救民者マシーアッハから救世主キリストへ
前回触れたように、ヘブライ語のメシア(マシーアッハ)の意味する内容は、ユダヤ人の困難な歴史の中で大きく変わっていきました。
メシアの意味が、もともとの「油塗られた(者)」からどのように変化し、「全世界の救い主」というモチーフと結びついたのか、
前回の学びと照らしながら以下で略述します。
マシーアッハ「油注がれた(者)」という語が常に意味する内容は、儀式を行う祭司がオリーブオイルを体に塗って、
俗なものごとから聖別されることです。@俗世から離れたところにいる「聖別」が基本としてあって、これに後からA王の権威づけ、
Bイスラエルを救う者、C全世界を救う者といった新たな意味づけが加わってきます。以下にそれらの例をあげましょう。
意味(付加された意味)
@油注がれた者 |
聖書の出典および文脈と背景
レビ記4章3、5、16節。6章15節 民族宗教の儀礼細則。
祭司は神によって油注がれた者であり、犠牲を捧げる儀式に一点のあやまりもあってはならない。祭司は聖別された者である。
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A王の権威づけ |
サムエル記12章3,5節
サムエル王の権威を示す宣言形式。偉大な預言者サムエルが、サウル王に油を注いで聖別し、サウル王としてイスラエルの王国を興した。
王の権威は油による聖別である。 |
Bイスラエルを救う者 |
イザヤ書45章1節
国を失った民を救う者。預言の形で、ペルシャ王キュロスによる解放の根拠として |
C全世界の救い主 |
新約聖書全体に、ギリシャ語のクリストスとして
イエスこそが新しい契約。ユダヤ人だけでなく、全世界の人間を罪から救う。 |
@が聖書の中核を成す古い層のメシアで、それにA・B・Cと次第に新しい意味づけが加えられていきました。
最初の三段階で、メシアの意味の背景にそれぞれ変革があったことがわかります。
まず@の祭司の聖別については、非常に民族宗教的なにおいが強い言葉としてメシアが出てきます。若い雄牛の捧げ方を執拗に書き続ける文の中に、メシアがいます。神が油を注いで聖別した者が、儀式を滞りなく行うという文脈です。ここには終末や民の救済というモチーフは全くありません。
A王の権威については、すでにある程度形式化した言い方で、メシホー(彼が油を注いだ者)が出てきます。つまり「神による王の権威へのお墨付きです。ここで書かれているのは、@の犠牲をささげる文脈から離れたところで起きている政治的なことがらです。王の権威づけに定型句のメシアが用いられた痕跡とも言えます。
B民を救う者という新しいモチーフが、メシアに加えられています。雄牛の犠牲とは全く関係のない語彙としてメシアが出てきました。異邦人のペルシャ王キュロスに神が油を注ぎ、イスラエルをバビロン帝国から解放したという思想です。イスラエルの血をひかないキュロスに、神が聖別の油を注いだというのは、それまで閉じていた民族宗教に大きな変化があったことを示します。油を注ぐ行為が実際に行われていなくても、メシアという語が象徴的な表現で使われています。ユダヤ教の基本は選民思想と父方の血統であり、ダビデ王の血統は非常に重要です。しかしキュロスの聖別は神の油注ぎによって成されたもので、その民イスラエルを救う者の正統性は、血統よりも大事な神による聖別だと預言されたのです。このBで大きな転換があったと言えます。
この転換の背景は、イスラエルの王国の滅亡(紀元前587年)と、続くバビロン捕囚、ペルシャ帝国による解放という出来事です。それまでの民族宗教と軸としたイスラエルの王国が滅び、生き残ったユダヤ人指導者たちはバビロンという大帝国に捕虜として連れ去られました。国土を離れて五十年間暮らす間に、民族や王国の歴史を外から捉えなおすグローバルな神学が創り出され、王国の領土ではなく神の言葉(聖書)に基づくユダヤ教という宗教が成立したのです。だから今のヘブライ語聖書には、民族・王国・流浪・言葉の宗教という何層もの編集の跡が残っています。メシアの意味が大きく転換したのがわかるのも、この編集の痕を丹念に調べることによります。
異邦人キュロスの話はエズラ記一章などに書かれています。イスラエルによる歴史解釈では、キュロスじゃ神の使者としてイスラエルを悪の帝国から解放し、後のペルシャ王国を建てたということになります。同時代に書かれたイザヤ書四十五章は、彼をメシアと呼び、そこでBの救民者というモチーフがメシアに加わったのです。その後のイスラエルは、王国の再建、アレクサンダー大王以降のギリシャ化、ローマ帝国による圧倒的な支配へと巻き込まれ、ユダヤ教はさらに外の世界との関わりを強めていくのです。
Cクリストスはギリシャ語の「油塗られた者」です。イエスの時代には、ヘブライ語のマシーアッハ(油注がれし者)の訳語として、ギリシャ語を話すユダヤ人の間ですでに用いられていたので、パウロのようなイエスの弟子たちにも訳語としてすんなり採用されたようです。ここでは、イエスをキリストとしてギリシャ語で記録したのは、イエスの弟子たちだったということに注意すべきでしょう。イエスはユダヤ人で、ヘブライ語聖書の言い回し(生の木、エゼキエル書21章3節)を用いて自分のことをメシアだと公言しましたが、ギリシャ語は話していなかったようです。本人は、ヘブライ語とアラム語で「神に立ち返れ、洗礼を受けよ。時は近づいた」と述べて、多くの人たちを病や飢えから救いました。その数々の奇跡が目撃され、驚きをもって人々の間に伝えられ、今の新約聖書に結実したのです。
『キリストの理解 ヘブライ語聖書から読み解く』 山口勇人著 イズラ書房 2008年7月