手習 あらすじ
薫 27~28歳 大納言
そのころ、横川の僧都という高徳の僧が比叡山に籠っていた。母尼が、初瀬詣でに行った帰り急病になり、妹尼からの連絡で急きょ下山し、近くの院に宿をとると、そこの裏庭の大木の根元に意識を失った若い女が倒れているのを見つけて、部屋につれてきた。妹尼は、亡くなった娘の身代わりと喜び、大切に世話をするのだった。
母尼と妹尼は住まいにしている小野の山荘に、その若い女も一緒に連れ帰った。重態の状況が続くが、僧都に下山してもらい加持祈祷をつづけると物の怪が退散して、ようやく意識を取り戻した。浮舟は、決して身元を明かそうとしなかった。出家したい、死んでしまいたいと思うばかりだった。浮舟はわずかに手習いにその鬱々とした心情を託すのだった。巻名はこれによる。
妹尼の亡き娘の婿であった中将なる者が、浮舟を垣間見て、興味を示すのだった。
一の宮の具合が悪くなり、天台座主が祈祷したがよくならず、横川の僧都が呼びが出された。内裏に向かう途中、僧都は小野の山荘に寄った。その時を捉えて、浮舟は尼にしてくれるよう切に頼んだ。今夜内裏に行くので、戻ってからと僧都が言うのだが、妹尼君が願果たしで初瀬詣中だったので帰ってくると反対されると思い、今すぐ、戒を授けてくれるよう頼み、髪をおろして、尼になった。
戻ってきた妹尼は、僧都を恨んだが、後の祭りだった。
浮舟の一周忌に当たり、妹尼の甥の紀伊の守が薫の処に出入りしていて、薫のその後を語ったり、紀伊の守が薫に頼まれた浮舟の法事の布施を、尼たちに頼んで調達するのを見たりするのだった。
一の宮の病は僧都の祈祷で良くなり、話好きな僧都は、不思議な若い女の話を、中宮にした。女房の小宰相も一緒に聞いていた。後にその話を聞いた薫は、真偽を確かめようと、横川の僧都を訪ねるのだった。
巻名の由来
浮舟は意識をとりもどし、鬱々として日を過ごしていた。手習いに歌を書きつける。
身を投げし涙の川の早き瀬をしがらみかけて誰れか止めし (浮舟)(53.14)
歌意 悲しみで、身投げした早瀬に柵を作って誰が救ってくれたのでしょう
手習 章立て
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- 53.1 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病
- そのころ、横川に、なにがし僧都とか言ひて、いと尊き人住みけり。
- 53.2 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う
- まづ、僧都渡りたまふ。
- 53.3 若い女であることを確認し、救出する
- 妖しのさまに、額おし上げて出で来たり。
- 53.4 妹尼、若い女を介抱す
- 御車寄せて降りたまふほど、いたう苦しがりたまふとて、ののしる。
- 53.5 若い女生き返るが、死を望む
- 僧都もさしのぞきて、
「いかにぞ。何のしわざぞと、よく調じて問へ」
とのたまへど、いと弱げに消えもていくやうなれば、
「え生きはべらじ。すぞろなる穢らひに籠もりて、わづらふべきこと」
「さすがに、いとやむごとなき人にこそはべるめれ。死に果つとも、ただにやは捨てさせたまはむ。見苦しきわざかな」
と言ひあへり。
- 53.6 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る
- 二日ばかり籠もりゐて、二人の人を祈り加持する声絶えず、あやしきことを思ひ騒ぐ。
- 53.7 尼君ら一行、小野に帰る
- 尼君よろしくなりたまひぬ。
- 53.8 僧都、小野山荘へ下山
- うちはへかく扱ふほどに、四、五月も過ぎぬ。
- 53.9 もののけ出現
- 「朝廷の召しにだに従はず、深く籠もりたる山を出でたまひて、すぞろにかかる人のためになむ行ひ騷ぎたまふと、ものの聞こえあらむ、いと聞きにくかるべし」と思し、弟子どもも言ひて、「人に聞かせじ」と隠す。
- 53.10 浮舟、意識を回復
- 正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見回したれば、一人見し人の顔はなくて、皆、老法師、ゆがみ衰へたる者のみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。
- 53.11 浮舟、五戒を受く
- 「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ。
- 53.12 浮舟、素性を隠す
- 「夢のやうなる人を見たてまつるかな」と尼君は喜びて、せめて起こし据ゑつつ、御髪手づから削りたまふ。
- 53.13 小野山荘の風情
- この主人もあてなる人なりけり。
- 53.14 浮舟、手習して述懐
- 尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。
- 53.15 浮舟の日常生活
- 若き人の、かかる山里に、今はと思ひ絶え籠もるは、難きわざなりければ、ただいたく年経にける尼、七、八人ぞ、常の人にてはありける。それらが娘孫やうの者ども、京に宮仕へするも、異ざまにてあるも、時々ぞ来通ひける。
