物理の窓

地球の大きさを測る

天体の距離や大きさを求めるためには、古代ギリシャ人たちはまず大地は球形であることを証明する必要があった。大地は 球形だとする考えは、船が地平線のかなたに消えていくときに一番最後まで見えているのはマストの先端だということに哲学者たち が気づいてからは、古代ギリシャでは広く受け入れられるようになっていた。マストが一番最後まで見えているためには、海面が カーブして向こう側に落ち込んでいなければならない。もし海面がカーブしているなら地面もやはりカーブしているだろうし、 その形はおそらく球だろう。大地は球形だという説は、月食のようすからも裏付けられた。月食が起こるのは、大地の丸い影が 月面に落ちるときだ。そして丸い影は、球形の物体にたいして予想される形なのだ。月食と同じくらい重要だったのが、月は丸い という誰の目にも明らかな事実だ。このことは、大地は球形をしているという説の傍証となった。大地が球形だと考えれば、 あらゆることに辻褄(つじつま)があった。たとえばギリシャの歴史家で旅行家でもあったヘロドトスははるか北方に住む人々は、 一年の半分を寝て暮らすと述べた。もし大地が球形ならば、緯度に応じて太陽の光の当たり方は異なるだろうし、極地では冬と夜が 半年続くことも自然に説明できる。
しかし大地が球形だとすると、今日でも子どもたちを悩ませているひとつの問題が生じる―南半球に住む人たちはなぜ落っこちない のだろうか?この謎に対してギリシャ人が与えた解決策は、地球には中心があり、すべてのものは中心に向かって引き寄せられる という信念にもとづいていた。地球の中心は、存在を仮定された宇宙の中心とたまたま一致しているものとされた。そして地球 そのものは動かず、地表にあるものはすべて、その中心に向かって引き寄せられるというのだ。そうだとすれば、ギリシャ人も、 地球のほかのどの土地にいる人たちも―地球の反対側に住む人たちでさえ―この力によって大地につなぎ止められるだろう。
地球の大きさを測るという偉業を初めて成し遂げたのは、紀元前276年頃に、今日のリビアにあたるキュレネの町に生まれた エラトステネスだった。エラトステネスはまだ幼少のころから優れた頭脳を発揮し、その頭脳のおかげで詩から地理学まであらゆる 分野で活躍することになった。彼には、多彩な才能の持ち主であることを意味するペンタトロス(五種競技選手)という渾名(あだな) がついたほどだった。エラトステネスは長年にわたり、古代世界でもっとも権威ある学術ポストだったアレクサンドリアの図書館長 を勤めた。国際都市アレクサンドリアは、地中海世界の知的中枢の座をアテナイから引き継ぎ、その図書館は世界最高の学問の場 だった。本にスタンプを捺(お)したり、ひそひとと小声で話したりする堅苦しい図書館員のイメージは捨てたほうがいい。 アレクサンドリアの図書館は刺激的で活気に溢れ、聞く者を奮い立てせる学者たちと、まばゆいばかりの才能をもつ学生たちで あふれていた。
エラトステネスはこの図書館に在職中、現在のアスワンにほど近いエジプト南部の町シエネの近くにある興味ある深い井戸 のことを知った。毎年六月二十一日、つまり夏至の日の正午になると、太陽がこの井戸の真上から差し込み、井戸の底まで明るく 照らすというのだ。エラトステネスは、ちょうどその日に、太陽がまっすぐ頭上に来ているはずだと考えた。シエネより数百キロ メートル北にあるアレクサンドリアでは、そんなことは決して起こらない。今日われわれは、シエネはほぼ北回帰線上に位置する ことを知っている。北回帰線とは、太陽がちょうど頭上に来るもっとも北の緯度である。
シエネとアレキサンドリアで同時に太陽が頭上に来ないのは、大地が球形をしているためだと気づいたエラストテネスは、 これを利用して地球の周囲の長さを測れないものだろうかと考えた。エラストテネスの幾何学の解釈や表記法は今日のそれとは 違ったから、彼がわれわれとまったく同じようにこの問題を考えたとはかぎらない。しかし彼のアプローチを現代風に説明すれば 次のようになる。図には、六月二十一日正午に、太陽からの平行光線が地球に当たるようすを示した。太陽光線がシエネの井戸を 底まで照らすとき、エラストテネスはアレキサンドリアで棒を地面に突き立て、太陽光線とこの棒がなす角度を測った。ここで 重要なのは、この角度が、アレクサンドリアとシエネから地球の中心に向かって引いた二つの半径がなす角度に等しいことだ。 角度を測定したところ、結果は7.2度だった。

