源氏物語資料  Shakespeare and Genji

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シェイクスピアと源氏

by Peter Milward

イタリアにダンテあり、イギリスにシェイクスピアがあるように、日本には紫式部があるとしばしば言われることがある。ダンテの神曲、そしてシェイクスピア劇の数々と、源氏物語は並び称されている。これらのことは、文学的に著名な作家以外は何も知らない素人がしたがる一般的な比較である。わたしに自身については、わたしが公式見解を述べる資格のないダンテとの比較を除いて、わたしは断言できる、アーサー・ウェイリー、エドワード・サイデンステッカー、ロヤル・タイラーの翻訳を通して源氏物語を繰り返し読んだあとでは、ー残念ながら日本語の原典で読んだのではないと認めなければならないがーその時代と民族性の大きな隔たりにもかかわらず、紫式部の文学的天才には、明確なそして名状しがたいシェイクスピア的資質がある。この資質を「名状しがたい」といったが、それでもわたしは全力をあげて、それを明らかにしたいと思う。

これらの源氏の翻訳の通読を通して、過去50年にわたってシェイクスピア劇を愛読してきた者として、わたしが気づいたのは数多くのシェイクスピア的反響である、その特殊な語法においても考え方一般においても。英訳で読んだので、この小説の理解を翻訳に頼っているという批判は免れないだろう。結局のところ、これらの翻訳者はうまく英語に訳せているし、昨今では、ある程度、シェイクスピアの語句に精通していなければ、英語への翻訳は不可能であろう。少なくとも、これらの翻訳を通してわたしに印象づけたのは、紫式部の日本語を英語の読者に伝えるのに、シェイクスピアの英語が何とよく適しているかということだった。

まず最初に気がついたのは、ある哲学的興味、ある抽象的些事に対する嗜好、それは16世紀ヒューマニストの特徴であり、今日ではシェイクスピア学者の間でもほとんど見受けられないものだ。エリザベス朝のほとんどの劇作家たちと違って、シェイクスピアは「ヒューマニスト」の称号を使える大学卒ではなかったし、まして、「哲学者」などではなかったが、彼は人間の哲学に本能的な興味を持ち、それは彼の総ての劇に浸透し、「亡命」と「相続権争い」を扱う二つの劇『お気に召すまま』の喜劇と『リア王』の悲劇では前面に出てくる。その中で特に目に付くのはある種の哲学、それは大学で多く学べるものではなく、いわゆる適切にもいわれた「災難の学校」で、そこでは劇作家自身が立派な学者であった。

そのような人間哲学が、まさに紫式部の哲学でもあった。シェイクスピアの時代も、源氏の時代も、専門家の哲学は、もっぱら男性優位で、禁じられた言語的防御のなか、すなわちラテン語と漢語で保護され、学ばれていた。しかし、もっと純粋な人間哲学は、健全な儒教的原則「論語読みの論語知らず」を廃し、「まさしく論語の専門家が論語を誤って解釈していた、木を見て森を見ず等の学問的偏向」ーそれにとらわれず、男女の別を超えて、シェイクスピアの劇にも源氏物語にも、隈なくかいま見える哲学だ。一方、どちらの時代も、専門家の哲学は活力を失いつつあり、男性優位であり、かってはもっと素人っぽく、シェイクスピァの時代も紫式部の時代も、もっと身近なものであり、女性的であったのである。

紫式部の側としては、彼女自身女性であり、その文体と関心の向きにおいて、女性的な特徴をかなり多く見せている。彼女の小説において、その力点は、わたしはあえて言うのだが、男性主人公、光る源氏その人にはなく、むしろその他大勢の婦人たちにあり、ある翻訳者エドワードサイデンステッカーが「恋する女たち」、と魅力的に呼んでいる。この女流作家は、女性として、頻繁に女性がいかに美しく豊かであろうと圧倒的な男社会で、悲しい女性の苦境について書いている。彼女はまた女性の感受性で衣や香料や一年の変わりゆく四季を木々や花の名やあげ、鳥や昆虫の名を記している、男性作家では、少なくともイングランドではほとんど見られないことです。

