神界から来た人?
相曾誠治氏とはいったいどういう人物なのだろう?私は考え込まずにはいられなかった。鶴田医師に問うと、
「私は今まであんなに無私の、清らかな魂を持った人に会ったことがありません。どんな人に対しても、どんな時でも
同じ表情、変わらない態度。あれは自然体というのでしょうか。しかしその自然体は我々俗人の次元とは違うように思われますねえ」
という。その観察に私も全く同感である。氏の前に出ると、自分にはなかった「つつしみ深さ」が出て来て、何を訓戒されたわけでも
ないのに反省や悔悟が生まれてくることは確かだ。
しかし、たとえばこういう話に私は困惑する。相曾氏は毎年七月に富士山の山頂でご神事を日帰りでされるという。八十台半ばに達する
氏が日帰りで登山下山が出来るわけを問うと、
「天狗さんが助けてくれますので」
冗談かとその顔を窺(うかがう)うが、極めて当たり前のことを話しているように、
「登るときはみんなで後押しをしてくれますのであっという間に山頂に行き着きます。でもその姿は人の目には見えません」
と涼しげである。山頂には既に汚れていない場所が用意されているので、すぐに神事を始めることが出来ます。
お供えのお塩、お洗米、お神酒(みき)、お水、海の幸、山の幸など、あっという間に整います。そこで秘事(ひめごと)を唱え、
祝詞を奏上し、日本及び世界の平和を祈願して下山します・・・。
天狗というと、手に団扇(うちわ)を持ち、鼻高く顔赧(あか)く眼は恚(いか)っていて、鞍馬山で牛若丸を鍛えたあの天狗を私は
思う。だがそれを訊(き)こうとしても、氏のあまりに泰然とした様子に気圧(けお)されて、何もいえずに傾聴の姿勢になってしまうのである。
富士山の上空十メートルあたりに富士神界という神界があり、足利時代に肉体のまま葛城(かつらぎ)山から神仙界に入った
山中照道大霊寿真という、たいそう位の高い神仙がおられる。相曾氏の富士登山の時に後押してくれているのはその山中照道大霊の
門人というか、眷属(けんぞく)というか、富士山で修行している麗人で、その麗人を氏は「天狗さん」と呼んでいるらしいことが、
そのうち(氏の著書などを読んでだんだん解(わか)ってきた。
霊界には数十、数百の区別があって、人が死ぬと四次元に行くが、その人の生前の行動や思想、信仰などによってその人に適した
霊界へ行く(これまで私が記してきた「幽界」というのが「四次元」で、「霊界」が「五次元」と思ってよいのであろう)。
「五次元」と一口にいっても高い階層、低い階層があり細かく分かれている。低い方に印度のヨガの達人や道教の先人、
修験道(しゅげんどう)の行者(ぎょうじゃ)などがおり、ここを「山人界」、あるいは「山人天狗界」というのだそうである。
その山人天狗界の中にも更に次元の高低があって、高い修行者を「善玉の天狗」と呼ぶ。富士山で氏を助けるのは善玉天狗である。
それに対する悪玉天狗は四次元(幽界)や三次元(人間界)よりも更に下の二次元に密着していて、山霊や動物霊などと重なる。
「五次元の上の方にはキリスや釈迦(しゃか)、孔子などがおられて、神界を目ざして修行しておられます」
と相曾氏はいう。
「お釈迦さんは立派な方ではありますが、今のところ六次元止まりで、七次元にはまだ到達していません。釈迦といえども神界
に行かれてはいないのです。苦心惨憺(さんたん)して、あれほど厳しい修行を積んでもなかなか神界には入れません。仏教には
神界に入れない因縁があります。研鑽(けんさん)を積んだ釈迦といえども、ぎりぎり最後のところでは神理に到達していませんでした。
あの方は真面目(まじめ)な方ではありますが、少し性格が暗いですね」
町内会長のことでもいうようにお釈迦さんのことをいわれると、
「は〜ァ・・・」
としか私はいえない。「キリストさんはちょっと泣き虫ですね」といわれても、疑問も質問も言葉にならない。氏の言葉を
私は荒唐無稽(こうとうむけい)だと思ったり、また納得させられて心正しく聞くべき正論だと思ったり、常に揺れ動いた。
鶴田医師も私と同様の気持ちだったにちがいない。だが氏と直(じか)に会って柔和な眼差(まあなざ)し、礼儀正しい物腰、
穏やかな声音に触れると、品性の高さを感じて疑問が消えてしまう。
確かに相曾誠治という人は「普通の人」ではなかった。いつも質素な背広を着てひょこひょこと歩く、一見「昔の村長さん」
を思わせる素朴な風貌(ふうぼう)である。こういう立場にある人はえてして自信や権威の匂(にお)いをふり撒(ま)いている
ものだが、そういうものが全くんあい。鋭く見透す眼光というものもない。喜怒哀楽が面(おもて)に出たこともない。
「変った人・・・一口にいうとそういうしかないですね」
鶴田医師と私は交々(こもごも)いった。北海道の私の山荘の怪異を鎮(しず)めるために来られた時、ご神事がすむと氏は
浜松の自宅へ電話をかけて、
「今朝ほどは早朝からご苦労をかけました」
と挨拶(あいさつ)をされた。その電話の相手は夫人なのであった。私は食事の前に入浴を勧め、脱衣籠(かご)に浴衣(ゆかた)
と丹前を出しておいたのだが、入浴後に出て来られた相曾氏は背広にネクタイをしめ、、きちんと靴下を履いておられた。
3か月に一度くらい、名古屋の鶴田邸で相曾氏を囲んで、日本の伝統文化の講和を聞く小さな集まりがあり、時々、私はそれに出席
していた。ある日、浜松へ帰られる氏と東京へ向かう私が名古屋駅のプラットホームの待合室で電車が来るのを待っていた時、ふと
私はある衝動に駆られてこう訊(たず)ねた。
「失礼ですが、先生は、神界からおいでになった方ではございませんか」
そんな唐突な問いかけに対して、氏は驚きも笑いもせず、極めて平静に頷(うなず)いていわれた。
「私はことむけのみことと申します」
その口調はまるで、お故郷(くに)はどちらですかと訊かれて、「青森です」と答える人のような、まことに日常的な応答であった。
「そうでしたか」
と私はいった。やっぱり・・・と心に頷いていた。「ことむけのみこと」とは多分「言向命」と書くのであろう。即(すなわち)ち
力で従わせるのではなく、言葉をもって導くという意味であろう。私は素直にそう思った。
『私の遺言』 佐藤愛子著 新潮文庫 2005年