地球の大きさを測る

図の説明: エラトステネスは地球の周囲の長さを求めるために、アレクサンドリアで地面に立てた棒の影を利用した。 彼はこの実験を夏至に行った。このとき、太陽は北回帰線の真上から地球を照らすことになる。 つまり、北回帰線上にある町では、太陽がちょうど頭上に来る。見やすくするため、この図は実物通りの縮尺になっていない。 角度も誇張されている。

次に、シエネにいる人物がアレクサンドリアに向かってまっすぐ歩こうと決意し、そのまま地球を一周してふたたびシエネ に戻るものとする。この人物は完全な円に沿って三百六十度を踏破することになる。そこで、もしもシエネおよびアレクサンドリア と地球の中心とを結ぶ線の角度がわずか7.2度しかならないなら、この二点間を結ぶ距離は、地球の周囲の長さの7.2°⁄360° すなわち 五十分の一だということになる。ここから先の計算は簡単だ。エラトステネスがこれら二つの町の距離を測ったところ、五千 スタディオンであることがわかった。これが地球の周囲の長さの五十分の一なのだから、求める答えは二十五万スタディオン である。
しかし読者はこんな疑問をもつだろう。二十五万スタディオンとはいったいどれぐらいの距離なのか?一スタディオンは、 徒歩競争が行われるときの標準的な距離だった。古代ギリシャのオリンピア競技祭で用いられたスタディオンは百八十五メートル だから、地球の周長の推定値は四万六千二百五十キロメートルとなり、これは実際の値である四万百キロメートルをわずか15パーセント 上回っているにすぎない。実際には、エラトステネスの精度はこれよりさらに高かった可能性がある。というのも、エジプトの スタディオンはオリンピア競技祭のスタディオンとは異なり、百五十七メートルだったからだ。この場合、地球の周長は三万九千二百五十 キロメートルとなり、誤差はわずか2パーセントでしかない。
しかし彼の誤差が2パーセントだったか15パーセントだったかは問題ではない。重要なのは、エラトステネスが地球の大きさを 求める方法を科学的に考え出したことだ。 誤差が大きかろうが小さかろうが、それは角度測定の精度や、シエネ―アレクサンドリア間の距離の測定誤差、夏至の正午の時間の 決め方や、アレクサンドリアはシエネの真北ではないことなどの結果として生じたものにすぎない。エラトステネス以前は、地球の 周長が四千メートルなのか四百万メートルなのかさえも知る者はいなかったのだから、それが四万メートルだと突き止めたことは 偉大な業績である。これにより、地球という惑星を測定するために必要なのは、優れた頭脳と一本の棒を持つ一人の人間だけだ ということが明らかになった。換言すれば、一人の人間の頭脳といくつかの実験装置があれば、たいていのことはできそうに思えるのだ。

月の大きさを測る

地球の大きさを知ったエラトステネスは、月や太陽の大きさや、地球からこれらの天体までの距離を導き出せるようになった。 そのために必要な基礎的作業のほとんどは彼以前の自然哲学者たちによって行われていたが、地球の大きさが確定できないうちは、 先人たちの計算は完結しなかった。今やエラトテネスは抜けていた数値を手に入れた。たとえば月食のときに月にかかる地球の影の 大きさから(図参照)、月の直径は地球のそれのおよそ四分の一であることがわかる。エラストテネスは地球の周長が四万キロメートル であることを示したのだから、地球の直径はざっと(40,000÷π)キロメートル、すなわち約一万二千七百キロメートルだ。 したがって月の直径は、(1⁄4×12,700)キロメートル、すなわち約三千二百キロメートルである。
月の大きさを測る