他方、これら女性たちの記述は、紫式部がシェイクスピアと分け合う同じ特徴です。シェイクスピアは同時代のすべての詩人や作家の中で「もっとも男性的でない」作家といわれており、その文学的天才は「両性具現的」といわれるほど、男性的ではなかった。こうして、彼の総てのドラマのなかでーロメオよりジュリエット、オーランドウよりロザリンド、バッサニオよりポーシャ、こうしてどんどん書いてゆけるが、オセロよりデスデモーナ、リア王よりコーデリア、なかんずく、アントニーよりクレオパトラとなる。それでも、これらの劇のなかで、最初と最後の二つに、タイトルでヒロインの名がヒーローの横にならんで現れる。そのうえ、シェークスピアは、これらヒロインたちへの好みを示すだけでなく、自分が男性であるにもかかわらずー紫式部ではそのような好みは自然に現れるように思われるが、日本の同輩と違い、シェイクスピアは男性であり、彼は理想の婦人像が輝きを放っていた長い文学的文化的伝統のなかで書いているのである。 。

われわれ誰もがすべてのシェイクスピアの劇に認めるこの女性の輝きは、ルネッサンス期に多くの高貴な婦人たちいたからではなく、エリザベス女王自身が少なからず影響していると思われるが(劇作家自身の胸には、エリザベス女王はクレオパトラの現代版モデルと映っていたろうが)しかしそれに先んじる中世の婦人の理想像が決定的に影響していると思われる。この理想像は、騎士道精神の中心に存し、また宮廷の愛情表現にも現れており-日本の武士道にはないがーより世俗的なアーサー王の宮廷のロマンスのなかのグネビア王妃のような婦人たちや、聖なる処女、聖母マリア、聖母の伝統のなかで、讃美歌や当時の説教のなかに現れる婦人たちに存している。シェイクスピアのすべての劇に見られるのは、ヒロインの理想像で、ー数少ないケースで、もっと現実的に自己中心的なガートルードやクレシダのような例外もあるがー「品位」という言葉に関しては、「品位に満ちた」聖母マリアへの天子の言葉が響いているようです。

同時に、紫式部のように、シェイクスピアは男性優位の社会で、女性の苦境に対し繊細な同情を見せている。これは(ハムレットの悪名高い科白)に現れ、

Frailty,thy name is woman!
弱き者汝の名は女
ハムレットは、母のガートルードにも恋人のオフェーリアに対しても言っているのだが、どちらの女性にも同情していない-しかし彼の嘆きは、『十二夜』においてはビィオラの科白に照応する。
How easy is it for the proper-false!
In women' waxen hearts to set their forms!
Alas, our frailty is the cause, not we be.
for such we are made of, such we be.
見栄えのいい浮気男なら何と易々と
女の蝋の心にその姿を印象づけることか、
ああ、女の弱さが原因なのだ、われわれが弱いのではない、
われわれはそういう風に作られているのだ、われわれはそのようにできているのだ。
後に、公爵の次のありふれた意見に対して、
For women are as roses, whose fair flower
Being once display'd, doth fall that very.
女はバラの花の様なものです、
その美しさは一度咲いたら、その時に枯れる
その返事で ビオラは言う
And so they are, alas that they are so.
To die, even, even when they to perfection grow!
ああ、バラの花はそうでしょう、ああ、女もそうなのです。
その時、死ぬのです、花の盛りに
ここで注目すべきは、彼女の意見のひとつひとつにビオラは、世界の女たちの苦境について、嘆きの叫びを入れていることです「ああ」と。この嘆きは、男優位の世界で、シェイクスピアの哲学のなかでは、決して軽いものではなかった、それは先に記した「災難の学校」で形成されたのである。

