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廃院で、夕顔が急死してから。長い年月がたったが、源氏は夕顔のことを忘れる時がなかった。あのときその場にいた右近も今は紫の上に仕えていた。もし夕顔が生きていたら、明石の上くらいの待遇は受けていたはずと悲しく思うのだった。
夕顔の遺児玉鬘は、乳母の夫が太宰の少弐になって任地に赴任するため、母夕顔の安否がわからぬまま、乳母と一緒に任地へ行った。任期の5年が終わるころ太宰の大弐が亡くなり、姫君の美しさは評判になり、なかでも、大夫の監といってこの地域に権勢のある者が、求愛してきた。弟たちを味方につけた大夫は、結婚の日取りを決めて迫ったが、長男の豊後の介は父の遺言を守り、一家で京へ上る決断をした。妹も夫子どもを置いて上京した。豊後の介一行は、逃げるように早舟で上京した。
知り合いの所に落ち着いて、寄る辺なく、石清水八幡に詣で、初瀬の寺に詣でて願掛けをする。そこへたまたま初瀬詣でに来ていた夕顔のかっての侍女の右近がこの一行を見て話しかける。
右近から話を聞いた源氏は、六条の院に玉鬘を迎える。長男の豊後の介は家司となった。源氏は、夕霧同様、花散里に玉鬘の世話をお頼みになる。源氏には、美しい姫を目当てに弟の兵部卿の宮など出入りする貴公子たちの心を惑わして楽しもうという心づもりもあった。
源氏は、年末には女君のひとりひとりにそれを装ったときの姿を想像しながら、新年の衣装を配るのだった。
恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ (源氏) (22.26)
歌意 亡き夕顔を慕う気持ちは変わらないが、 この美しい髪の娘はどんな縁でわたしの処に来たのだろう
(註)玉はかづらの美称。かづらは、髪にさす花・枝・飾り。地髪が短いときつかうそえ髪。
※ このページは、渋谷栄一氏の源氏物語の世界によっています。人物の紹介、見出し区分等すべて、氏のサイトからいただき、そのまま載せました。ただしあらすじは自前。氏の驚くべき労作に感謝します。
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