図の説明: 地球と月の相対的な大きさを概算するには、月食のときに地球の影が月面を通り過ぎるようすを観察すればよい。太陽から地球または 月までの距離は、地球と月の距離にくらべて非常に大きいので、地球の影はほぼ地球の大きさに等しい。 ここに示したのは、地球の影の中を月が通過するようすである。この月食では(月は地球の影のほぼ真ん中を通過するものとする)、 月が影に接触してから完全に隠れるまでに50分かかり、この値は月の直径のめやすになる。また、月の先端が地球の影を完全に通過する には200分かかる。この値は地球の直径のめやすになる。したがって、地球の直径は月の直径のざっと4倍である。

月までの距離を測る

月の大きさがわかってしまえば、エラトストテネスにとって月までの距離を求めるのは簡単なことだった。ひとつの方法として、 満月を見上げて片目を閉じ、腕を前に伸ばしてみよう。図には、爪の上下と目とを結んでできる三角形を示した。月も、爪よりは ずっと大きいが、これと相似の三角形を作る。したがって、腕の長さと爪の長さとの比は(およそ百対一)、月までの距離と 月の直径との比に等しいはずだ。このことから、月までの距離は直径のざっと百倍、すなわち三十二万キロメートルとなる。
月までの距離を測る

図の説明: 月の大きさがわかれば、月までの距離は比較的容易に導かれる。まず、腕の長さのところにある指の爪で、月をちょうど隠せることに 注意しよう。このことから、指の爪の長さと腕の長さとの比は、月の直径と月までの距離の比にほぼ等しいことがわかる。腕の長さは 指の爪の長さのざっと100倍だから、月までの距離は月の直径のざっと100倍である。

太陽までの距離を測る

次にエラトステネスは、太陽の大きさと太陽までの距離を求めた。それができたのは、イオニアの町クラゾメナイの人 アナクサゴラスが立てた仮説と、サモス島の人アリスタルコスによる巧みな論証のおかげだった。アナクサゴラスは紀元前五世紀 に生きた過激な思想家で、人生の目的は「太陽と月と天を調べること」だと考えていた。彼は、太陽は神などではなく、白くて熱い 岩石だと論じた。星々もやはり高温の岩石だが、こちらは非常に遠くにあるため地球では温かさを感じられないのだと考えた。 一方、月は冷たい岩石で、光を出さず、月の光は太陽光を反射したものでしかないというのが彼の考えだった。アナクサゴラスが 当時住んでいたアテナイでは学問的に寛容な気風が生まれつつあったとはいえ、太陽や月は神ではなく岩石だという説は物議を かもした。守旧派のライバルたちは、邪説を説く者として彼を告訴し、組織的な攻撃を開始した。そのためアナクサゴラスは小アジア のランプサコスに逃れざるをえなくなった。アテナイの人々は町を偶像で飾ることを好んだことから、1638年、のちのチェスター主教 ジョン・ウィルキンズは、神を岩石にした男が、岩石で神を作る人々によって追放されたのは皮肉なことだと述べた。
紀元前三世紀、アリスタルコスはアナクサゴラスの考えをさらに推し進めた。彼は、もし月の光が太陽光を反射したものなら、 半月になるのは、太陽、月、地球が直角三角形の配置になったときだと論じた(図参照)。そして彼は、地球と太陽、地球と月を を結ぶ二本の線がなす角度を測り、三角法を使って、地球と月の距離と、地球と太陽の距離との比を求めた。角度の測定結果は八七度 となり、これは太陽が月よりも約二十倍ほど遠くにあることを意味している。また、先ほどの計算結果から、月までの距離はすでに 得られている。実を言えば、正しい角度は八九・八五度で、太陽は月よりも四百倍遠くにあることが今日ではわかっている。 アリスタルコスはこの角度を測定するために非常に苦労したに違いない。いずれにせよ、ここでもやはり精度は重要ではない。 ギリシャ人たちが正しい測定方法を考え出したことが大きな進歩だったのであり、未来の科学者たちはもっと良い装置を使うことで 正しい答えに近づけるからだ。
太陽までの距離を測る