この状況は、むしろ、創世記で神がイブに発した呪いのことばに起因するのかも知れない。

I will greatly multiply thy sorrow and thy conception.
In sorrow thou shalt bring forth children,
and thy desire shall be to thy husband, and he shall rule over thee.
わたしはおまえの悲しみを増し、お前の受胎を増やすだろう。
悲しみのうちに、お前は子供たちを生むだろう。
そしてお前の欲望は夫に向けられ、夫はおまえを支配するだろう
ある意味、シェイクスピアが示したかったことは、ーそして紫式部はかならずやシェクスピアに同意するだろうがー悲しみのなかから、悲しみの母として、そして男性優位のなかで、シェイクスピアの後期の劇に見られるように、婦人が際立ち、輝いてくるのである。それはまるでエリザベス女王の圧倒的支配から逃れるように、シェイクスピアは、以前にもましてヒロインたちの理想像に集中する、デスデモーナやコーデリアの悲劇的な姿から、悲喜劇的なマリアやミランダーこれら二人のヒロインたちは、その名は中世の聖母名称からとっているのだが、Virgo veneranda(尊敬すべき処女) とMater admirabilis(聖母マリア) から。紫式部については、小説が進行するにつれ、源氏のたくさんの変化に富んだ恋愛沙汰からひとりの理想のヒロインに、彼女と同名の、もうひとりの紫の婦人、紫の上に、焦点が当てられる。

さて、わたしはシェイクスピアも紫式部もともにそうであったヒューマニストそしてフェミニストの側面から、二人が分かちもっている宗教的迷信に目を転じよう。この点についても、シェイクスピアは中世のカトリックの伝統をなつかしむように顧みている。エリザベス王女のもとで追放されたように状態になって、ソネットのなかで言っているように、「これら最近の悪しき時代のもとで」そして今や勝ち誇ったプロテスタント党から迷信で責められ、とりわけ「聖母マリア」への中世的傾倒は「行き過ぎたマリア崇拝」-すなわち神のみにのみ払われるべき崇拝がマリアになされているという批判されるようになる。カトリック自体が認めているように、幽霊や魔女、悪魔や妖精などそれら「超自然的なもの」に対する、どちらかといえば「害のない」民間信仰、魔女については(たとえば)魔女狩りに発展しないかぎり、プロテスタント派が迷信的なものをどんどん攻撃するのは自然なことだ。しかし、すべてこの世のことは、同時代のプロテスタント派の説教者によって弾劾されており、ヘンリースミスが「素朴な人々の間でかって議論された古い問題、いったん迷った人間の魂は一度体外遊離したら死後歩いて人々の間に現れるかどうか」に決着をつけた。

このことは、しかしながら、源氏物語のどのページにも表れているのを見る、そこでは神道であれ、仏教であれ、当時の宗教的勢力には眉をひそめられることなく、先取権と収入の面で受け入れられている。それはシェイクスピアの劇中いたるところにもみられる。とりわけー我々は期待するのだがーシェイクスピアの悲劇の中で。われわれは直ちに、すべての幽霊を思い浮かべることができる、『リチャードⅢ世』や『ジュリアスシーザー』のような歴史劇のなかで、ハムレットやマクベスの悲劇の中に、またマクベスの魔女たちや、『間違いだらけ』の悪魔祓いに、『ペリクルズ』のダイアナのように異教の神々の介入があり、『シンベリン』のジュピター、『冬物語』のアポロ、王や王女につきそう多くの妖精たちは言うに及ばず、『真夏の夜の夢』のオベリオンやタイタニア。こうしてシェイクスピアは紫式部に劣らず超自然な世界に親しんでいたし、この傾向はプロテスタント支配層にますます眉をしかめさせたが、18世紀の「啓蒙時代」がくるまで続くのである。

源氏物語におけるこの超自然の世界の浸透程度を示そうとすると、この長い小説の全体に及ぶだろう、その文脈の中からひとつひとつの悪魔に憑かれた話や悪魔祓いの幾多のエピソードを検討する必要があり、それはたいへんなので、むしろ、二つの有名なエピソードにしぼって取りあげよう、どちらも六条御息所が源氏の恋人に対する嫉妬に駆られて、ーそのヒロインの名から題名がとられているー夕顔と葵。二人とも源氏の愛する人で、捨てられたと思った六条御息所の呪いがかかり、ある神秘的な方法で、死んでしまう。

