧や雲居の雁にも手ほどきをしている。
しかし夕霧は元服後源氏の教育方針で三条殿を出、また雲居の雁も夕霧との恋仲を内大臣に知られて強引に引き取られたため、ひどく悲しんだ。(少女)のち、夫婦となった二人は、再び三条殿に移り住んだ。夕霧は「三条殿」と呼ばれた。
左大臣は三条邸、右大臣邸は、二条の宮。二条の大路をはさんで、三条の宮に対している。
三条邸 その②
(朱雀院の)女三宮の邸宅。女三宮は源氏に降嫁する。邸宅は朱雀院から伝領されたものか?源氏の死後、六条院を去り柏木との間に生まれた薫と共に当邸に移り住む。のち薫は当邸に今上帝の女二宮を迎え繁栄する。 椎本で、「三条の宮焼亡。薫、女三の宮、六条院へ移り住む」とあり。
三条邸 その③
藤壷の里邸である三条宮
三条邸 その④
浮舟の母が移り住んだ三条の小家。中君預りで、二条邸にいたとき、匂宮に見つけられて襲われそうになったので、移った。
一条邸
落葉宮(朱雀院の二宮,柏木の北の方)の邸宅.柏木と母である一条御息所の死後,夕霧が当邸を強引に改装し,移り住む
桃園宮
式部卿宮(桐壷院の弟)の邸宅。宮の死後、女である朝顔斎院は賀茂を退下し当邸に住む。朝顔は源氏の求愛に対し,終生心を開く事はなかった。
紀伊守の中川邸
光源氏が方違のために訪れた際,空蝉と出会った邸宅.源氏は寝殿(寝殿造の正殿)の東面に迎えられた。
大弐乳母の邸宅
五条に所在し,源氏が六条の御息所に通う途中に乳母を見舞うが,隣家に住した夕顔を知った事から通うようになった。
六条の御息所の邸宅
六条にあったと思われる。のち、源氏は四町からなる広大な六條院を作るが、六条の御息所の邸の敷地を取り込んで作っている。六条の御息所の娘の斎院も六条院に対をもうけて、住まわせている。
六条のわたりの邸宅
「六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこしほど遠き心地するに、荒れたる家の木立、いともの古りて、木暗く見えたるあり。例の御供に離れぬ惟光なむ、 「故按察使大納言の家にはべり。・・・」(若紫)これからすると、北山から帰った尼君と紫の上は、六條辺りに故按察使大納言の邸があり、尼君も若紫もここが住まいだったことがわかる。
※ このページは、清泉女子大学受講生のページへ源氏物語の邸宅 及び六条院(Wikipedia)
を参照しました。
公開日2020年11月26日