死後の世界からの現象
ある年、私は家の中(北海道)が静かになっていることに気がついた。あれほど家中に鳴り響いていた音が鎮まっている。指を折ると
最初の年から七年ほど経っていた。美輪さんからもう大丈夫、といわれ、こんなに佐藤さんが一所懸命やるとは思わなかった、といわれると、
先生に褒められた小学生のように嬉しくて、
「どうです?この頃、例の音は?」
と事情を知っている人に訊かれると、
「私が鎮めました。私の力で」
と得意になって答えた。その人たちは笑って、家屋の材木が、漸く乾き切って弾けなくなったのだろうという。その説に反駁する
にも発想に共通の土台がないから、私はそういうことにしておく。
しかしかっての騒ぎが嘘のように静かな日々がつづくと、その私でさえも、もしかしたらあれは自分の思い過ごしではなかったか、
という気がふとしたりするのであった。
そんなある夏、東京から親しい女性編集者の村田さんが遊びに来た。すると挨拶を交わしている村田さんが居間のソファに座った
時から、それまで鎮まっていた居間の天井あたりが急に騒々しくなったのである。といっても例の、木の弾けるような高い強烈な音ではない。
居間の私たちが座っている頭の上で、ゴトッパチッと低い物音が始まったのだ。私は「あ?」と思いつつも、口に出せずにさりげなく村田さん
と話をしていた。しかし神経は頭の上のゴトッパチッに集中し、二、三年鎮まっていたこの部屋でいったいなぜ、今、この音が始まったのか
と思案している。
そのうち、さすがに村田さんもそれに気がついた。
「何ですか、この音?」
と天井を見上げ、
「この音、まるで私たちの会話に加わっているみたいですね」
と不思議がる。
そうこうするうちに日が暮れたので、私たちは町まで食事に出けくることにした。帰宅したのは十一時少し前である。家に入ると
六畳の台所の床の真中に、何やら緑色のものが置いてある。よく見ると換気扇である。緑色のプロペラ型のファンが換気扇から取り外されて、
床の真中にチョコンと置かれているのだ。
いったい、これはどいういうことか、と私たちは顔を見合わせた。換気扇がついている場所はガス台の上のフードの中である。
フードの中を見ると、ファンが外れた後の穴が暗く開いている。
何らかの原因で自然に落下してきたものか?だとしたら、ガス台の上に置いてあった湯沸しはひっくり返っている筈だ。
またガス台のどこかに重いファンが落下した痕跡が残っている筈である。とするとファンはまずガス台の上に落ちて、弾んで、床に転げ
落ち、床板の上をすべってそこまで行ったのだろうか?
私は探偵のように仔細に検分し、考察した。ガス台の上には極めて微量の煤が散っている程度で、その他には何の変わったこともない。
ファンのネジは六個ついていて、そのうち二個が老朽化しているが、残りの四個はしっかりしている。四個あれば大地震でもない限り、
落ちることはないだろう。とすると、誰か悪戯者が入って来て、怖がらせるために、こういう仕掛けをして行ったのだろうか?
ドライバーを用意して?
五百メートルの山道をわざわざ上ってきて泥棒に来たが、一円の金もなく、めぼしいものもないので腹を立ててこういうわるさを
していった者がいるのかもしれない。人里離れた山の上なので、私は戸締りを厳重にしたことがないのだ。
私と娘と村田さんの三人は、あれやこれやと考えつく限りの意見を出し合ったが、そうしている間も頭の上ではゴトッパチッが
つづいているのである。いつまでこうしていても仕方がない。風呂へ入って寝ようとおいことになって、まず私が入り、それから村田さん
が入った。
村田さんが風呂から出て居間のソファに座った時は、娘は居間からつづく台所で片付けをしていた。その時村田さんがいった。
「響子ちゃん(娘の名前)はお風呂ですか?」
「いいえ、まだよ。台所を片付けてるわ」
と私は指さした。私たちが座っている所から、台所の娘の姿が見える。村田さんはふり返ってそれを確かめ、
「でも今、お風呂でお湯を流す音が聞こえました」
という。
「そんなわけないわ、空耳でしょ」
私はそういい、村田さんはすぐ納得して話のつづきを始めたのだったが、そのうち、娘は片付けを終わり、風呂へ入りにいった。
その後、私はお茶をいれようとして席を立った。前に書いたように居間は台所とつづいている。その境界近くに廊下へでるドアがある。
そのドアの前、そして台所へ入る手前の灰色のカーペットの上が、直径三十センチほどの丸さにぐっしょり濡れている。踏むとスリッパの
縁まで水が上がってくるほどだ。
「誰?こんなところに水をこぼしたのは・・・」
と私はいった。村田さんは立って来て、
「私がお風呂から戻ってきたときはありませんでしたよ」
という。
「なかった?」
「ええ、それにさっき帰ってきてから、こっちの部屋にはお水もお茶も持ってきてません。ファンの騒ぎでお茶も飲まずに
座って相談していたんですから・・・」
村田さんと私は何もいわず、互いの顔をマジマジと見つめるばかりである。そこへ娘が風呂から上がって来たので、私は
早速その水について訊いた。
「あなた、お風呂へ行く時、この水、あった?」
「あった・・・」
娘は簡単に答えた。
「あったけど、拭くのが面倒くさかったので、跨いで行ったのよ」
私は娘の不精を叱ることを忘れ、ではこの水はいつ、誰がこぼしたのかという問題で頭が一杯になった。
—するとこの水は、村田さんが風呂から出、娘が風呂へ行く間の、五分か六分ほどの間にこぼれたということにはなる。
いったい、この水はどこから来たのか?
