―それにしても、なぜ幣原は戦争放棄を言い出したのか。天皇存続とバーター?それだけではあるまい。理想主義的な平和論?それだけではあるまい。
私見を述べる段取りとなった。以下、宰相・幣原喜重郎の思案を推し量ってみる。
幣原とて手練れの外交官である。国の舵取りを任されたとき、まずは日本の置かれた状況に深く思いを致したであろう。すなわち東西冷戦の谷間である。「冷戦」という言葉が使われだすまでアト二年ほど待つ。しかし状況はすでにその名に値した。
父は現実主義者だった、だから(空想的理想主義的な)第九条を発想するはずもない、と息子(長男・道太郎氏)は主張する。果たしてそうか。むしろ現実主義者だったからこそ、第九条の発想に至ったのではないか。東西冷戦の谷間にあって、戦力放棄こそが優れて現実的な選択だった、とは考えられないか。
古来、以下のようなことが言えまいか。A国とB国が争い、Aが勝つ。ついでAがCと争うとき、AはBの兵力をCに向けて使役する。蒙古のフビライは高麗兵を日本に差し向けた。時代は下ってスターリンは、征圧した東欧諸国の軍隊を、西方拡大へと使役した。B国の宰相は考える。自国の戦力=若者を何とかして差し出すまいと。そのためにはどうするか。戦力を放棄すればいい。言うなら自らの手を縛って、ゲンコツを使えなくする。
所詮ゲンコツを持ったところで、もとより占領軍には使えない。内乱?これは占領軍が押さえてくれる。下手に戦力を持てば外に向けて使役されるだけ。ならばこの際、自らゲンコツを封じてしまう。敢えてする自縄自縛である。
幣原の場合、相手のマックは曲がりなりにも日本国憲法を作らせ、これによって統治すると宣言している。相手が望む憲法に、「自縄自縛」を挿入する。一旦挿入してしまえば、日本国民の「総意」によってしか変えられない。民主主義を誇称する国から来た占領総督である。条約なら破棄できるが、憲法はそうはいかない。総体としてアメリカ側が押し付けた憲法である。これの改変・破棄をアメリカが迫るのは、論理的にも矛盾する。
憲法九条は向こうが押し付けた、結果、戦力供出を拒む楯となった―これが「定説」だが、事情は違う。結果として楯となったのだから、どちらの発想でも良いじゃないか―これも違う。結果オーライではない。幣原の冷静な仕掛け、目下の状況と将来の展望から割り出した、きわめて現実的な選択だったと見る。
・・・幣原は外交官の任務について述べている。
「私は軍縮の困難さを身をもって体験した。交渉に当たる者に与えられる任務は、いかにして相手を欺瞞するかにある。国家は極端なエゴイストであり、そのエゴイズムが、最も狡猾で悪辣な狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗き見るならば、何人も戦慄を禁じえないであろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争なのである。円満な合意に達する可能性など初めから存在しない」
そのような修羅場を踏んだ男が、宰相として敗戦処理の「外交」に当たったのである。
46年1月24日正午、マックの部屋に思いを馳せてみよう。片や悠然と待ち構える占領軍総督、片や敗戦の重荷を痩肩に背負った小柄な宰相、二人の老人が交わした濃密な三時間の会話は、シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』を思わせる。ツヴァイクの序文にいわく、
「世界史にもそのような時間が現れると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。・・・圧縮される劇的な緊密の時間、運命を孕む時間は、個人の一生の中でも歴史の中でも、稀にしかない」
この日、痩身の老人は、贈られたペニシリンで余命を繋いだ礼を言うためだけに訪れたのではない。日本の命運を決する文言を、国法に挿入する企てを腹中に秘めている。閣僚の誰もがそれを知らない。
「私としては松本君(憲法担当国務大臣)らに打ち明けることのできなかったことは忍び難いものがあったが、それは止むを得ないことだった」(「平野手記」)
なぜ打ち明けなかったのか。象徴天皇と戦争放棄―自分の構想を二つながらマックの構想と偽って、閣議に提案するためである。占領総督の威を借りなければ、このような大事は通らない。
こちらの腹を探らせてはならない。絶対・純粋の理想的平和主義から出た提案と思わせる。加えて提案の現実的な利点に目を向けさせなければらない。だからこそ幣原は事前に、日本の統治に天皇の有用性を説き、これを存続させるために効果的な方策はないか、さらに日本の信用回復への方策は何かと、自問 ・懊悩してみせた。言うならバーター(交換取引)を暗示した。
・・・幣原は次のように述べてマックを説いた。
