出エジプトのルート
わたしたちは腰を下ろして聖書を取り出した。出エジプト記12章、ファラオの許しを得たモーセは、壮年男子だけで60万というイスラエル人を率い、
約束の地をめざして出立した。その際、神は彼らをペリシテ街道(北の国境を意味するらしい)に導くことはしなかった。そこを通っていけば容易に阻止される
からだ。神はイスラエル人を、ヘブライ語でいうところの< yam suf >、英語で < Red Sea > と訳された「葦の海」に通じる荒れ野の道を行かせた。
そして、こんにちでは場所のわからないスコトやエタムといった町をいくつか通り、そこから方向きを変え、彼られは海の近くのバアル・ツェフォンで宿営する。
このころになると、ファラオはイスラエル人を解放したことを悔やみ、戦車六百台をえりぬき、自ら軍勢を率いて奴隷たちのあとを追った。エジプト軍が
間近に迫っていたとき、イスラエルの人々はもはや逃げ場のないところに来ているのに気づいた。彼らはモーセに向かって叫んだ。我々を連れ出したのは、
荒れ野で死なせるためですか?
・・・
当然のことながら、この出来事が起こった場所を特定しようという思いが、何世紀にもわたって聖書を読む人々の心をとらえてきた。問題が複雑になった
理由の一つは、聖書がこの海に与えている名前< yam suf >が曖昧だったためだ。< yam >はヘブライ語で「海」を、< suf >は「葦」を意味する。
しかし古代より、この名をもつ海はどこにも確認されていない。また、西洋人はこの語の翻訳によって、さらに混乱させられた。「葦の海」を「紅海」
<Erythra Thalassa >と訳して、史上最も有名な誤訳を定着させたのはギリシャ語の「七十人訳聖書だ—すでに述べたように、前三世紀のアレクサンドリア
でユダヤ人によって翻訳された、初のギリシャ語の決定版である。この間違いはラテン語のウルガタ聖書に引き継がれ、英語でも1611年にキングジェームズ版
にそのまま採用されている。
言葉の意味を正しく知ることで、いくらかは場所の特定に役立ったと思われるが、それも決定的とは言えない。葦の海のおもな候補地は五つある。まずは地中海、
とくにデルタ地帯の北部の海である。二番目は地中海の南の湿地帯。三つ目はティムサ湖。これは地中海と紅海の間にある大きな湖で、ワニの湖とも呼ばれる。
四つ目はビター湖、ティムサの南にある数ある湖のうちの一つだ。五つ目は文字通りの紅海で、スエズ運河周辺とされている。
再び、手がかりを名前に求めてみよう。ヘブライ語の< suf >は、一般にはエジプト語のパピルスを意味する< twf >に由来する。パピルスは淡水
にのみ生育するので、地中海と紅海は候補から除かれるように思われる(しかし。民数記21章で、イスラエル人がエドムを迂回する途中、聖書は< yam suf >
という語を明らかにアカバ湾のこととして使っている)。また、ティムサの北の古代の湿地帯は現在スエズ運河にとって代わられ、当時の様子がわからないため、
この説の支持者は少ない。一方、多くの情報を集めて推理した結果、ティムサ湖とビター湖はかなり有力である。これらはこの地方に数ある湖の一つで、どれもが
< yam suf >と呼ばれてもおかしくはない。だが、それぞれの湖にも違いはある。ビター湖はほかの湖より大きくて深い。ティムサ湖のほうは比較的浅く、
水深が一メートルもないところがほとんどである。風の強い日、イスラエル人が腰まで水につかりながらこの湖を渡っていったとき、追跡に気をとられ、
やみくもに進んできたエジプト軍の戦車が沼地に足をとられた、と想像するのは容易だ。
『聖書を歩く』ブルース・ファイラー著 黒川由美訳 原書房 2004年5月