最初のエピソードの夕顔の場合は、夕顔の花にちなんで名づけられ、市井の古い家に住み、六条御息所の邸とは奇妙な対照をなしている。しかし、そこには閑居らしい魅力があり、世間から隔離された風情は源氏を引き付ける。一方、どこか神秘的で荒廃した雰囲気は源氏の美しさに覚醒した気味の悪い狐の霊をも引きつけ、一夜の愛の契りの後、夕霧にりついてしまう。蘇生の試みの甲斐なく、夕霧はただちに死んでしまう。彼女の場合、六条御息所がかかわっているというのは、明白な二つの住まいの対照から憶測されるのだが、一方は壮麗な邸、もう一方は荒廃した住まい、そしてこの小説では女性は和歌に現れた住まいや花々から名づけられている事実から推定されるのだが。

二つ目の場合は、源氏の正妻の葵に焦点があてられ、六条御息所のかかわりは、嫉妬に駆られた生霊が葵にりついたと、もっと明白に語られている。六条御息所は、源氏に語っているように、自分の生霊と認めているわけではないが、このことに気づいている。ウェイリーの訳では、「生きている人間の霊がりついた」例としていわれている。これは、「すさまじい量の悪意」が犠牲者に放たれたものといわれ、また「意識的に魔術をかけた敵」によってなされたと説明される。その結果、六条御息所自身確信するようになる、異常な出来事だが、「生霊が身体を離れるのは可能なのだ」。

そのようなりつきの例は、源氏物語でも例外的なのだが、言うまでもなく、シェイクスピアの劇には出てこない。しかし、作家はそのようなことが起こり得ることを許すのである、ハムレットは疑い深い友にこう断言する。
There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy,
ホレイシオ、天地の間には、君の哲学をもってしても
思いもつかないことがあるのだ
  特別な場合、シェイクスピアはリチャード三世のなかで描いている、マーガレット王女のような老婦人の復讐心がリチャードに対してどんなに深く呪っているか、ボズワーズの決戦の前夜に見た、彼の犠牲者の亡霊が列をなしている夢を見て知るのである。

再び葵のケース、「人間の生霊が人の身体を離脱することが可能なのだ」と六條御息所が気づいたすぐ後で、ウエイリーの訳では、シェイクスピアのジュリアスシーザーのなかから、二つ以上の響きが現れる。ひとつは、 「人々には意地の悪い喜びがある、善人がした良いことについて何も言わず、なされた悪を言うのである」この言葉はシーザーの遺体の上でなされたマークアントニーの有名な科白が反映している、

The evil that men do lives after them,
The good is oft interred with their bones
人がなす悪はその人亡き後も生き残る、
善はしばしば骨と一緒に葬られる
次に六条御息所はさらに思う、「死んだあとでその人の亡霊は敵を探す、いつでも起こることのようだ」このことはシェイクスピアの劇では実際にあることだ、シーザーの幽霊が二人の暗殺者、ブルータスとカシアスを追い詰め自殺に追い込む。その時、ブルータスはカシアスの遺体の上で嘆く、
O Julius Caesar, thou art mighty yet!
Thy spirit walks abroad and turns our swords
In our own proper entrails
おお、ジュリアス・シーザー、あなたの力はまだ強力だ。
あなたの霊が歩き出して、われらの剣の向きを変えさせ
われらの内臓を突き刺すのだ

この場合、ウエイリーと他の二人の翻訳者の対応する節を比べてみるのがいいだろう。サイデンステッカーの場合、他の翻訳者よりもシェイクスピアの用語法を多く響かせているのだが、そこでは、「世間では、わずかでも罪を犯した人々を良く言わないない」タイラーについては、シェイクスピアの反響が最も少ない訳者だが、彼の訳は、「世間は口が悪いものだ」、そして再び、「死後に邪悪な魂がこの世に残るのは普通のことだ」このように異なる訳から、少なくともこの場合、源氏物語の翻訳に関しては、ウエイリーは『ジュリウスシーザー』に少年の頃から親しみすぎていて影響を受け過ぎているといってよいだろう。他方、それぞれの翻訳者たちは翻訳の中にその影響が頻繁に見られるので、シェイクスピアの影響だけで十分説明できるわけではない。

