最初に登場するのは、「マルコによる福音書」である。時期はおそらくユダヤ戦争の終結後、すなわち70年代である(マコ13章参照、通説は70年頃)成立地は確かではないが、シリア、デカポリス、ローマ等諸説がある中では、南シリア説が最も蓋然性に富むと思われる。 いずれにせよ、「マルコ」と呼び慣らされているおそらく異邦人出身の作者は、奇跡伝承(群)や受難物語伝承を中心に、様々なイエス伝諸を収集・編集し、登場からその非業の死に至るまでのイエスの姿とその活動、および彼とその「弟子たち」との関係を生き生きと描出することに成功した。イエスの「福音」が、抽象的な「ケリュグマ」(宣教用の短い文章)の中に埋没することなく、生きたドラマ性に富んだ物語として、それもイエスが悲劇的な没落を通して凄惨に死んでいく物語として現前することになったのである。作者は、この物語の総体こそ「福音の源(みなもと)」であるという主張のもと、その作品を読者に提示している。 他方、作者が想定しているそれらの読者は、周辺からの危険の只中にある(13章など参照)。作者はその彼らにこのイエスの姿が逆にインパクトを与え、かえって彼らの勇気を奮い立たせることを願ったのであろう。また同時に、このように物語形式で提示されることによって、イエスの生の現実的・社会的次元が抽象的に失われることなく、鮮明な像を結ぶことになった。「罪人どもや徴税人ども」(2:16)と共に生き活動し、やがて惨殺されていったイエスの姿が生々しく捉えられたのは、マルコの大きな業績と言える。(ただし、本文批評的に見て、現在のマルコ福音書が、元来のマルコ福音書に微細な文言修正の加わった版である可能性も存在する。)
主としてイエスの語録を集めたQ文書の担い手集団は、おそらくユダヤ戦争前にパレスティナを離れ、やがてシリア方面に分かれていったと思われるが、その中の一グループの伝承は、若干とはいえ独自に発展した形をとっていった(Qマタイと言われる)。このQ文書と同時に、マルコによる福音書をも手にした共同体があった。折しも彼らは、今まで自分たちの宣教に耳を貸さなかったユダヤ教共同体から決定的に離れ、異邦人を対象にした宣教へと方向を自覚的に転換している時であった。 そこで一人の編集者が、マルコによる福音書を骨組みにし、それに彼の手元に至った形のQ文書を散りこませ、自分たちの現状により適合した新しい福音書を編んだ。これが後代「マタイによる福音書」と呼ばれる文書である。成立は80年代、シリアのある中都市で成立したものと思われる。作者は処女懐胎の観念(1:18)や「血を飲む」という聖餐表象(26:28)がユダヤ人には許容困難なものであることからして、ユダヤ教に通じてはいるが、根本では異邦人出身のキリスト教徒のように思われる(通説では「ユダヤ人キリスト教徒」)。いずれにせよ、この福音書の最大のテーマは、現実のユダヤ民族との決別およびユダヤ教からの脱皮にある。
Q文書の担い手の別のグループは他のコースと辿り、シリアないし小アジアの都市に落ち着いたらしい。そこでで元来の資料はさらなる「イエスの言葉」で拡大され特にイエスの譬話(たとえばなし)を中心とした新たな資料群と結ばれて拡張された(これをQルカという)。やがてこの文書は、マルコ福音書の中に挿入される形でーすなわちマタイ福音書の場合に似て、しかし異なった手法でー編集され、新たな福音書となった。「 ルカによる福音書」と呼ばれることになる文書の誕生である。その中では、著者の共同体信仰を基礎付ける「イエスの時」が過去の歴史として描出だれている。成立はマタイによる福音書と同じか、やや遅れて80年代後半から90年代前半頃、おそらくかなり大きな、ユダヤ教の影響の強いヘレニズム的都市においてのことであろう。正確な場所は、小アジアか、シリアか、ローマか分からない。 著者は「医師ルカ」(フィレ24、コロ4:14、Uテモ4:11)と結び付けられ、ルカと呼ばれているものの、実は不明である。ただし、自らは異邦人キリスト教徒であろう(なお以上の「マルコによる福音書」、「マタイによる福音書」および「ルカによる福音書」は、お互いの構成上相似関係にあるので、これら3福音書を「共観福音書(英Synoptic Gospels)と呼んでいる)。 ルカの作品は、しかし、これだけで終わらなかった。彼は「イエスの時」を描いた福音書に次いで、「教会の初めの時」を物語る書物を書いた。後に「使徒行伝」(または「使徒言行録」)と名付けられるようになった作品で、キリスト教の報知がいかにエルサレム原始教会から異邦人に及び、さらにはパウロに担われて帝国の首都ローマにまで至ったかを強度に理想化しつつ述べている。それによって、彼の共同体の者たちは、自らの伝統の真正さを確信し、新たなアイデンティティを培うべきなのである。と同時にこれは、ルカによる福音書と並んで、キリスト教がいかにローマ帝国とその権力に対して無害なものであるかを弁証しようと試みる、護教(apologia)の書でもある。成立したのは90年代であろう。
『聖書時代史 新約篇』岩波現代文庫 佐藤研著 2003年5月第1刷り