図の説明: アリスタルコスは、半月のときに地球、月、太陽が直角三角形の配置になることを利用すれば、太陽までの距離を概算できると論じた。 彼は半月のときに図に示した角度を測った、簡単な三角法と、すでにわかっている地球と月との距離から、地球と太陽との距離を 求めることができる。

太陽の大きさを測る

いよいよ最後に太陽の大きさだが、これはすぐに求められる。なぜなら、日食のときに月が太陽をすっぽり覆い隠すことは よく知られた事実だからだ。したがって、太陽の直径と、地球から太陽までの距離の比は、月の直径と、地球から月までの距離の 比に等しい(図参照)。月の直径、地球から月までの距離、地球から太陽までの距離はすでにわかっているから、太陽の直径は 簡単に計算できる。この方法は、指の爪の大きさと距離から月までの距離を求めた方法とまったく同じであり、大きさと距離の わかっている物体として、爪のかわりに月を使うだけのことだ。

太陽の大きさを測る

図の説明: 太陽までの距離がわかれば、その大きさを求めることができる。ひとつの方法は、皆既日食と、月の大きさおよび月までの距離を 利用することだ。皆既日食は、どの時刻でも地球上のごく限られた地域しか見えない。なぜなら太陽と月は、地球からみてほぼ 同じ大きさだからだ。この図では(縮尺は実物とは異なる)、地球上の日食観測者が、2つの相似なる三角形の頂点にいる。第1の 三角形は月まで、第2の三角形は太陽まで伸びている。月までの距離と太陽までの距離がわかり、月の直径がわかれば、太陽の 直径を求めることができる。

