「じ」「ぢ」と「ず」「づ」の発音が現在と同じに
では、早速、江戸時代になって、現代と同じ発音に変化したものに注目してみます。まず、現在の状況をおさえておきましょう。あなたの使っているザ行の「じ」とダ行の「ぢ」とを発音してみじてください。違う音でしたか?それとも、同じ音でしたか?
では、もう一問。ザ行の「ず」とダ行の「づ」を発音してみてください。どうですか?どっちも同じに思えると、感じた方がいらっしゃるに違いありません。正解です。えっ、文字が違うだろうとおっしゃる方も、まあ、聞いてください。
室町時代の終わり頃、つまり十六世紀の終わりごろ、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」との音は、近くなってきていました。もともとは、違う音です。違う音だったからこそ、違う文字が四つもあるのです。
ところが、江戸時代も元禄頃になると、「じ[ʒi]」と「ぢ[di]、「ず[zu]」と「づ[du]」が統合されて、現在と同じ発音[ʤi]と[dzu]の二音になってしまいました。元禄八年(1695年)の『蜆縮涼鼓集(けんしゅくりょうこしゅう)』という本には、こんな意味のことが書いてあります。
京都、中国、坂東(=関東)、北国の人に会って、「じ」「ぢ」、「ず」「づ」の発音に耳をすませると、区別がないように思える。ただ、筑紫(=九州)の人は明確に言い分けている。字の読めない女の子でさえ、人に教わるわけでもないのに言い分けている。
元禄年間には、多くの土地で「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の区別ができなくなっていることがわかります。実はこのころ活躍した松尾芭蕉も区別をしていなかったようです。彼の代表作『奥の細道』を読んでいると、「いず(=出る)」と記しています。区別があれば「いづ」と記すべきところです。芭蕉も現在と同じく[ʤi]と[dzu]の二音しか発音していなかったのですね。
現在では、江戸時代の統合を継承していますから、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の音の区別はありません。[ʤi]と[dzu]
の二音があるだけです。現在では、この二音に「じ」と「づ」の文字を与えました。にもかかわらず、「ぢ」「づ」の文字も残しました。そして「現代仮名遣い」でこんな決まりを作りました。まず、普通には、「じ」や「ず」の文字を当てる。
ただし、次の@Aの場合には、例外的に「ぢ」や「づ」を使う。@「ち」や「つ」に続く場合には「ぢ」や「づ」を使う。ですから、私たちは「ちぢむ」「つづく」とかかねばなりません。A複合語になる前に、「ち」や「つ」で始まっている語に関しては、「ぢ」や「づ」を使う。だから、私たちは「はなぢ(鼻+血)」「みかづき(三日+月)」と 書かねばならないのです。でも、繰り返しますが、発音は
[ʤi]と[dzu]の二種類しかありません。ただ、表記上の約束で、四種類の文字を使っているにすぎません。
こうして、江戸時代に、濁音の数は現代と同じく、「がぎぐげご」「ざじずぜぞ」「だでど」「ばびぶべぼ」の十八音になりました。
清音はどうなっていたか
では清音の方はどうなっていたでしょうか。第一章で、現在には四十四音しか清音がないのに、奈良時代には、六一も清音があったことを述べました。平安時代になると、現在の状態に一挙に近づきます。例の「上代特殊仮名遣い」で書き分けられていた清音がほとんどなくなったからです。「いろは歌」のできた十世紀の中頃には四七の清音になっています。後に、「いろは歌」の最後に「ん」「を付けて「いろは」四八字と言うこともありましすが、もともとの「いろは歌」には撥音の「ん」は入っていません。当時存在したすべての清音を一回だけ使って作った歌なのですから。
さらに平安時代の末期には「を」と「お」も統合されて、一つの音になり、清音は、四六音。まだ「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」の音の区別があります。
でも鎌倉時代の末頃には、「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」も、それぞれ統合されて一音になり、あわせて二音減少し、現在と同じ四四音になりました。清音の数はそれから現在までの七百年ぐらいの間、変化していません。もうこれ以上、減らせない限界点
に達しているのかもしれません。
濁音の方も、平安時代になると、「上代特殊仮名遣い」で区別されていた音がなくなります。ですから、奈良時代には二七音あった濁音が、二○音に減りました。その後は安定していましたが、江戸時代になって、今述べたように「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」が、それぞれ統合されて、現在と同じ一八音になったわけです。
母には二度会ったけれど
数量の問題ばかりではなく、発音の仕方も、現在とほとんど同じになりました。
たとえば現在のハ行を発音してみてください。[ha][çi][ɸu][he][ho]と発音記号で書けるような発音です。
「ハ」「ヘ」「ホ」の子音[h]が、ここでの問題です。では、[h]を発音してみてください。
こう言われると、私たち日本人はとても困ります。なぜなら、つねに母音[a][i][u][e][o]をくっつけて発音しているから[h]だけを取り出して発音しろといわれても、難しい。子音だけを発音することがめったにない日本人は、子音だらけの英語が下手です。
[h]は、疲れたりいやになったりするときに発する溜息に近い音です。ひそかに溜息をついてみてください。声は出ませんね。声帯が振動しない音ですから。息だけが声帯の隙間を摩擦するようにして吐き出される音です。「声門音(せいもんおん)」と呼ばれます。「ハ」「ヘ」「ホ」の子音が、こんなふうな[h]音になったのは、江戸時代からです。
それまでは、唇を合わせて、「ファ[ɸa]」「フィ[ɸi]」「フ[ɸu]」「フェ[ɸe]」「フォ[ɸo]」のように発音していました。[ɸ]は、唇を上下合わせて、その隙間から息をすうっと摩擦させて出すような音です。「両唇音」と呼ばれます。
どうしてそんな子音があることが分かったのでしょうか。永世一三年(1516年)に出来た『後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)』に、こんな謎々があることが一つの証拠でした。「母には二たび会ひたれども、父には一たびも会はず」。それは、何かという謎々。答えは「くちびる」です。お母さんには二度会ったけれど、お父さんには一度も会っていない。それがどうして「唇」なのか?
謎が解けた
最初のうちは、この謎々の意味が分からず、江戸時代にはなかなかユニークな解釈が出ています。「はは」は「歯歯」のことで、上歯には上唇が出会い、下歯には下唇が出会う。だから二回会う。「ちち」は「乳」にことで、これは唇がどうやっても届かないから出会わない。だから、乳には一回も会わない。「ホント?」と思わず身を乗り出してしまうような意外性のある面白い解釈ですが、おっぱいがうんと長ければ唇に届くのではないかなんて反論もしたくなります。この謎々は話題を呼びました。
けれども、室町時代以前のハ行音の子音が江戸時代以後とはちがって、唇を合わせて発音する「ファ[ɸa]」
「フィ[ɸi]」「フ[ɸu]」「フェ[ɸe]」「フォ[ɸo]」であると考えた時、謎々の答えが「唇」であることの意味が分かったのです。お母さんを意味する「はは」を発音すると、「ファファ[ɸaɸa]となって、確かに唇が二回会います。でもお父さんを意味する「ちち」を発音しても、唇は一回も出会いませんからね。
― 『日本語の歴史』山口仲美著 岩波新書 2006年9月