須磨 あらすじ
源氏 26~27歳 無位無官
桐壷院が逝去して、朝廷は右大臣派の権勢下になり、左大臣は嫌気がさして、官を辞して隠居した。源氏は、春宮に累が及ぶことを怖れ、決定的な打撃を受ける前にみずから身をひこうと決意した。物語で語られていないが、無実の嫌疑をかけられ、刑が下る前に、自ら身を引こうと決意したのである。隠退の地は須磨にした。源氏はわずかなお供を連れて須磨に下った。家族と別れて、源氏に忠誠を誓って侍する供たちがいた。住まいは唐風の仮住まいで、現地の有り合わせの材料で作ったが、風流な装いだった。右大臣をはばかって、須磨を訪れる人はなく、源氏にとっては、都の人々と便りを交わすことだけが慰みであった。文の送り先は、紫の上、花散里、藤壺、朧月夜、伊勢へ行った六条御息所等々である。それぞれ別れを惜しんだ人たちであった。
太宰大弐という者が上京の途次、須磨へ寄って挨拶をした。娘の五節は思慕の情に乱れた。
時流を怖れず、頭中将が見舞いにきて、一日旧交をあたためた。
明石入道は、源氏が須磨にいることを知り、千歳一隅の時とばかり、娘を源氏に差し上げる決意する。
海辺で禊をしていると、何の気配もなく突然、海が荒れ雨が激しく降り、雷が鳴り、夢のなかで、怪しい者が現れる。龍王が源氏の美しさに魅入られたようで、源氏は住まいを移ろうと思う。
巻名の由来
須磨がこの巻の舞台である。それを巻名とした。
須磨 章立て
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- 12.1 源氏、須磨退去を決意
- 世の中、いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、「せめて知らず顔にあり経へても、これよりまさることもや」と思しなりぬ。
- 12.2 左大臣邸に離京の挨拶
- 三月二十日やよいはつかあまりのほどになむ、都を離れたまひける。人にいつとしも知らせたまはず、ただいと近う仕うまつり馴れたる限り、七、八人ばかり御供にて、いとかすかに出で立ちたまふ。さるべき所々に、御文ばかりうち忍びたまひしにも、あはれと忍ばるるばかり尽くいたまへるは、見どころもありぬべかりしかど、その折の、心地の紛れに、はかばかしうも聞き置かずなりにけり。
- 12.3 二条院の人々との離別
- 殿におはしたれば、わが御方の人びとも、まどろまざりけるけしきにて、所々に群れゐて、あさましとのみ世を思へるけしきなり。侍さぶらいには、親しう仕まつる限りは、御供に参るべき心まうけして、私の別れ惜しむほどにや、人もなし。
- 12.4 花散里邸に離京の挨拶
- 花散里の心細げに思して、常に聞こえたまふもことわりにて、「かの人も、今ひとたび見ずは、つらしとや思はむ」と思せば、その夜は、また出でたまふものから、いともの憂くて、いたう更かしておはしたれば、女御、
「かく数まへたまひて、立ち寄らせたまへること」
と、よろこびきこえたまふさま、書き続けむもうるさし。
- 12.5 旅生活の準備と身辺整理
- よろづのことどもしたためさせたまふ。親しう仕まつり、世になびかぬ限りの人びと、殿の事とり行なふべき上下、定め置かせたまふ。御供に慕ひきこゆる限りは、また選り出でたまへり。
- 12.6 藤壺に離京の挨拶
- 明日とて、暮には、院の御墓拝みたてまつりたまふとて、北山へ詣でたまふ。暁かけて月出づるころなれば、まづ、入道の宮に参うでたまふ。近き御簾の前に御座参りて、御みづから聞こえさせたまふ。
- 12.7 桐壺院の御墓に離京の挨拶
- 月待ち出でて出でたまふ。御供にただ五、六人ばかり、下人しもびともむつましき限りして、御馬にてぞおはする。さらなることなれど、ありし世の御ありきに異なり、皆いと悲しう思ふなり。なかに、かの御禊みそぎの日、仮の御随身みずいじんにて仕うまつりし右近の将監の蔵人、得べきかうぶりもほど過ぎつるを、つひに御簡削られ、官も取られて、はしたなければ、御供に参るうちなり。
- 12.8 東宮に離京の挨拶
- 明け果つるほどに帰りたまひて、春宮にも御消息聞こえたまふ。王命婦を御代はりにてさぶらはせたまへば、「その御局に」とて、
「今日なむ、都離れはべる。また参りはべらずなりぬるなむ、あまたの憂へにまさりて思うたまへられはべる。よろづ推し量りて啓したまへ。
- 12.9 離京の当日
- その日は、女君に御物語のどかに聞こえ暮らしたまひて、例の、夜深く出でたまふ。
- 12.10 須磨の住居
- おはすべき所は、行平の中納言の、「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり。
- 12.11 京の人々へ手紙
- やうやう事静まりゆくに、長雨のころになりて、京のことも思しやらるるに、恋しき人多く、女君の思したりしさま、春宮の御事、若君の何心もなく紛れたまひしなどをはじめ、ここかしこ思ひやりきこえたまふ。
- 12.12 伊勢の御息所へ手紙
- まことや、騒がしかりしほどの紛れに漏らしてけり。かの伊勢の宮へも御使ありけり。かれよりも、ふりはへ尋ね参れり。浅からぬことども書きたまへり。
- 12.13 朧月夜尚侍参内する
- 尚侍かむの君は、人笑へにいみじう思しくづほるるを、大臣いとかなしうしたまふ君にて、せちに、宮にも内裏にも奏したまひければ、「限りある女御、御息所にもおはせず、公ざまの宮仕へ」と思し直り、また、「かの憎かりしゆゑこそ、いかめしきことも出で来しか」。許されたまひて、参りたまふべきにつけても、なほ心に染みにし方ぞ、あはれにおぼえたまける。
- 12.14 須磨の秋
- 須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平ゆきひら中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
- 12.15 配所の月を眺める
- 月のいとはなやかにさし出でたるに、「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。
- 12.16 筑紫五節と和歌贈答
- そのころ、大弐は上りける。
- 12.17 都の人々の生活
- 都には、月日過ぐるままに、帝を初めたてまつりて、恋ひきこゆる折ふし多かり。春宮は、まして、常に思し出でつつ忍びて泣きたまふ。
- 12.18 須磨の生活
- かの御住まひには、久しくなるままに、え念じ過ぐすまじうおぼえたまへど、「我が身だにあさましき宿世とおぼゆる住まひに、いかでかは、うち具しては、つきなからむ」さまを思ひ返したまふ。
- 12.19 明石入道の娘
- 明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず、父入道ぞ、
「聞こゆべきことなむ。あからさまに対面もがな」
と言ひけれど、「うけひかざらむものゆゑ、行きかかりて、むなしく帰らむ後手もをこなるべし」と、屈じいたうて行かず。
- 12.20 須磨で新年を迎える
- 須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。
- 12.21 上巳の祓と嵐
- やよいの朔日ついたちに出で来たる巳みの日、
「今日なむ、かく思すことある人は、御禊したまふべき」
と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。