立ち竦んでいる私たちの頭の上では、相変わらず低くゴトゴトバチバチがつづいているのである。
私は塩を撒き、ひと掴みの線香を立ててお題目を上げた。そうして線香の煙が濛々を立ちのぼる中で、三人枕を並べて寝た。
私は熟睡したが、村田さんと娘は朝までまんじりともしなかったそうだ。
翌朝、村田さんは蒼惶(そうこう)と帰っていった。村田さんの車が牧草地の中の坂道を降りてゆくのを見送って居間に戻った。
そうして気がついた。さっきまで音を立てていた居間はすっかり静かになっている。耳を澄ましたが何の気配もない。カーペットの水は
少しずつ乾いていく、三日ほどして跡形もなく消えた。
その数日後のことだ。懇意にしている町会議員の小野寺さんが遊びにきて、出窓に置いてあった換気扇に気がついた。
「どうしたの、換気扇。壊れたのかい」
と訊かれて、先夜の出来事を話した。すると小野寺さんは、私の話がまだ終わらないうちに叫ぶようにいった。
「そりゃあ、Tさんの仕業でないべっか」
「Tさん?あの漁師の?」
といいながら私は思い出した。
その年の1月13日、金曜日、仏滅と重なった日、Tさんは沖へスケソウの浜網下ろしに行った。いつもは弟と二人で行くのだが、
その日は13日に金曜、仏滅と重なっている日だからオレが一人で行く、といってTさんは一人で船をだし、そうして海へ落ちて死んだ。
一人だったから助ける者もなく、落ちた時の様子もわからない。自動操舵の船が主がいないままにまっしぐらに走り、漁港に
入らずに丁度、Tさんの住宅の後ろの浜に上がったのだった。集落中の漁師が船を出して捜したがついに見つからぬまま、遺骸なしの
葬儀をとりあえずしたということを私は聞いて知っていた。
「ところが四十九日頃からTさんの家や親戚で夜になると表の戸が開く音が聞こえたり、お風呂で水を流す音がして、風呂場の
前が濡れていたりするのだそうだ」と小野寺さんはいった。
さらに、小野寺さんはいった。
「そうだ、Tさんのタマシイだべよ。1月13日といえば寒い最中だ。寒い時に海に落ちて死んだ者は、あったまりに風呂へ入りにくる
っていうからね。だからもうそろそろ来る頃だから、風呂沸かしておいてやれ、なんていってね。日が暮れると風呂沸かしてたけど、
ここまで入りにくるとはな・・・」
それから小野寺さんは気がついた。
「あ、わかった!あの換気扇の形、ありゃ船のスクリューに似てるもんね!Tさんは教えてるんだな。ここへ来たのは漁師のオレ
ですって・・・」
Tさんは成仏させてほしくて、あちこちの家へ行ってそれを促している。しかし家族や親戚は風呂を沸かすことばかり考えて、
成仏のことは考えない。仕方なくさまよっていたTさんは丁度そこを通りかかった村田さんに取り憑いた。多分村田さんも霊が頼り易い
体質の人なのだろう。
だが村田さんが帰ると同時に家の中が静かになったということは、Tさんは村田さんに取り憑いたまま、一緒にこの家を出ていった
ということなのだろうか?私は村田さんの身体に異変はないかと心配したが、その後は何の変わったこともないという。Tさんは成仏
させてほしいという願いを人に理解させるという目的を達したから、村田さんから離れたのだろうか?
この経験は霊の存在に対する私の確信を愈愈(いよいよ)強めたといえる。家屋の材木に生木が使ってあったのが、乾いたために弾ける音が
しなくなったのだとしたら、今回のこの音をどう説明すればいいのだろう?
しかし私はもう、そういうことについて人を説得したいとは思わなくなっていいた。そういう現象を不思議とも怪奇とも思わなくなった。
私はただありのままにその現象を事実として受け入れた。風が吹いて海が波立ち、山が揺れるのを見るように、見た。
『こんなふうに死にたい』 佐藤愛子著 1987年11月発行 新潮社