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源氏は、姫君の将来を思って、姫君を二条院に養女として引き取り、紫の上が養育することになった。幼子と明石の君の悲しい別れがあった。
源氏の舅の太政大臣(左大臣)が亡くなった。
母后の藤壺入道も37才の厄年で亡くなった。
朝顔の君の父の式部卿の宮も崩御する。
冷泉帝は、藤壺の宮家に古くから仕える夜居の僧から、源氏が実の父であることを知る。しきりに続く天変は、父源氏への礼を尽くしていないことが原因と思い、帝位を源氏に譲ろうとするが、源氏は硬く固辞する。秋の司召で太政大臣への推挙も固辞する。
故六条御息所の娘の女御(元斎宮)が二条院に里下がりし、源氏と春秋の比較を話題になり、紫の上は春を好み、元斎宮は秋を好んだ。以後、秋好中宮と呼ばれる。
大井の明石の君はどうしているか。源氏は絶えず思ってはいるが、なかなか行けなかったが、嵯峨での念仏勤行を口実にして、通うのだった。
藤壺が亡くなり、源氏が念誦堂に籠って悲しんでいるときの歌から取っている。
(源氏)「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがえる」(19.13)
歌意 入り日さす峰にたなびく薄雲は悲しみにくれるわたしの袖の色のようだ。
註)悲嘆が極まると血の涙が出るといわれた。
※ このページは、渋谷栄一氏の源氏物語の世界によっています。人物の紹介、見出し区分等すべて、氏のサイトからいただき、そのまま載せました。ただしあらすじは自前。氏の驚くべき労作に感謝します。
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