今月の言葉抄 2014年1月

終末とキリスト

キリスト教の終末観は、最後の戦争と人間への審判という、とても強烈で具体的なイメージに基づいています。 「まもなく世の終わりが来るから、イエスの教えを守り、選ばれた者として正しく分相応に生きていなさい」というのが新約聖書の基本です。 イエスが伝えた終末の日の様子は、弟子たちによってギリシャ語で記録され、いまもキリスト教会で日々読み継がれています。一例をあげておきます。
マタイによる福音書 24章
おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときにはどんな徴(しるし)があるのですか。 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。・・・預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのが見えたら、 (読者は悟れ)、そのときユダヤにいる人々は山に逃げなさい。・・・」
ほかにも終末のときが近づいているといった言葉や、最終戦争の様子などが、新約聖書の随所に書かれています。実際にイエスが生きていた紀元30年頃の エルサレム周辺には、終末思想を基本とする宗教団がいたことが、考古学の成果によって確認されています。
そのひとつとしてのイエスの集団は、具体的な終末のイメージを持ち、病気なおしの奇跡と共に、急速にユダヤ人の間に広まって行きました。彼らの終末のイメージ の中で、ハルメギドは具体的な地名として重要な役割を持っていたと言えます。ユダヤ人たちにとっては、ハルメギドはヨシヤ王が戦死した古戦場でした。今日のように 謎めいた意味不明な言葉としては使われていなかったと考えられます。それが長い年月を経て、ギリシャ語のハルマゲドンとしてキリスト教世界に流通し、終末思想の 流行のときには秘境的・オカルト的な言葉として登場してくるのでしょう。
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キリスト教の終末観の中核にある、最後の審判と最終戦争のイメージは、ユダヤ教の歴史のなかでは異質なものです。イエス・キリスト= 救世主= 最後の勝者 という考え方は、ユダヤ教の根本のヘブライ語聖書だけからは出て来にくいものです。むしろ終末観は、ギリシャ的な時間観念の影響や、この世の終わりといった 特殊な同時代の雰囲気に根を持ち、そこに聖書の語彙が用いられたと考える方がわかりやすいかもしれません。
意外かもしれませんが、ヘブライ語聖書全体の中では、創世記や終末の話はほとんど例外的です。創世神話はユダヤ人の祖先のオリジナルとは言えませんし、終末 にかかわる話は比較的新しい層(紀元前6世紀以降)の預言者の言葉に集約されます。ヘブライ語聖書の中核をなす古い層は、そのほとんどが唯一神とイスラエルとの 関係を表す物語や儀礼の細則です。・・・
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さて、問題は終末が来ないことに移ります。イエスは「間もなく終末がやってくる」、「神に立ち返り。目を覚ましていなさい」と伝えて死に、復活し、 「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言って天に昇っていったのですが、イエスが具体的に示した終末はいつまでたっても来ませんでした。
そこでさまざまな「終末」神学が組み立てられました。「すでに終末は来たのだ。神の恵みによって、今は更新されたパラダイスなのだ」とか、「終末の 意味を解釈し、自分の霊性を高めるのだ」といったもの言いです。この分野は、キリスト教神学では「終末論」と呼ばれ、とても長大な学問的蓄積があります。

『キリストの理解 ヘブライ語聖書から読み解く』 山口勇人著 イザラ書房 2008年7月


著者は市井の人で、ヘブライ語、ギリシャ語、英語、フランス語を解する大変な教養人である。自分が日本におけるキリスト者であって、そのことの違和感から、 国内の大学はもとより、アメリカの神学校さらにヘブライ大学に学んでいる。選んだテーマがわたしの感ずるところとかなり一致しているので、とても面白く読みました。 (管理人)

更新2014年1月25日