「日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが、果たしてアメリカのためであろうか。いまや問題はアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。
世界を戦争の破滅的悲劇から救う突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にない。ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本はいまその役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた。アメリカさえ賛成するなら、日本の戦争放棄は内外に承認される可能性がある。歴史の偶然をいまこそ利用する秋である。そして日本をして自主的に行動させることが、世界を救い、ひいてはアメリカをも救う道ではないか・・・」(「平野手記」)
幣原は説きに説いたであろう。マックの第一の関心事は占領政策の成功である。「太平洋のシーザー」として凱旋し、大統領の座を狙う。それへの利をまずは説く。加えて「マッカーサー憲法」に世界初の「戦力放棄」条項を挿入すれば、「不滅の名」を後世に残すことにもなる。戦争を嫌悪し、理想主義的な平和への志向を持つマックの心情にも訴える。あの手この手で、マックの脳ミソを刺激し、心を擽ったのであろう。
マックは立ち上がる。幣原も立ち上がる。共に涙しながらガッチリ握手。それほどにも幣原の弁舌は一世一代の名演技だったのだろう。マーク・アントニー会心の演説を思わせる。幣原がシェークスピアを自家薬籠中のものとしていたことは、すでに触れた。
自ら陶酔しなが相手をも陶酔させる。すなわち名優である。その意味ではマックも名優だった。かくて二人は手を取りあって涙する。幣原の昂揚は、陶酔に加えて、企ての意外にスンナリ成就したことの喜びだったろう。
「こんどは幣原がびっくりした。よほど驚いたらしく、顔を涙でクチャクチャにしながら、言った。
『世界は私たちを夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後には私たちは預言者と呼ばれますよ。』」
マックが「戦争放棄」を言い出すワケもないと思える理由が、もう一つある。コトはアメリカ建国の精神・憲法制定にからむ。
アメリカは十三の州を束ねて建国された。各州とも「必要悪として」連邦政府の存在を認めた。これの専制・横暴を防ぐべく、憲法制定にあたって様々の工夫がなされた。人民に武器(銃)の所有を認めるのもその一つ。修正第二条は言う。
「規律ある民兵(ミリシア)は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」
この条項を含む権利章典を、憲法に付加する・しないの攻防は、連邦に加盟する・しないの焦点になった。三つの州が、これを州議会批准の条件とした。かくて出来上がったばかりの憲法に修正が加えられる。まさに武器の所有(=連邦政府への自衛手段)をめぐる当否は、アメリカの建国を左右する大問題だった。トマス・ジェファーソンの言うように、「憲法は国家権力に対する猜疑心の体系」であった。
戦後の日本において、「民主主義」はアメリカに下賜された金科玉条の護符とされるが、本家本元のアメリカンデモクラシーは連邦政府(国家権力)への不信感に裏打ちされている。裏打ちを担保するのが武器(銃)の所有であり、本来、アメリカンデモクラシーは荒々しいものなのだ。以来、憲法修正は二十七回に及ぶ。修正第二条に関しても度々議論が起こるが、その都度、最高裁は腰が引け、今に至るも「判断保留」に終始する。教科書も同様、銃の問題については「お手上げ」の状態にある。建国の精神に関わるからだ。
要するに、「銃こそが自由と民主主義を担保する」と考える。自衛の戦力を持たずに、州もなければ国もない。この建国の精神は、もとよりマックが受け継ぐDNAでもある。自ら憲法に「戦力放棄」を挿入するなど、思いもよらない。だから幣原の申し出を聞いて「腰を抜かすほど驚いた」のである。弁護士を本業のケーディスですら、驚いてこの条項を削ってしまう。のちにマックの命令で復活させるが、芦田均はこれに「修正」を加える。「修正」は自衛権を含意するものだった(後述)。芦田が恐る恐る修正案を差し出したとき、ケーディスはあっさりこれを認める。
芦田が、マックやホイットニーに相談しなくてもいいのかと尋ねる。ケーディスは手を振って問題にしない。事実、問題にならなかった。けだし自衛権は万国・万人共有の自然権であり、これなくして国家もヘッタクレもない。以上を要するに、マックにも幕僚らにも、「戦力放棄」を憲法に挿入する発想はなかった。言い出すワケもない。