一般に、運命づけられた性愛、宿命の愛、シェイクスピアが「星まわりの悪い二人の愛」と、ロミオとジュリエットのなかで強調し、頻繁に紫式部と共感している愛、紫式部が源氏と夕顔の愛を「初めから運命づけられた」と述べているように。そのような愛はシェイクスピアは星に起因させ、紫式部は輪廻という仏教的信仰に起因させている、この輪廻をシェイクスピアは『十二夜』において、即座に否定しているのだが。愛及び愛することの高揚した喜びについての同様の考えは、過度なやり過ぎは神々の嫉妬を招く危険がある。このことは紫式部もつかっており、源氏の幼子の時のきわ立った美しさについて、つまり幼い源氏のことを「神々がすばやく妬みのまなざしを投げないか」を怖れている。しかしシェイクスピアは、嵐の後で無事キプロスに到着したデスセモーネと再会をはたしたオセロの感極まった喜びを記述している。

O my soul's joy !
If after every tempest come to such calms
May the winds blow till they have waken'd death
おお、わが喜びよ
嵐がこのような静けさをもたらすものなら
風よ吹け死者たちをたたき起こすまで
そしてその通りになる、悪人イアゴーの証言によって。
ギリシャ劇の基本的テーマ、高慢または自己満足(hamaria)という人間の罪、も加えてよいだろう、それが神々の怒りや憤りをかうのだ(phthonos theon) 。この場合、神の罰が一度ならず続いて落ちるのだ。ハムレットで悔いるクローデアルが妻に言うように、
When sorrows come, they come not single spies
But in battalions
悲しみが押し寄せてくるときは、斥候ひとりで来るのではない、
大軍でやって来るのだ。
これはまさに葵の上の悲劇に関して源氏の内省である、ウエイリーの訳では「悲しみは素早く次々とやってきた」あるいはタイラーの訳では「源氏は次々と悲しみに打ちのめされた」

そのような経験は、一般的結論に至る、シェイクスピアが『リチャード三世』で描いた場面、すなわち悲しむ王女にヨークの語った悲しい科白にまったく一致するのだ。
We are on the earth
Where nothing lives but sorrows, cares, and grief
われわれは、悲しみと、苦労と、嘆きしかない
この世にいるのだ
これはまた紫式部によってなされた人生に関する源氏の内省なかで(ウエイリー訳では)「無益な苦痛の連続」と述懐し、また(タイラー訳では)紫式部自身の註釈で、「源氏にとって人生は耐えがたかった」とされている。

言うまでもないが、シェイクスピアのすべての劇が、悲劇に限っても、暗澹とさせるものばかりではない。彼の天才は、人間の深い悲劇の中でも真に喜劇的要素を示すのである。この点に関し、シェイクスピアの劇的絵画のキャンパスはレンブラントの技法キアロスクーロ(明暗法)の手法を用い、悲劇の暗澹たる状況は誇張されて、悲喜劇を浮かび上がらせるために用いられてる、といってもいいだろう。これは、彼のもっとも悲劇的な悲劇『リア王』においてもそうである。そこでは逆説的ですが、年老いた父と愛する娘コーデリアの再会の喜びの最中さなかに神聖喜劇の焦点があてられます。これは源氏物語にも見られる、源氏の生涯とそれを超えて書かれる長編小説故にシェイクスピア的クライマックスの突然の衝撃を伝えることはできないのですが。この理由で、彼女の長編小説と、シェイクスピアと同時代のエドモンドスペンサーの叙事詩ロマンス『妖精の女王』と比べたくなるかもしれません。

最後に、先にした比較が、シェイクスピア劇全体に、またはその逆方向に、どんな光りを当てることになるか。これらの二人の偉大な文学的傑作の多くの類似点は、その著者たちが『冬物語』の冒頭の二人の偉大な王のように「大きな広がりを超えて」握手ができるようです、それはまず第一にシェイクスピアの深い劇的インスピレーションが、いかに深く中世的過去からきているか、それはとりわけ(シェイクスピアにとって中世は)「楽しいイングランド」でありそしてカトリック的キリスト教世界であった。同時代の教育を受けた多くの同僚たちとは違って、シェイクスピアは内陸部で育った田舎者として、深くイングランドの宗教的ないし民間の伝統に共感して、また大学教育の疑わしい影響を受けていないし、そこで融通のきかないヒューマニズムや硬直したプロテスタンチズムが彼の中世的ルーツを切り捨てることがなかった。シェイクスピアがハムレットに擬せられる限り、クローデアスやガートルードの統治下のデンマークの政治的伝統に影響されていないハムレット、ポローニアスの無視できない助言があり、シェイクスピアは、父親の死はクローデアスのせいだと間違って思い込んだレアテーズと対照的に見られるだろう、レアテーズの行動は完全な反逆である。そのような行動が、シェイクスピアの時代、もっと急進的なプロテスタント教徒、「カトリックの残骸」を一掃する情熱に燃えた清教徒たちの反逆のやり方だった。イングランドにおける中世的宗教の伝統は、聖グレゴリー法王とカンタベリーの聖オウガスタスまでさかのぼるークローデアスの言い方では、

