神はすべてにしてかつ無である
私が✽昨年トルクハイム収容所から解放されたときのことです。それは、春の夕べで、ちょうど、日が沈むところでした。私はひとりで、収容所から遠くないところにあった小さな森を歩いていました。もし皆さんがそのときに私といっしょにおられたなら、この強制収容所の心理学の最終章で私がいおうとしていることがお分かりいただけることでしょう。その森には、収容所所長―第一の講演で、ポケットマネーから「自分の」収容所の囚人のために薬代を出したとお話したあのナチの親衛隊員ですが―のきわめて異例な命令で、収容所で死んだ囚人仲間たちが埋められていたのです。その埋葬の際に、この男は、上からの指示に反して、共同墓穴のうしろの生えていた細く若いモミの木の幹に、木の皮をすこしはがしてから、そのつど死者の名前を鉛筆で目立たないように小さく書き込むことを怠りませんでした。
そのとき皆さんが私といっしょにおられたなら、生き延びた私たちが今後の人生を通じて、私たちすべての者の罪があがなわれるように心がけることを私といっしょに誓われたことでしょう。そう、私たちすべての者の罪です。というのも、生き延びた私たちは、私たちといっしょにそこにいたもっと立派な人たちが、そこを出ることがなかったことがわかりすぎるほどわかっていたからです。戻ってこなかったのは、もっとも立派な人たちだったのです。ですから、私たちは、生き延びたことを身にあまる恩寵としか考えられませんでした。私たちは、その恩寵に遅ればせながらもふさわしいものになり、すこしでもそれに見あうようになる義務が、死んでいった仲間たちに対してあるように思われたのです。そして、この義務を果たすには、他の人たちの良心、そして私たち自身の良心を揺り起こして呼び覚ましておくしかないように思われました。
もちろん、こうした体験があってからいろいろなことが起こりました。解放されてうちに帰ったとき、いろいろなことが待ち構えていました。そのために、あの誓いは忘れられがちになったのです。
というのも、つぎのどちらかだったからです。解放されたひと、帰還者は、あこがれていたもの、それについて考えることで収容所でしっかりしていることができたものがわが家にあるのを見いだします。たとえば、会いたいという思いのあまり、文字通り死んでしまうのではないかと思えた人が目の前にいるのです。この場合、彼は、あまりにも幸せで、幸運に感謝するばかりで、収容所にいたときからいつも考えていたこと以外なにもできないのです。つまり、わが家に引きこもって、外界のことはなにも知ろうとしないのです。
それとも、帰還者は、運命に徹底的に失望させられます。しかし、その場合、彼がほかの人たちに対して味わう失望は、もはや問題にはなりません。そのような人は、仕返しや復讐といったものをとっくに克服しているのです。先の場合の人が、あまりにも幸せであるために仕返しや復讐のようなことが考えられないとすると、今の場合に人は、あまりにも不幸であるためにそうしたことが考えられないのです。そうした人の口からもれることばがあります。そのことばに示されているのですが、彼は、もう一度収容所の生活に戻ることさえあこがれている、すくなくとも、どんなにわずかな希望であっても、いつかはまた幸せになれるという希望を抱くことができたころのことを痛切に思い返しているというのです。このようなことがしばしば起こり得るほど、彼は不幸なのです。人間にとって、ほんのわずかであっても幸せになれるという可能性は、幸せでないという絶対的な確実性以上のものなのです。
これほど失望した人のそのような悲哀は、最後には、ふたつのことによって克服されます。それは、謙虚さと勇気です。収容所の囚人だった人ならだれでも、この二つをたずさえて、新しい生活に入ることになります。彼は謙虚になること、絶望的な運命に対しても謙虚になることを学びました。ただ、その謙虚さと無欲さはとても深いので、そもそも外からわかるようなものではなかったのです。
けれども、人生には、かって心に誓ったことを守る瞬間があります。そしてそれは決定的な瞬間なのです。その誓いというのは、パンのほんの小さな一切れ、ベッドで寝ることができるという事実、点呼に立たなくてもいい、死の危険がたえずある中で生きていなくてもいいという状況、こうしたものを感謝をもってうけとめるということです。すべてのことが相対的なものに感じられます。不幸でさえもそうです。先にいったように文字通り無になった人は、文字通り生まれ変わったように感じるのです。しかし、以前の自分に生まれ変わるのではなくて、もっと本質的な自分に生まれ変わるのです。第一講演でも、すべての非個人的なもの、非本質的なものが「溶けて」しまうことを指摘しました。たとえ名誉欲があったとしても、たいして残らないことでしょう。溶けないでもちこたえるのは、せいぜい業績欲ぐらいのものでしょう。それは、はるかに高い形態の欲求であり、自己実現の要求なのです。まさにより本質的な形態なのです。
収容所の囚人だった人が収容所の生活から謙虚さといっしょにたずさえてくる勇気についていうと、それはおそらくすべての人に通じるような実感のことです。それは、神以外はもうなにもおそれなくていい、神以外はもうなにもこわいと思えないという感情なのです。
さて、みなさんは、ここで、この地点で道が分かれる、信仰者の道と無信仰者の道が分かれるとお思いになるかもしれません。けれども、身をもってこの十字路を通り過ぎてこられたのなら、もうすこしべつな見方をされることでしょう。ひょっとすると私とおなじような見方をされるかもしれません。べつの連関でも、「無」か「神」かという選択についてお話しましたが、この選択は見たところ正反対のものの選択に思えますが、ひょっとすると、結局はそういう選択では全然ないという見方をされるかもしれません。というのも、神はすべてにしてかつ無であるからです。「すべて」を凝固させ概念にしてとらえると、溶けて「無」になってしまいます。それに対して、「無」は正しく理解しさえすれば、結局それは捉えられないもの、ことばでいい表せないものであり、そういうものとして私たちにすべてを語るのです。(アンダーラインは管理人)
✽注 この講演は第二次大戦終了の翌年に、三回のシリーズで行なわれた。(管理人)
(「V それでも人生にイエスと言う ある春の夕べ」から)
『それでも人生にイエスと言う』(春秋社 1993年V.E フランクル著 山田邦男・松田美佳訳)