今月の言葉抄 2014年2月

ヘブライとギリシャ 歴史観の違い

秋澤 ・・・それから「歴史」という言葉を現代ヘブライ語で探してみたのですが、古代ヘブライ語に「歴史」 という言葉はありません。たとえば「歴代誌」というのは、英語ではクロニクルズ Chronicles ですが、書き留めた記録誌であって「史」ではない。原語のヘブライ語 では「出来事」を意味する語の複数形ですから、物語集とか出来事集ということです。ですから、じいさんがこうしている、アブラハムがこうしている、ヤコブが こうしている、だれそれがこうしている、そういう物語をずらっと羅列的に並べたものを、現代ヘブライ語では仮に「歴史」に当てています。
ヘブライ語の聖書を読むかぎりでは、ユダヤ人にってユダヤ人にとって歴史というのは過去から現在に縦に連なるものではなく、どうも並列的というか 横軸としてとらえているようなんです。これはかれこれ五十年も前に、三笠宮崇仁(たかひと)親王が仙台で開かれたオリエント学会で、いみじくも話されたことで、 つまり、中近東を考えるときには、ギリシャ・ローマ流の縦の歴史を横にして考えるといい。そうすると、あそこには「すべての時代」が同居していることが わかる。海水の淡水化からベドウィンの生活まで同時に見られるんだ、と。
報道などでアラブ過激派に人質になった人たちの公開写真を見ると、最新式の自動小銃のそばに半月刀がある。それは、決して粗野とか無知ということではなく、 世の中の構造、時間の構造がそういう形にできているのではないか、ということです。
池澤 時間の遠近法がないわけですね。遠いはずのものも彼らの感覚ではすぐ近くにある。
秋吉 空間的にもない。たとえばモーセも、エジプトからひょいとアラビア半島のミディアン(現在の ヨルダンからアウジアラビアにかけての地域)に行ってしまう。アラビアのロレンスがあれほど苦労したところをあっという間に超え、そしてまた帰ってくる。 そういう感覚なんですね。
だから、西欧の指導者の言う「歴史」と、イラクの指導者たちの言う「歴史」というのは、根本的に違うんじゃないかと思います。
池澤 それはとても深刻な違いですね。

『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(小学館 2009年11月著者 池澤夏樹著 秋吉輝雄との対談)

更新2014年2月27日