- 53.16 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問
- 尼君の昔の婿の君、今は中将にてものしたまひける、弟の禅師の君、僧都の御もとにものしたまひける、山籠もりしたるを訪らひに、兄弟の君たち常に登上りけり。
- 53.17 浮舟の思い
- 人びとに水飯すいはんなどやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して、村雨の降り出づるに止められて、物語しめやかにしたまふ。
- 53.18 中将、浮舟を垣間見る
- 尼君入りたまへる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて、少将と言ひし人の声を聞き知りて、呼び寄せたまへり。
- 53.19 中将、横川の僧都と語る
- 前近き女郎花を折りて、「何匂ふらむ」と口ずさびて、独りごち立てり。
- 53.20 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る
- またの日、帰りたまふにも、「過ぎがたくなむ」とておはしたり。
- 53.21 中将、三度山荘を訪問
- 文などわざとやらむは、さすがにうひうひしう、ほのかに見しさまは忘れず、もの思ふらむ筋、何ごとと知らねど、あはれなれば、八月十余日のほどに、小鷹狩のついでにおはしたり。
- 53.22 尼君、中将を引き留める
- さすがに、かかる古代の心どもにはありつかず、今めきつつ、腰折れ歌好ましげに、若やぐけしきどもは、いとうしろめたうおぼゆ。
- 53.23 母尼君、琴を弾く
- 「女は、昔は、東琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど、今の世には、変はりにたるにやあらむ。
- 53.24 翌朝、中将から和歌が贈られる
- これに事皆醒めて、帰りたまふほども、山おろし吹きて、聞こえ来る笛の音、いとをかしう聞こえて、起き明かしたる翌朝、
「昨夜は、かたがた心乱れはべりしかば、急ぎまかではべりし。
- 53.25 九月、尼君、再度初瀬に詣でる
- 九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。
- 53.26 浮舟、少将の尼と碁を打つ
- 皆出で立ちけるを眺め出でて、あさましきことを思ひながらも、「今はいかがせむ」と、「頼もし人に思ふ人一人ものしたまはぬは、心細くもあるかな」と、いとつれづれなるに、中将の御文あり。
- 53.27 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む
- 月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将おはしたり。
- 53.28 老尼君たちのいびき
- 姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりにうつぶし臥して、寝も寝られず。
- 53.29 浮舟、悲運のわが身を思う
- † 昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも思ひ続くるに、
「いと心憂く、親と聞こえけむ人の御容貌も見たてまつらず、遥かなる東を返る返る年月をゆきて、たまさかに尋ね寄りて、うれし頼もしと思ひきこえし姉妹の御あたりをも、思はずにて絶え過ぎ、さる方に思ひ定めたまひし人につけて、やうやう身の憂さをも慰めつべききはめに、あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、宮を、すこしもあはれと思ひきこえけむ心ぞ、いとけしからぬ。
- 53.30 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る
- 下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て、
「僧都、今日下りさせたまふべし」
「などにはかには」
と問ふなれば、
「一品いっぽんの宮の、御もののけに悩ませたまひける、山の座主、御修法仕まつらせたまへど、なほ、僧都参らせたまはでは験なしとて、昨日、二度なむ召しはべりし。右大臣殿の四位少将、昨夜、夜更けてなむ登りおはしまして、后の宮の御文などはべりければ、下りさせたまふなり」
など、いとはなやかに言ひなす。
- 53.31 浮舟、僧都に出家を懇願
- 立ちてこなたにいまして、「ここにや、おはします」とて、几帳のもとについゐたまへば、つつましけれど、ゐざり寄りて、いらへしたまふ。
- 53.32 浮舟、出家す
- 「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身をいとはしく思ひはじめたまひけむ。
- 53.33 少将の尼、浮舟の出家に気も動転
- かかるほど、少将の尼は、兄の阿闍梨の来たるに会ひて、下にゐたり。
- 53.34 浮舟、手習に心を託す
- 皆人びと出で静まりぬ。
- 53.35 中将からの和歌に返歌す
- 同じ筋のことを、とかく書きすさびゐたまへるに、中将の御文あり。