As the world were now but to begin
Antiquity not known, custom forgot
まるで世界が始まったばかりのように、
昔の由来を忘れ、仕来りを無視して

また清教徒たちの側には、ある意味彼らとは対照的に、新しい哲学者がいた、シェイクスピアの偉大な同時代人フランシスベーコン、彼の目的は、ルターが宗教でなしたことを、学問の世界でなすことであった。ルターがカトリックの宗教を拒否し、神の言葉が現れるまで聖書をさかのぼるったように、ベーコンの計画はすべての知的な学問、自然科学であれ人文部門であれ、を拒否して、自然という他の書物に立ち返り、それはまた人間の理性に明らかにな神の言葉を求めた。こうして、ルターはイングランドで清教徒たちに目標とされ、王に対して戦争を仕掛けるまでになり、ベーコンの後に続いてホッブスやロックなどの哲学者たちに現れ、ボイルやニュートンなどの科学者たちから目標とされ、政治的農業的工業的革命を起こすまでになったのである。清教徒たちの複合的な影響の結果は、清教徒の道徳主義と科学的合理主義において、18世紀の「啓蒙主義となり、詩人TSエリオットが理性と想像力の間で「感受性の解離」と呼んだ現象が生じるのである。また、文学的インスピレイションや創造的想像力の凋落については、「シェイクスピアの時代」に続いてポープが退屈な時代と嘆いた中で一時的勃興が見られる。

より広い世界では、新しい科学者や合理的哲学者たちは同輩だと思われ、進行するピューリタン革命は人と自然、都市と田舎を分離し、どちらもわれわれが今日直面しているエコロジーと環境問題がここに起因している。われわれがこれらの問題を解決しようとするなら、過去の失敗から学ぶ必要がある、すなわち未来に対する新しい約束をする科学者や合理主義者たちを信用せず、彼等に頼りきることなく、シェイクスピアの劇や紫式部の小説のような中世の傑作に立ち戻り、そこからわれわれのインスピライション得ようではないか、これら二人の、英語と日本語の、キリスト教と仏教文化を代表する、二人の偉大な人物は、「大きな広がりをこえて」握手し、手をつないで、われら人間の唯一の著者である神に祈ることができるだろう。

英訳についてのメモ
紫式部の源氏物語のもっとも早い翻訳は、アーサー・ウエイリーで、George Allen & Unwin 社から1935年に出版され、Tuttle社から1970年再出版された。次に、エドワード・サイデンステッカーによって翻訳され、1970年Albert A.Knopf社によって出版され、Tuttle社から1978年出版された。最後の翻訳は、ロヤル・タイラーのもので、2001年Viking Penguin Books 社から出版された。


昔、もう十余年前になるが、Shakespeare を読んでいた頃から、Peter Milward 氏の名は知っていた。上智大学の教授で、Shakespeare 研究者。司祭でもあるので、聖書にとても詳しい。Shakespeareの語句の註釈に聖書のどこに出ているかコメントが多かった。そのころこの講演録があることを知り、コピーを取ってあった。しかし十余年読むことはなかった。今、源氏物語をようやく読んで、この公演録に挑戦する気になった。Shakespeare と源氏物語と比較できるのかどうか、疑問だった。全く違うものをどうやって並べてはかるのか、今でも腑に落ちない。原本は、森永エンジェル財団のサイトにあった。その翻訳を参照して、自分で訳を試みたものである。-管理人
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源氏物語資料  Shakespeare and Genji

公開日2024年7月15日