人類最初の科学者は誰か

エラトステネス、アリスタルコス、アナクサゴラスの驚くべき快挙は、古代ギリシャで起こりつつあった 科学的思考の進展を 鮮やかに示している。というのも、彼らが宇宙を測定した方法は、論理と数学と測量にもとづいているからだ。しかし、科学の 礎石を敷いた功績のすべてをギリシャ人たちに帰してしまってよいものだろうか?なんといってもバビロニア人たちは偉大な実践的 天文学者で、詳細な観測を何千件も行っているのだから。だが、バビロニア人たちは本当の意味での科学者ではなかったという点で、 哲学者や科学史家の意見はほぼ一致している。なぜならバビロニアの人々は、宇宙は神に支配され、神話によって説明されるという 考えに安んじていたからだ。いずれにせよ、測定結果を山のように蓄積し、星や惑星の位置を延々と記録することは、宇宙の基本的 性質を理解することによって観測結果を説明しようとする大いなる望みをもつ本物の科学に比べれば取るに足りないことである。 フランスの数学者で科学哲学者でもあったアンリ・ポアンカレは、いみじくもこう述べた。「家が石で造られるように、科学は 事実を用いて作られる。しかし石の集積が家でないように、事実の集積は科学ではない」
バビロニア人がもっとも古い科学者の原型ではないにしても、エジプト人はどうだろう?クフ王の大ピラミッドが作られた時期は パルテノン神殿よりも二千年早いし、秤(はかり)や化粧品、インク、木製の錠前、ロウソクなど、さまざまなものを発明、開発した 点では、エジプト人はギリシャ人より何世紀も先んじていた。だが、これらはテクノロジーであって科学ではない。テクノロジーは、 右に挙げた例でもわかるように、実用的な活動であり、死に際する儀式や、商取引、美容、筆記、保安、照明などの役に立つ。 ひとことで言えば、テクノロジーは生(と死)をより快適にするために役立つのに対し、科学はひたすら世界を理解しようとする努力だ。 科学者を駆り立てているのは、快適さや便利さではなく好奇心なのである。
科学者と科学技術者とでは、目標は大きくことなっている。それにもかかわらず科学とテクノロジーがしばしば混同されるのは、 科学上の発見によってテクノロジーが飛躍的に進歩することが多いからだろう。たとえば科学者が何十年もかけて電気を発見し、 科学技術者はそれを利用して電球などを発明するというふうに。しかし古代においては、テクノロジーは科学の恩恵なしに発展し、 エジプト人たちは科学を何も知らなくてもテクノロジーの面で成功することができた。ビールを醸造するにしても、テクノロジー としての方法とその成果には関心があったが、ある物質がなぜ、どのようにして別の物質になるのかには興味がなかった。彼らは 基礎となる化学や生化学のメカニズムには少しも気づいていなかったのである。
このように、エジプト人たちは科学技術者ではあっても科学者ではなかった。それに対してエラトステネスとその仲間たちは 科学者であって科学技術者ではなかった、ギリシャの科学者たちの目的は、それから二千年後にアンリ・ポアンカレが述べたことと 何ら変わらない。
科学者が自然を研究するのは、それが役に立つからではない。科学者が自然を研究するのは、そのなかに喜び を感じるからであり、そこに喜びを感じるのはそれが美しいからである。もしも自然が美しくなかったら、それは知るに値しない だろうし、もしも自然が知るに値しなかったなら、命は生きるに値しなかったろう。もちろんここで私は五感を刺激する美、質と 見かけの美について語っているのではない。私はそのような美の価値を低く見てはいない。それどころか私はそうした美を高く 評価している。ただ、そのような美は、科学とは関係がないということだ。科学にかかわる美は、各部分が調和した秩序から もたらされ、純粋な知性によって把握されるような、より深い美なのである。
以上の話をまとめると、古代ギリシャ人たちは、太陽の直径を知るには太陽までの距離がわかればよく、太陽までの距離を 知るには月までの距離がわかればよく、月までの距離を知るには月の直径がわかればよく、月の直径は地球の直径がわかればよい ことを示した。そしてエラトステネスは、地球の直径を知るという偉大な一歩を踏み出した。距離や直径という足がかりは、 北回帰線上にある深い井戸と、地球が月に投げかける影と、半月のときには太陽、地球、月が直角三角形の配置になるという 事実と、皆既日食のときには月がぴったり太陽と重なるという観測結果を利用して得られた。これに、月の光は太陽光を反射した ものにすぎないといったいくつかの仮定を付け加えると、科学的な論理の体系ができあがる。この科学的な論理体系は固有の 美しさをもっている。たくさんの論証がみごとに噛み合い、いくつもの測定結果が合致し、それまでとは異なった理論が突然 持ち込まれることでその体系は強度を増す―そうして姿を現すのが、科学的な論理なのだ。
初期の測定段階を終えた古代ギリシャの天文学者たちは、いよいよ太陽、月、惑星の運動を吟味できるようになった。彼らは このときまさに、天体間の相互作用を理解し、ダイナミックな宇宙のモデルを作ろうとしていたのである。これは、宇宙を深く 理解するという道のりの次の一歩となるものだった。

『ビッグバン宇宙論』上下巻(サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社2006年6月 上 第T章「はじめに神は・・・」)より


『ビッグバン宇宙論』(上下二巻)は説明が丁寧であり、一般読者によくわかるように書かれています。今は上巻を読んだところだが、 「しかし大地が球形だとすると、今日でも子どもたちを悩ませている ひとつの問題が生じる―南半球に住む人たちはなぜ落っこちないのだろうか?」の設問は著者がどこに視点をおいて書いているか を示している好例です。 (管理人)
更新2009年5月4日