- 53.36 僧都、女一宮に伺候
- 一品の宮の御悩み、げに、かの弟子の言ひしもしるく、いちじるきことどもありて、おこたらせたまひにければ、いよいよいと尊きものに言ひののしる。名残も恐ろしとて、御修法延べさせたまへば、とみにもえ帰り入らでさぶらひたまふに、雨など降りてしめやかなる夜、召して、夜居にさぶらはせたまふ。
- 53.37 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る
- 御もののけの執念きことを、さまざまに名のるが恐ろしきことなどのたまふついでに、
「いとあやしう、希有のことをなむ見たまへし。
- 53.38 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る
- 姫宮おこたり果てさせたまひて、僧都も登りぬ。
- 53.39 中将、小野山荘に来訪
- 今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、
「あはれ、山伏は、かかる日にぞ、音は泣かるなるかし」
と言ふを聞きて、「我も今は山伏ぞかし。ことわりに止まらぬ涙なりけり」と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿色々に立ち混じりて見ゆ。
- 53.40 浮舟に和歌を贈って帰る
- 「かばかりのさましたる人を失ひて、尋ねぬ人ありけむや。
- 53.41 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す
- 年も返りぬ。
- 53.42 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪
- 大尼君の孫の紀伊守なりける、このころ上りて来たり。
- 53.43 浮舟、薫の噂など漏れ聞く
- かのわたりの親しき人なりけり」と見るにも、さすが恐ろし。
- 53.44 浮舟、尼君と語り交す
- 「忘れたまはぬにこそは」とあはれに思ふにも、いとど母君の御心のうち推し量らるれど、なかなか言ふかひなきさまを見え聞こえたてまつらむは、なほつつましくぞありける。かの人の言ひつけしことどもを、染め急ぐを見るにつけても、あやしうめづらかなる心地すれど、かけても言ひ出でられず。裁ち縫ひなどするを、
「これ御覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば」
とて、小袿の単衣たてまつるを、うたておぼゆれば、「心地悪し」とて、手も触れず臥したまへり。尼君、急ぐことをうち捨てて、「いかが思さるる」など思ひ乱れたまふ。紅に桜の織物の袿重ねて、
「御前には、かかるをこそ奉らすべけれ。あさましき墨染なりや」
と言ふ人あり。
- 53.45 薫、明石中宮のもとに参上
- 大将は、この果てのわざなどせさせたまひて、「はかなくて、止みぬるかな」とあはれに思す。
- 53.46 小宰相、薫に僧都の話を語る
- 立ち寄りて物語などしたまふついでに、言ひ出でたり。
- 53.47 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く
- 「あさましうて、失ひはべりぬと思ひたまへし人、世に落ちあぶれてあるやうに、人のまねびはべりしかな。
手習 登場人物
- 薫 かおる 源氏の子 ····· (呼称)右大将殿・大将殿・大将・殿、
- 匂宮 におうのみや 今上帝の第三親王 ····· (呼称)兵部卿宮・宮、
- 明石中宮 あかしのちゅうぐう 源氏の娘 ····· (呼称)大宮・后の宮・宮、
- 夕霧 ゆうぎり 源氏の長男 ····· (呼称)右大臣殿・右の大殿、
- 女一の宮 おんないちのみや 今上帝の第一内親王 ····· (呼称)姫宮・一品の宮・宮、
- 女二の宮 おんなにのみや 今上帝の第二内親王 ····· (呼称)姫宮・帝の御女、
- 中君 なかのきみ 八の宮の二女 ····· (呼称)兵部卿宮の北の方・姉君、
- 浮舟 うきふね 八の宮の三女 ····· (呼称)姫君・故八宮の御女・大将殿の御後・御妹、
- 中将の君 ちゅうじょうのきみ 浮舟の母 ····· (呼称)母君・親・母、
- 小君 こぎみ 浮舟の異父弟 ····· (呼称)小君・童・弟の童、
- 浮舟の乳母 うきふねのめのと ····· (呼称)乳母
- 母尼 ははのあま 横川僧都の母 ····· (呼称)大尼君・母の尼君、
- 横川僧都 よかわのそうず ····· (呼称)なにがし僧都・僧都
- 妹尼 いもうとのあま 横川僧都の妹 ····· (呼称)妹の尼君・尼上・娘の尼君、
- 中将 ちゅうじょう 薫妹尼君の娘婿 ····· (呼称)中将殿・婿の君・客人・男君、
- 弟子の阿闍梨 でしのあざり ····· (呼称)横川僧都の弟子・阿闍梨、
- 小宰相の君 こざいしょうのきみ ····· (呼称)宰相の君
※ このページは、渋谷栄一氏の源氏物語の世界によっています。人物の紹介、見出し区分等すべて、氏のサイトからいただき、そのまま載せました。ただしあらすじは自前。氏の驚くべき労作に感謝します。
公開日2021年3月21日/ 改定2023年11月17日