死後の世界はあると思うか?
遠藤周作さんが亡くなったのは平成8年9月である。その年の1月、遠藤さんから電話でこう訊かれた。
「佐藤くん、君、死後の世界はあると思うか?」
「あると思う」
とすぐ私は答えた。遠藤さんはなぜあると思うのかとは訊こうとせずにいった。
「もしもやな、君が先に死んで、死後の世界があったら、『あった!』といいに幽霊になって出て来てくれよ。オレが先に死んだら、
教えに出て来てやるから」
「遠藤さんの幽霊なんか来ていらん!」
と私はいい、話はそこまでで終わった。その前にも一、二回、死後のあるなしについて遠藤さんが訊いたことがあったと思う。
遠藤さんが亡くなった翌年の5月の中旬だった。私は夜遅く、江原啓之さんと電話の長話をしていた。心霊についての質問やら相談
をする時は、いつも夜の11時頃である(それほど江原さんはスピリチュアリズム研究所の仕事が忙しく、日中は時間がとれなくなっていた
のだ)。その時、話の途中で江原さんは突然、
「あ、ちょっと・・・待って下さい・・・」
といって言葉を切ったかと思うと、
「今、佐藤さんの部屋に遠藤先生が見えています」
といった。
「多分、遠藤先生だと思います。写真で拝見しているのでわかります。茶色の着物姿で、そこの部屋の壁に懸っている絵を眺めたり、
今はデスクの上に書きかけの原稿がありますね、それを見て・・・人さし指で下のほうを持ち上げてニヤニヤしながら見ておられます・・・」
私は言葉が出ない。私は十畳の洋室を書斎兼寝室にしている。その時はベッドに腰をかけて受話器を耳に当てていた。勿論、
私には何も見えず、何の気配も感じない。
「遠藤先生がこういっておられます。死後の世界はあった、こっちの世界はだいたい、君がいった通りだ・・・」
私の身体を戦慄が走った。驚きや怖ろしさではなくそれは間違いなく感動の戦慄だった。私は思い出したのだった。遠藤さんの
生前の、あの会話を。
— もしオレが先に死んだら、教えに出て来てやるから・・・
遠藤さんはそういった。そしてその約束を守って出て来てくれたのだ・・・。
呆然としている私の中に何ともいえない懐かしさと嬉しさがこみ上げてきた。わっと泣き出したいような熱いものがたちのぼってくる。
「それから・・・こういっておられます。作家というものはみな怠け者だから、こうして時々見回りしなければならないんだ・・・」
それから江原さんはクスクス笑いだした。
「この前も見ていたら、佐藤くんは机に向かったままじーっと動かない。そんなに行き詰っているのかと思ってそばへ寄ってよく見たら、
居眠りしとった・・・」
思わず私は、
「遠藤さんはあの世へ行っても生前のキャラクターが消えないのね」
と感心した。
「遠藤さんが行かれた所は幽界の一番高い所で、四季の花が咲き、鳥が歌い、いうことなしの、天国といわれている所にあたります」
と江原さんはいった。そこは肉体がないので欲望からは解放され、怒り、憎しみ、妬みなどに左右されることのない想念だけの
世界である。しかし生前の記憶や性格は残っていて、最高に楽しい所だという。ここよりも上の世界、つまり霊界に入ると、記憶はなくなり、
苦しくも楽しくもない状態になる。そのためさらに修行して霊界に上がるよりもここにいるほうが楽しいと思って、なかなか上へ上がろうと
しない魂もあるそうだ。
江原さんはそんな説明をして、それからまたクスクス笑った。
「こうおっしゃっています。ぼくの人格が高いから真直ぐここへ来た。人の役に立ってきたからなあ。沢山の寄付もしたし・・・
と自慢しておられます」
実際、死んだ後一年も経たないうちに、「天国」まで真直ぐに行くことの出来る魂は稀であるという。遠藤さんはでたらめをいうのが
好きな、幾つになってもしょうのない悪戯好きだった。だが生涯を通じて病弱な肉体と繊細な感受性ゆえの苦しみと闘った内省の人だった。
遠藤さんの波動は高かったのだ。
我々は簡単に「あの世で会おう」とか「あの世で父や母が待っている」などという。だが、あの世は波動の世界で、その高低によって
行く先が決まるのであるから、父や母と会うつもりでも波動が違えば会うことが出来ない。どんな愛し合った男女でも、波動の差によって
離ればなれになるのだ。「あの世で一緒になりましょう」と心中した男女はともに暗黒界へ落ちるのだからそこで一緒にいられるかもしれないが、
暗黒界も上、中、下くらいの差はあるというから、一緒に死んでも「あの世で夫婦(めおと)」というわけにはいかないであろう。
私が遠藤さんとあの世で会いたいと思っても、そうなるには私の波動をもっと上げなければならないということになる。
遠藤さんはもしかしたら終始、見回りに来ているのかもしれず、私のほかにも遠藤夫人や子息の龍之介さんや、阿川弘之さんや
三浦朱門さんの所へも行っているのだろうと思う。サイババの紹介者として精神世界に造詣の深い青山圭秀(まさひで)さんがたまたま
江原さんを訪ねた時、遠藤さんは現れたそうだ。青山さんと遠藤さんは印度取材と通じて親しくなったのだという。私や青山さんの場合は
江原さんという優れた霊能の持主の存在によって交信ができるが、他の人の所ではそこに来ていることを知らせようがなく、ただ佇んでいる
だけなのかもしれない。
その後一、二度遠藤さんは現れ、
「こうしているのも今のうちだ。仕事が待っている」
と言った。どんな仕事かと問うと、「世直しの手伝い」といわれました、と江原さんはいった。
別の時、私は江原さんからこの国の先行きについて遠藤さんに訊ねてもらった。すると遠藤さんの返事はこうだった。
「国のことよりも自分のことだ」
私ははっとした。急所をグサリと突かれた思いだった。そうだった、大切なことは人、一人一人が自分の波動を上げることだった。
一人一人の波動が上がれば社会の波動が上がり、国の波動も上がるのだ。それまで私が学んできたことだった。政治家を批判しても
仕方がない。国民の波動が上がれば波動の高い政治家が出てくる。一人一人の波動が高まり優れた政治家を生み出すのだ。
『私の遺言』 佐藤愛子著 2002年10月発行 新潮社